みなみ木曾路(宝暦六年刊:岐蘇路安見絵図より)

木曾路は中仙道の一部である木曾地方の街道をさす。
702年(大宝2年)初めて美濃の国岐蘇(きそ)山道を開くと 「続日本紀にあるように歴史がある。
美濃信濃の境は道が険しく狭くて往来が困難であることから713年(和銅6年)吉蘇(きそ)路を通したといわれている。
木曾路はこのように吉蘇路や岐蘇路を作くり早くから開かれていた。
 この街道を、国司の一行が戦国の武将達が幕末の皇女和宮がそして名もなき旅人が歩んだ。
江戸時代には五幹線の一つとなり、贄川(にえかわ)から馬籠(まごめ)までを木曾11宿とした。
江戸・京都間の東海道を表通り、木曾街道を裏街道とした。
大名の息女などの大行列の利用が多く東海道についで往来も盛んであった。中仙道の制定以来370年に及ぶ歴史は今も各所に眠っている。その一部を紹介する。

  福島の宿

  上松の宿

  須原の宿

  野尻の宿

  三渡野の宿

  妻籠の宿

  馬籠の宿

  落合の宿

  島崎藤村



木曾 大桑村岩出観音堂

HomePageTopへ戻る


★福島 (木曾 木曾福島町)
・上松江二里半
 問屋 九郎兵へ 善右衛門
 山村甚兵やしき
 御関所 往来の者女鉄砲改
 東海道あらいの御関所のことし
 興禅寺
 福島の町は繁昌なる地也
 毎月六日市有 かんひやう
 ・「それより福島にいたる。此駅に御関所あり。
  景色よき所なれば、思はず小橋のうへにたたずみながら
北八ナントいいけしきぢやねへかね。
  ちと休みやせう」(続膝栗毛)
・せうふち村 榎一づ〃少し上がり
 だけ川とは木曾の御岳なり所の人は
 おんたけといふ みたけ山はるか向こうにみゆる
 ふじあさまにもならぶ山也
 雪ふかし 此川より材木おおく出す
・合渡(現在の木曾かけはし)
 みたけ川と木谷の川と行合
 ゆへ合渡といふ
 御たけ川 みたけ鳥井
 木曾のかけ橋は川のしば道
 の絶たる所の懸けたり むかし
 はあやうき所也しが今は
 両岸より岩垣をつきわづか
 十間斗ある板橋也 橋の
 詰の立石に此石垣慶安元成
 子年六月良辰成就 又

このpageトップへ戻る
木曾路トップへ
HomePageTopへ戻る

 


須原〜上松

★上松 (木曾 上松町)
・須原江三里九丁
 問屋 三郎右衛門 庄兵衛
 中村沢に上松の松原有
・立バね覚村 そば切名物
 なら川はし
 ね覚の床
  臨川寺の客殿より見下ろす也
  (続膝栗毛)
  「此ところに臨川寺という景地あり。
  寝覚の床といふこれなり。
  むかし浦島太郎釣りをたれし
  所なりと云ふ。
  浦島もかかるけしきの寝覚には
  小便よりもつりやたけん」
・立バばんば 榎一づつ
 小野の瀧見事なる瀧也。 布
 引、みのをの瀧にもおとらぬ瀧なり
 

このpageトップへ戻る
木曾路トップへ
HomePageTopへ戻る

 


野尻〜須原

★須原 (木曾 大桑村)
・野尻一里三十丁
 定勝寺木曾氏の寺なり 定勝寺 くはんおん
 今井は通りより右なり。
 今井に兼平城山あり
 いな川はし
・大嶋 古道有 兼平城山・弓矢村 古道 関山はし。 関山はし坂の上に有り。
 かけはし也。昔此所に関ありし故関山といふ
   
★野尻 (木曾 大桑村)
・みとのへ二里半
 問屋 彦左衛門 源右衛門
 野尻と見との間、甚あやうき道なり
 此間左は山也。其山のかたわらのわずかなる石多き道を行く。
 右は数十間高き崖にて屏風を立てたるところ多し。
 其下は木曾川の深き水なり
・下在家 一りつか右は藪の内にあり
・立バしみず
 此間かけはし多し。前に名
 を得し木曾のかけはしより
 はあやうし

このpageトップへ戻る
木曾路トップへ
HomePageTopへ戻る

 


三渡野〜野尻

★三渡野 (木曾 南木曾町)
・つまご江一里半
 問屋 孫左衛門
 名須沢
延喜丑年出水の所
・和合 和合にて作り酒家あ
 り 能酒なり あげろ山
 いせ山 えほし岩 甲くわ
 んおん
・がうど 松一づつ くまが
 原 木曾城跡山見事なる山
 なり こいが岩
    


馬籠〜三渡野

★妻籠 (木曾 南木曾町)
・馬籠江二里
 問屋 六郎左衛門 市右衛門
 木曾の内 竹なし 此宿大藪
 大竹あり
 せいなんじ越のみち
・大嶋 上り坂
 妻籠より木曾川西北に遠く
 流れ 道は東南に行くて妻籠
 峠を越える故木曾川遠くなる
・妻籠峠
 峠を越馬籠に下る故木曾の
 御坂也。
   
★馬籠 (木曾 山口村)
・落合江一里五丁
 問屋 三郎兵衛 茂介
 木曾は北より南に向。其水
 南に流れ大河にて石大に水
 早し 故船なく魚少なし
・くまがほら
 堺橋。信濃と美濃のさかひ
 のはし也。うすい峠より此
 所迄四十七里余
 釜がはしり 上り坂谷
 
★落合 (岐阜県中津川市)
・中津川江一里五丁

トップへ戻る
HomePageTopへ戻る


 
★島崎藤村 夜明け前
  木曾路はすべて山の中である。
 あるところはそばづたいに行く崖の道であり、
 あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、
 あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。
 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。


明治末期の脇本陣林家の人々 中央が藤村が「若菜集」で「まだあげ初めし前髪の」とうたったおふゆ(脇本陣奥谷郷土館蔵)

Changshou.Ohno


このpageトップへ戻る
木曾路トップへ
HomePageTopへ戻る