木曾路の味
朴葉巻き(ほおばまき)
[季 節]5月中旬〜6月下旬
[地 域] 木曾路各地
木曾地方では、朴(ほお)の木の葉に、にぎりめしを包んだり、米を朴の葉に包んで蒸したものを保存食として利用していました。
木曾名物の「朴葉巻き」は、米の粉(じょうしん粉)に、小豆の餡を包み、朴の葉でくるんで蒸し上げたものです。5月中旬から6月下旬にかけて作られ、月遅れの端午の節句の柏餅のかわりに木曾地方では「朴葉巻き」を、食します。
柏餅とちがい、朴の葉の香りがしみこんだ独特の味があり、数日間は保存もききます。数個が一房になるクラスタ状になっています。朴の葉特有の甘い香りと、あっさりとした風味です。季節になると、木曾路の菓子屋の店頭には、「朴葉巻きあります」の張り紙が出され、郵便局もふるさとの味の小包として、取り扱っています。木曾福島の芳香堂、芳来屋が有名です。
五平餅(ごへいもち)
[季 節]通年
[地 域]木曾路各地
木曾地方に古くから伝わる素朴なごちそうで、硬めに炊いたごはんを巾広の木ぐしに握りつけて炭火で焼き、これに胡桃(クルミ)や荏胡麻(エゴマ)のたれをつけて更に香ばしく焼いたもの。
山の小屋に泊まりこんで山仕事をする人々の工夫だったと言われ、五平さんが作ったとか、神様にささげる御弊に似ているからとか名前の由来は色々です。
形は、一般的には「御幣型」ですが、馬籠宿のある山口村では団子形、上松では平たい団子を二つ串に刺したものなど、地域によって色々です。
香ばしい風味と程よい甘辛さで、野趣に富んでいます。熱いうちに食べるのがうまい!
そ ば
[季 節]通年
[地 域]木曾路各地
中山道随一の名勝地「寝覚の床」入り口に、400年前から開業しているそば屋など、木曽路には美味いそば屋がたくさんある。最近は、開田村などでそばの栽培がさかんになり、新そばの季節には更に美味いそばが食べられるようになった。木曾福島の車屋のそばは有名です。
そば切り発祥の地は木曾
江戸初期までは今のような「蕎麦切り」という形ではなく、もっぱら「そばがき」にして食べていたとの事です。
「蕎麦切り」という言葉が、文献に登場するのは、木曾が初めてでした。
木曽郡大桑村須原「定勝寺」に残されている天正二年(1574年)の仏殿修理の際の記録の中に「振舞ソハキリ金永」という記述があり、金永という人が「ソハキリ」を修理している人々に振る舞ったということが分かります。
現在、蕎麦切りという語句の初出は、この定勝寺の文書が最古のものであり、新たな発見がないかぎり「蕎麦切り」、つまり現在の「そば」の発祥の地は、木曾郡大桑村須原だと言えます。
また、食べ方の記述がある最古の文書は『山中日録』という旅行記で、尾張藩主徳川義直に儒学者として仕えた堀杏庵が、寛永十三年(1636年)四月に日
光東照宮の造営完成の式典に参加する義直に同行し、中山道を旅したときに書かれたものです。
それによると、
「楢井(奈良井)を通過し贄川宿に着いた。その夜、義直候は、蕎麦切りを召し上がり、自分たちも相伴に預かった。それは冷やしそうめんのようで、大根の
絞り汁にたれ味噌を少々加え味を整え、鰹節の粉や葱やニラを薬味として添え、その汁で食べるものである。それは、大いに美味だったので、おおいに食べた
が、中にはあまりのおいしさに誘われ、数十椀も食べた者もいた程だった。」
とあります。
これら二つの文献から、「蕎麦切り」「食べ方」の最古の文献の記述は、この木曾地方にあり、したがって木曾地方は「蕎麦切り発祥の地」と言えるでしょう。
朴葉寿司(ほおばずし)
[季 節]5月中旬〜6月下旬
[地 域]木曽路各地
ちらし寿司を朴の葉に包んだお寿司。
朴の葉には殺菌効果があるといわれ、昔木曾義仲が戦いに出陣するときに携帯食として、米や味噌を朴の葉で包んで持っていったといわれています。 ほんのりと香る朴の葉の香りが食欲をそそります。
すんき
[季 節]冬季
[地 域]開田村、王滝村、三岳村、他
木曾のすんきは、京都の酢茎(すぐき)と比較しますと、それとは多少異なります。
昔、冬の間雪に閉ざされ、交通の便の悪い山の中で、塩は貴重品でした。そこで塩を使わず、地元の木曽で王滝カブ、末川カブと呼ばれるカブ菜を乳酸発酵させた漬物がこのすんき漬けです。
塩分はなく、独特の風味とほど良い酸味があります。この風味のため、最初は食べるのに抵抗がありますが、慣れればクセになる味です。
このすんきを細かく刻んでそばの上に乗せたのが「すんきそば」で、冬期間しか食べることができませんが、そばとすんきの酸味が程よくマッチして旨いです。
また、高血圧防止のための減塩運動などで、塩を使わない漬物ということで、健康食品としても注目されています。
木曾観光連盟おすすめの木曽路の味です
Changshou.Ohno
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