彼は、まぎれもなく英雄だった
木曾義仲(駒王丸)は久寿元年(一一五四)武蔵の国大蔵(埼玉県嵐山町)で誕生
父は源 義賢、母は小枝御前、大蔵の戦で父が悪源太義平に討ち取られる
駒王丸木曾山下(木曽福島町上田)中原兼遠のもとへ
義仲をはぐくんだ木曾宮ノ越宮原(日義村)
義仲の挙兵、治承四年(一一八〇)九月七日千騎
横田河原の戦い(長野市篠ノ井)、般若野の戦い(富山県)、
加賀の国(石川県)倶利伽羅峠の戦い寿永二年(一一八三)、篠原の戦
義仲の入京(寿永二年七月)、法住寺殿の戦い
義仲、征夷大将軍 朝日将軍に元歴元年(一一八四)宣旨(天皇の詔)をうける
義仲の最期、粟津が原の義仲寺に眠る元歴元年(一一八四)、
義仲の墓と並んで俳人芭蕉の墓が建てられている、芭蕉が生涯で一番好きだという義仲
と一緒永い眠りについている
「木曾殿と背中あわせの寒さかな」 又玄
「むざんやな甲の下のきりぎりす」 芭蕉
多太神社(石川県小松市)を詣でて篠原の戦いで討ち取られた駒王丸の恩人斎藤実盛(平家)の兜を拝しての一句
「義仲の寝覚の山か月悲し」 芭蕉
芭蕉が奥の細道で福井から敦賀への途中で越前今庄の城跡の燧山を望んで
「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。
山吹はいたはりあい、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、
容顔まことに優れたり。」 平家物語
木曾義仲リンク
信州の巴御前/西川かおり(1992)義仲の史料採集
西川かおり(くれ丸)さんの楽しい義仲と巴御前のイラストで木曽義仲の基礎知識がつきます!
大阪の女(ひと)GARYさんが発信する日米語の義仲
義仲のページ。仲間の兼平や息子の義高なども交えて!
平家物語という古典と中世という歴史の両方から義仲及び源平合戦を読み解いています
Changshou.Ohno
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