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この本は、人類屈指の困難な哲学的命題である「実存」を前にして第二次世界大戦期の激動の時期を 生き抜いた哲学史上に残る天才的なフランス人哲学者ジャン・ポール・サルトルと、サルトルの哲学 的困難を理解し「女は女にうまれない。女という存在に作りあげられていくのだ」のフレーズが冒頭 を飾る著書『第二の性』でも知られるシモーヌ・ド・ボーヴォワールの芸術的ともいえる優雅で人格 的で天才的だった運命的なカップルが、戦後日本を旅行した記録を、当時二人の案内役を務めたとい う熟達の日本人翻訳家の筆が記したルポルタージュである。 人類史上稀有にしてきわめて偉大なフランス印象派の巨匠達や文学者達は、当時のサロンにおいて"日 本"の文化や美、自然観をテーマにした熱心なトークを続けてきた。かつて、フランス人程に、きわめ て東洋的な島国であるわが国日本の真髄を、優れて友好的かつ理解的、尊敬的に愛したヨーロッパ国 民は、かつて存在しなかった、といって過言ではあるまい。 そして、そうした日本びいきが珍しくないといわれるフランス最高の文化人世界から、戦後のわが国 へと、この二人の天才たちが来日したことは、ザ・ビートルズの日本来日や何らかの国民的な儀式に おける海外国王の来日などに匹敵するか、(失礼ながら……)それらを軽く上回るほどの歴史的意義を 大きく持つ跳躍的にして近代史の伝説に相応しいイベントに相当する程の美しく高度に文化的な人類 としての威厳に満ちた「アフェア」だったことは、現在でもフランス哲学の信奉者たちを中心にした 文化人たちの間で広く語り継がれている。 ただし、この欄は、『朝日新聞』や『東京新聞』の書評欄とは異なる上、主なる随行員役を務めたと いう日本人翻訳家女史に、博士号クラスの高度な近代フランス思想への認識があるのか、とか、単なる ミーハーで芸能的なゴシップ記や平凡な行動記録とは違うのか、などということは全く問わない立場を 表明するものとしよう。そして実に丁寧に、実在してきた登場人物たちへの尊敬や友愛に満ちた周辺人物 による"代筆"並の紀行文は、きわめて身近に、二人との間においてごく親密な"ゾーン"に生涯を通して 身を置くことのできた、幸運な翻訳家におけるプロの文化人の端くれ(勿論、そうはいっても朝吹登水子 女史を凌ぐフランス語翻訳の達人はこの国には存在してはいないということもまた確かな事実であり、 フランスを愛する日本人にとっては尊敬すべき第一人者なのである)としての詳細なメモや印象深い記憶 により、日本滞在中に二人の偉大なフランス人たちが口にしたフレーズをもきちんと書き留めていて くれたのである。 それらは彼らにおける哲学的、文化的、芸術的な視野を通した「東洋」や「日本」そして彼等の人類史上 に燦然と輝く偉業への理解を一層深め、また検証していく上での貴重な記録として、一読を薦められる文 献的な高い価値を持っているということができそうである。 この二人にとって、結婚とはお互いを決して束縛しあう種類のものではなく、自由で自立的できわめて 高度な認識を有する近代市民としての相互を高く認め合い、愛情をもって助け合う、「契約結婚」とい う形式を選択することで、二人は、当時の世界の話題を独占することになっていった。何事に於いても 世界最高だった、この天才的なフランス人カップルは、最も高度な世界的な段階におけるあらゆる物事 の生き方、スタイルに関する人類救済的で近代的な最先端理論リーダーであった。 そして、この二人によって、実際の日本列島における万物の存在が、聡明かつ天才だけが到達できる高度 な認識において確認され、友情と共感と尊敬とにおいて優れてよりよく理解され、コメントが語られるこ とには、西洋最高の文化の評価的権威によって、日本という国が欧米社会に於いて広く好意的に価値付 けられ、伝えられ、世界的な人類文明の最も文化的に発展した大都市であった当時のパリのサロンにお いて、当時におけるリアルタイムの日本が、あらゆる面できわめて一流の価値を持つ文明的、文化的、 歴史的な近代国家として、文化的な友好と畏敬の念や憧れとが超一級の扱いで払われることを意味した。 成程、戦前・戦後を通じてわか国に来日した世界的なスーパースターということに限れば、マリリン・ モンロー夫妻を始めとした多くの偉人をはじめとしたセレブたちの名に、歴史上で出会うことはできる。 しかし、多くは政治家や財界人、海外芸能人、そして一般的な作家たちであって、彼らは時代の顔には 違いなかったが、決してこの世の文明や文化、人類全体を統括的に指導した文化人ではなく、当時のヴ ィヴィッドなトレンドの一端をタイムリーにわが国に向けて披露したに過ぎない。 サルトルとボーヴォワールは、きわめて合理的で科学理論的な構造主義の頭脳があえて避けようとする ような無慈悲な「不条理」の域においてもあえてメスを入れようとする執刀医の如く、広く世界中の 市民の置かれた精神的な困難に向けて熱心に理解的、支援的、解明的であろうとしたために、哲学者や 文学者の域を大きく上回って、世界的にも第一線に立ち、世界中のあらゆる政治家や宗教指導者のレベ ルを超越した、唯一無二の傑出した人類救済の理論指導者としての人格者的な尊敬を集め、各国で大歓 迎のうちに迎え入れられた経緯を誇ってきているのである。 そして、彼らが故国フランスから日本へと颯爽と降り立ち、わが国が誇る様々な風光明媚な土地を訪れ、 学者や学生、国内の多くの第一線にいた文化人らとの友好的な会談の場を持ちながら、日本人自身が忘 れ去っているあまりにも美しい日本列島上を、世界的な文化人らしい足跡を各地に残していったのであ った。 多くの写真を用いて、「浅草寺の仲見世」から「原爆ドーム」等々、一つ一つの歴史的文化的な記念物を、 実に丹念に目撃しながら日本での美しく優雅なバカンスを続けていったサルトルとボーヴォワールの人生の 旅路の美しい断片は、世界的な激動を経て、人類が自ら弾き金を引き、そして受けた惨禍、種としての人類 のエゴと犠牲、そして喜びに関する不条理に、日本国内にいても尚一層の丹念な検証を続けていた哲学的な 移動即ち遍歴の模様が、ボーヴォワールのみならずやや甘味気味の文体ながらも成長期の少女の心の揺れや エゴイズムを不条理の観点から適切に描ききった、あのサガンをも翻訳した端正で流麗な美しい筆致により、 それでいて重大な歴史ドラマに関して徹底的に冷静でジャーナリスティックな眼と耳とにより、時の状況が 如何なく証言されている。 無論、彼らは(それでも)所詮永久に不完全な自我を背負わされた人間の一人一人にも過ぎず、彼等のきわめて 聡明で洗練され能弁でエレガントな文化検証の行路の陰においても、人は人として完全であることだけは決して できなかった。無論そこには様々な軌跡をたどる確執だって存在していたはずなのだが、淡々とした潔い紀行文 にして客観的な行動記録には、日本人として彼らの足取りに接することのできた喜びというものを、謙虚に感じ ることができたことは、きわめてかけがえのない読書体験になった。 |
[文: FLEX-J Webmaster 2002/07/19] |
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