さて、通学制プログラムと通信教育制プログラムとでは、何が同じで何が異なるのか。
基本的には大学は大学なので、内容的には何も変わりません。
みんなが嫌いな第二外国語も、教養科目も、専門科目もしっかりと義務づけられていて、当然卒業論文も、きっちり提出しなければならない。
通学制プログラムであれ通信教育制プログラムであれ、何のための勉強だかわからない高校までのカリキュラムとは全く違う、学生の好みで行ける世界なので、教養課程でも専門課程でもストレスがたまるということはなく、ヒアリングが苦手な学生が外国人講師の講座でてんやわんやするということはあれ、とりあえずほとんどの講師はわかる話をしてくれますし、通信教育プログラムのリーディング講座でマイクを持った講師の先生の講義にあたるのは各大学で独自編纂しているテキストで、こちらも読めばわかるようになっている。もちろん、いくら通信教育プログラムの学生とはいえ、全単位のうちの最低25パーセント(通学プログラムの一年間分)はキャンパスで授業を受けることが義務づけられており、また、慶應義塾大学ではさらに希望制で最終学年の授業を通年で通学コースの授業から科目を選んで単位を取得できる。学位の効力は通学制プログラムのものと通信教育制プログラムのものとで同等とみなされ、どちらのコースを卒業しても正式の大学学部卒者と認定されます。
それぞれのコースにそれぞれらしいメリットがあり、またデメリットもある。
通学制プログラムでは、年間を通した教室講座であり、講師の人が自作したプリントをテキストにできやすいので教養課程の授業ではかなりアップトゥデートで知的トレンドにも即応した授業内容を取り入れられやすかったりする。その分、運悪く授業に出られなかったりして配布物を受け取れなかったりすると半年分2単位が無駄になってしまいがちというあたりは短所かも知れない。また、スケジュールがきっちりと決められているので指定された通りの学習をしていれば、基本的には四年間で時間のロスなく卒業することが可能になります。たいへんだったり、難しかったりすることは何もありません。ただし過密スケジュールになりがちな体力勝負でもあります。とりわけ文学部の外国文学系コースなどの学部生でバイリンガルではない人は、結構大変なノルマに追われたりします。予復習をしなくても板書さえしっかりとっていれば何とかなることの多い社会科学系のコースとは対照的です。
一方、通信教育制プログラムは、通学制プログラムで講師が話す内容のすべてがそれぞれ一冊以上のテキストになっていて、自宅などでとにかくテキストをきちんとまじめに読んでさえいれば年間を通して休まず授業に出たことと一緒になります。レポートを提出すると、指定された日に本校舎教室や地方会場を始めとした試験場で単位認定のためのテストを受けることができ、合格点をとれば単位がもらえます。卒業論文のテーマを決めて、教職課程をとった人はそちらのほうもやっつけて、スクーリングと呼ばれる通学講座でも必要な数の単位を取れば、後は卒業式で卒業学位をいただいて無事、プログラムの修了です。通信教育制プログラムへの入学の場面ではたいていの場合入試は課されず、アメリカの大学と同様に調査書やエッセイなど必要書類を提出すればそれだけで入学が許可されます。学習時間が不安定になりがちである一面、学費が割安でもあるので、すでにどこかの大学を出ていて就職している人が別分野の学位を取得したいような場面では、通信教育制プログラムは有効に機能するでしょう。
慶応義塾大学の通信教育プログラムを体験済という観点から言えることは、通信教育プログラムのテキスト内容は意外なほど固くてマニアックにつくられている・・・つまり慶応義塾大学のそれの場合はきわめてハイレベルだったということがいえます。知的な部分での歯ごたえがあってなかなか悪くないコースでした。アメリカやイギリスではインターネットなどと直結して、むしろ通信教育制プログラムで学習した方が立体的で中身のある学習が可能となるという話も聞かれます。それに加えて副読本を自分でいろいろと読んでいく必要があります。さらには、講師の人はたいていが通学制プログラムでの指導と兼務しているので、授業レベルでも通学制プログラムの人と全く同じレベルの学生であることが要求されます。それでも自分が選んだスクーリング授業の単位で落としたものはなかったので、何とかなるでしょう。ただしテキスト授業のほうではなかなかうまく計画どおりにはかどらず、時間を無駄にすることがもったいなく思えてきたので、再び古巣の通学制プログラムへと復学したわけです。
慶應義塾大学の通信教育制プログラムは、実は一頃の某ミッション大学あたりではセントポール既卒者の多い意外な穴場としてもよく知られていたようです。
実際に僕は、夏期の三田キャンパスの授業期間に、面識のあった陽気なノリのセントポール既卒者を短い間に何人か目撃しているのだった。
すでに就職をしたり家業を継いでいるはずの彼らがいったい何を狙って三田校舎に集結していたのか・・・となれば、そう多くの場合彼らの目的は、他大学既卒者特典で全カリ(一般教養)免除の三年次編入を果たしてそのまま慶応の学位(慶応では通学制と通信制の区分が記されない共通の学位が、通学部の学生と一緒の卒業式で授与される)を手にして、それから彼らが目指しているのはもちろん、サラリーマン生活に人生を捧げている向き以外では、当然のこととして通学制の慶応大学院への無理のない進学実現というわけなのである。
そのために彼らは、一般の校舎授業や最終学年で認められる一年間を通学部の学生に混じって過ごす通年スクーリングなどにより、卒論指導で慶応閥の教授との間に面識を作っておいて、立教大学の大学院が苦手とする分野を中心としていつのまにやら慶応閥になりきりながら大学院から研究者へと至る道を歩もうとしていたりする訳なのだ。
立教既卒組に特徴的なガッツとしたたかさを遺憾なく三田キャンパスでまで眺めるにつけ、気ままに中途で転入学してしまった僕もさすがに「ここへは古巣を出てから来るべきだった・・・」と愕然とした思いが強く残ったのである。
「文学を学ぶ上で、外国文学作品はいつ読み始めて研究を始めても遅いということはないが、哲学はできるだけ若いうちに高度な理解をつくっておかなければ文化を統合する根本的思想、すなわち万事について本格的なことが何も語れない」と痛感していた僕は、外国文学購読から哲学・社会学研究への専攻変更のために大学を移っていた(注/某ミッション系大学の文学部には哲学科がないくらいに迷信的ですなわち近代哲学的な観点が一般教養レベルで止まっていたりするなど、つまり現代的な認識にも乏しく、まともな会話力寄りの語学試験もせずに入れているくせにいたずらな会話力を求めてくるなど見かけ上のテクニックばかりを追求、ゆえにお世辞にも人間研究のための文学部としてのレベルが高いとはいえない)のだが、実際僕が編入していた時期よりも以前からいまどきの通信教育制コースには大学既卒者の姿がとにかく多く、通学期間のキャンパス内もとにかく若かったのである。通学部と同格のマニアックな授業システムで単位を取得すれば、卒業する頃には確かに慶応卒らしい卒業生が生まれるという寸法だ。
大学既卒者に限らず、なかなか大学に受からずに落ち込んでいるような人の場合にも、とりあえず目指す大学が通学制プログラムにある場合には受験勉強は続けつつ、通信教育制プログラムへの入学を検討するのは良策だと思われる。大学がどういうものかがわかって的がしぼれれば、受験勉強上での無駄もなくなって、他大学の通学制プログラムの入試であってもおそらく受かることでしょう。
なお、ロンドン大学やアメリカの名門大学でも日本からの通信教育制プログラム履修生を募集しています。英語が万能だったら、日本にいて働きながらにして海外名門校の学位を取得でき、一気に海外法人のニューヨーク本社へスペシャリストとして栄転することも夢ではない。スクーリングは本国のほか、日本国内や近隣の香港あたりでも受けられるし、レポートや卒論は英文で提出して下さい。海外では大学院課程の通信教育プログラムも発達していますので、念のため。
それでは皆さん、グッドラック。
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