十六時十分。

 プレハブ校舎前で話をしていたら、
「たかちゃーん!」
 と、幼女の呼ぶ声が聞こえてきた。
 どうやら、5121小隊名物「あらゆる年齢の女性が瀬戸口を学校まで呼び出しに来る」という、年中行事がまた起きたらしい。
「遊ぼ〜」
 5121小隊のアイドル・ののみとよく似た、とても小さな女の子が駆けてきて、たかちゃんこと瀬戸口隆之にまとわりついた。
「うん、じゃあ、行こうか」
 彼は彼女に「対女子限定・瀬戸口スマイル」を見せて、それから――
「……悪ィな」
 と、あんまり反省してなさそうな顔で、速水厚志の方を振り向いた。
「どうやらお呼びのようだ。HRの代返を頼むよ、あっちゃん」
「うん。その子と、これからデートなの?」
 速水は、ぽややんな笑顔を見せた。
 自分たちには、学兵に定められた仕事が残っているけど、仕事場から去ろうとする彼を止めるつもりはなかった。
 以前、彼の女関係について注意したら、
「真実を知りもしないで説教するな!」
 と、逆に自分が責められた時には閉口したし……。
(でも、隆之が女の子と一緒に消えるのはこれで何度目だったっけ?)
 速水は、ふと考える。
(そういえば、前に隆之がデートに消えた次の日は、いつもの「熱い抱擁」が無かったよーな……)
 小さな、彼の変化を思い出す。
(それに、隆之からは血の匂いがした。隆之は痛くないフリをしていたけど、あの日はきっと怪我してたんだ)
 そこまで思い出した速水は、もう笑えなかった。
 女の子が速水の変貌を見ておっかながるぐらい、速水の顔つきが真剣になって――
「……あの」
 速水は、もじもじと瀬戸口に話し掛けた。
「なーに?」
 瀬戸口も、心なしか真面目な顔で聞き返す。
「……喧嘩、しないでね。お願いだよ」
「は? ……なにそれ」
 速水の真意を量りかねた瀬戸口は腕を組んで顔をしかめ……そして、自分の演技が速水に通用しなくなってきた事に気付いた。
「だって、この前デートに行くって言ってたのに、瀬戸口君、次の日凄い怪我してたじゃん」
「何だ、そんな事か」
  ――速水の言う通りだったから、瀬戸口は内心、速水の観察力の良さに脱帽した。

 でも、事の詳細を速水が知る必要は、ない。

「そりゃきっと気のせいだよ、気のせい」
「――気のせいだったら別にいいんだけど……」
 まだ心配そうな速水を見て(慣れてくるというのは良い事ばかりでもないものだ)と、瀬戸口は感じた。
 だんだん誤魔化しが利かなくなってきて、速水もみんなも表と裏の存在に気付き始めてしまう。でも、裏なんて知らなくていい事だ。――どうしたら、知る前にそれを教えてやれるんだろう?

 知ってしまったらそれで最後なのに……。
 
「瀬戸口君は何にも教えてくれないから……。肝心な事は何も。それってズルイよ」

(隆之は何か隠してる)
 とはじめて気付いたのは、たまにその言葉の端々にのぼる、瀬戸口らしくない台詞を聞いた時だった。
 それからこの前の「謎の大怪我」に気付いた時に、不安は確信に変わってしまっている。
 一人で、人の知らない所で大怪我をしてくる彼が心配で――速水は思わず「行かないで」と言いたくなってしまう。
「……でも……」
「あっちゃんは本気で俺の事を心配してくれてるんだな。嬉しいねえ」
 瀬戸口は、ぎゅーっ、と思いきり強く速水の小さい体を抱きしめた。
 嬉しいのは、本当だった。
 速水は誰にでも優しいから、時々、ひどい勘違いしてしまうくらいに、彼を好きになってしまう。
 ……速水が「ぎゅー」を嫌いなのは知ってたけど。

「うにゃー!」

(また抱きしめられてしまった! しかも男に!)
 そこでカチーン、と思考が氷りついてしまった速水は、まんまと誤魔化されているのにまだ気付いていない。

(よかった、これまだ効きそうだな)
 と、瀬戸口は安堵した。

「ふふ。相変わらずの反応ごちそうさま」
 まだ名残惜しげに速水を抱きしめてたけど、時間を気にして瀬戸口はそこから離れた。
「まあ、そんなに心配するな。俺は幼稚園児の相手してくるだけなんだぜ。……じゃあな、坊や」
 まだちょっと不満そうな速水にそう言い残して、瀬戸口は去っていった。

   †

 十六時三十分。

 ハンガー二階の仕事場には緊張感のある真面目な雰囲気が漂っていた。
 三番機のパイロットの仕事は舞に任せてあるから、遅れている整備士の仕事を手伝おうとしていたら、ヨーコさんが、こんな事を言った。
「今遠くで、心に響く優シいメロディ聞いたデス。仕事時間中に、誰でしょうか?」
「歌……? 僕には聞こえないよ」
 速水は、うらやましいな、と言ってただ笑った。
「でも、頑張れば僕にも聞こえるかなあ……?」

   †

 十六時二十五分。

「……たまには、歌ってみるか」

 瀬戸口は、高いビルの屋上で独り言を言った。
 目の前には、幻獣軍が見える。
 一般市民は避難してるから、今、ここにいるのは瀬戸口だけだった。
 人類は現在、圧倒的に不利な状況で、幻獣軍に制圧された土地は、この地区だけではない。
 そのうえ5121小隊は、現在一番機が故障していて二番機のパイロットは相変わらず不在だった。
 5121小隊は、政府の「一年保てば良い」という程度の考えの基に編制された、子供だけのしがない軍隊で、部隊の人間がここから生還をする事など、誰も考えていない。そのうえ、編制されてから一ヶ月も経っていない現在、この部隊の戦力は無いに等しかった。
 仲間の敗戦が目に見えていたから、瀬戸口は今、戦場にいた。
 ――本当は、出撃するのは嫌いだし、戦争なんて糞くらえといつも思っている。
 でも、大事な人の命を守る為にだったら元の姿に戻ってでも戦おう――と、瀬戸口は思う。
 元の姿に戻る所は流石に人には見せられないけど、それでも仲間の役に立つなら、命の一つや二つくらいは捨ててもいい気がした。
 好きだから、助けたい。
 ――愛してる、とは違うけど「好き」。
 あんなに優しい人を、今まで知らなかった。
 もしかしたら、優しい気持ちは、人にうつるものなのかもしれない。――こんな気分になったのは、何百年ぶりだろう?

 ……そして。
 いくら自分が絢爛舞踏で戦慣れしているとはいっても、たった一人で戦う事への恐怖を忘れる為に、彼はその歌を歌い始めた。

  「はるかなる未来への階段を駆け上がる
  私は今一人じゃない」

 †

 十六時三十五分。

 ハンガー二階では、次の戦闘のために急ピッチで整備が進んでいる。
 善行司令が、「今日は出撃を見合わせるから、整備を急いで士魂号を使える状態にしろ」……と皆に命令しているから、今日、仕事をさぼっているのは瀬戸口くらいだった。
(予備の機体が買えれば一番良いんだけど、今この部隊にはそんな余裕は無いし……もし、今日、幻獣軍が攻めてきたら、それこそこの部隊は全滅してしまうかもしれない。だいたい、敵が多すぎる。幻獣たちは、いったい、何故現れて、どうして人類を攻撃するんだろう……?)
 ――沈んだ気分で考え事をしていた速水は、自分でも気がつかないうちに、何故か歌を歌いはじめていた。

  「そうよ未来はいつだって
  このマーチとともにある
  私は今一人じゃない   
  いつどこにあろうと   
  ともに歌う仲間がいる」

 速水の隣で、その歌を聞いたヨーコさんが微笑んだ。
「――なんだか、楽しそうですネ」
「この歌、好きなんだ」
 速水は、仕事の手を休めないでそう答える。
「歌、とっても上手デス。ベリベリナイス!」
「ありがとう。……歌、瀬戸口君から教えてもらったんだ。あの人、声が綺麗だし歌もうまいから、通信係がよく似合ってると思う」
「……それで、さぼり癖がなければもっと良いんですけどネ。さっき裏庭を見てきたら、オペレーターは誰も仕事してなかったデス……」
「ののちゃんはもう寝ちゃったから……」
「ののちゃんは小さい子だからいいんです! 問題は瀬戸口さん。最近、さぼりすぎだと思いませんか? 今度叱っておいてくださいネ」
「えっと。あ、はい。判りました」
「……まったく、もう。あの人、もしかしたら今ごろ、カラオケでも行ってるかもしれませんネ」
 仕事をしながら、ヨーコさんは遠くを見た。
 ワールド・タイムゲートを抜けてきた父を持つという彼女の目には、いったい何が映ったのだろう……?
 おかしな人が戦っている、と速水に告げるべきかどうか迷い、そして、彼女は言うのを止めた。
 今、遠くで戦っている人を援護するために速水に出撃されたら、この小隊は一番大事な「戦力」を失う事になってしまう。
 ……彼を見殺しにするわけじゃないけれど。
 ヨーコさんは、俯き、一心不乱に目の前の仕事に戻った。
 急がないと何か大変な事が起きるとでもいうふうに、さっきよりもずっと早く。
「なんか、その方が瀬戸口君らしい気がする……」
 速水は、曖昧にそう答えて――、それからまた何かに釣られたようにガンパレードマーチを歌い始めた。

 †

 二十三時〇〇分。

 残業を終えて、そろそろ帰宅しようと思って、速水は舞を誘って一日の作業報告を書き始めた。
 パソコンの作業報告の画面を出すと、

 【一日の戦果報告】

 に、おかしなメッセージが出ていた。

 ――謎の幻獣が同士打ちをしています――

「ねえ、舞。幻獣が同士討ちしてるんだって。……それって、どんな幻獣なんだろうね」
 舞も作業報告のモニターを覗き込む。
「ほんとだ。……同士討ちか。人類の味方をする幻獣もいるのだろうか」
 哲学者っぽく、舞は細い眉をひそめた。
「……きっと、幻獣にも、いいひとがいるんだよ」
 速水は、悲しそうにそう言った。
 どうして幻獣とは解りあえないのか、それに、どうしたら皆、仲直りができるのか――そんな事を考え始めると、絶望を感じるだけで悲しくなる。
「幻獣なのに人を守る不器用な輩がいて――人なのに、幻獣を守る不器用な輩がいる。我等は、同じような過ちを双方で犯している気がするな」
「どうしたら、皆、仲良くなれるんだろうね」
「そういえば、そういう台詞をよく言う男がいたな」
「あ。……あの人の口癖、移っちゃったかなぁ?」
「かなり、移ってると思うぞ。最近、ちょっとかんじが似てきたし」
 舞は、笑った。
「そう?」
 突然、速水は舞をぎゅーと抱きしめて、それから舞の耳に息を吹きかけた。
「うわっ。なにする!」
 舞は、敏感すぎるくらいの反応をするとずざざざと後ずさりして、速水から逃げた。 
「最近、瀬戸口君から女の子のくどき方、教えてもらってるんだ」
 速水は、解ってるんだか天然なんだか、謎な笑顔を見せた。
「そういう悪い所は似なくていい!」
「本当に?」
「だって、あの男は、この部隊きってのさぼり魔で、ろくでなしで女ったらしなんだぞ!」
「そうだけど……でも、いいひとだよ。――明日もまた皆に会えるといいな」
 速水は、せつなそうにまたモニターを見つめた。

 ――謎の幻獣が同士打ちをしています――

 このメッセージが出たのは、実は今回がはじめてではない。始めてじゃないから、また読み直した。
 そのメッセージには血のにおいがして、黙って行ってしまう人の影が見えた。
(でも、あの人と、きっと明日また会えるよね?)
 と、そう、信じたかった。

   †

 二十四時三十分。 

 夕飯は、最近速水と舞の二人で食べる事が多い。
 夜は、速水が仕度する事になっているので舞は速水の家で遅い晩ご飯を食べていた。
「ごちそうさま。あ、舞はゆっくり食べてていいよ」
 先に食べ終わった小食速水はまたエプロンをして、なにかお菓子を作り始めた。
「今日は何を作るつもりだ?」
 舞は、ぼんやりと速水の手先を眺めている。
「らくがん」
「はあ?」
「落雁。だよ」
「なんで」
「瀬戸口君が好きだって言ってたから」
「落雁って、砂糖の塊みたいなやつではなかったかな」
「うん。でも、裏マーケットで売ってる砂糖じゃダメなんだ。和三盆じゃないと、くどくなっちゃう」
 速水は、大事そうに和紙の包みを取り出した。
「これがそれ?」
「そうだよ。前、砂糖で作ったらあんまりおいしくなかったから、こっち手に入れてみたんだ。今度はうまく行くといいなぁ」
「高くはなかったか?」
「値段は聞かないで。恥ずかしいもん」
「ということは、砂糖より高いのであろう?」
「……うん」
「じゃあ、二万二千五百円以上したのか?」
「うん。……でも、他の人には秘密だよ」
「わかった、わかった!」
「それじゃ、今度の落雁は上手く出来る事をお祈りしてくださいね」
「……勝手にしろ」
 速水は料理を失敗する筈がない人なんだから、祈る必要もない――と、舞は思った。

   †

 明けて、八時四十分。

 一組教室は、今日も賑やかだった。
 戦争さえなければ、ただの学校となんにも変わらない風景だ。好きな人にお弁当をあげる女の子や、立ち話をする人たちの群れが見える。
「あっちゃん、おはよう」
 速水をぎゅーと抱きしめる瀬戸口の朝の挨拶は、今や一組の名物になってしまった。
 加藤なんかはちらっと見ただけですぐにそっぽを向いてしまう。
「おはよう!」
 速水は、瀬戸口が教室に戻ってきた事と、どうやら怪我をしてないらしい事を知って安心した。
「お菓子作ってきたから、あとで一緒に食べようよ」
 速水が瀬戸口にあげられるものといえば、笑顔とお菓子くらいなんだけれど、それがけっこう強力で――瀬戸口は、やっぱりこういうの好き、と思ってしまう。
「へえ。今日は何作ったの?」
「らくがん」
「……え?」
「舞も美味しいって言ってくれたから、味は多分大丈夫だと思うんだ」
「……砂糖、高くなかった?」
 戦時中なので、砂糖は、学兵の一週間分の給料を費やしても買えない貴重品となっている。
(一体どうやって速水は砂糖を買ったんだろう)
 と、瀬戸口は怪訝な顔をした。
「それは、秘密です」
 速水は、瀬戸口が遠くへ行ったまま帰って来ないような予感がした事も、瀬戸口がもし帰ってきたら、彼が喜びそうな事をしようと思った事も――
 何も言わないで、ただそう答えて微笑んだ。
「秘密なら仕方ないな。ありがとう。食べていい?」
「うん。でも今お茶ないけど」
「いいよ。味見、味見♪」
 梅の形をしたお菓子は、和三盆が入ってる事がよく解る品だった。
(和三盆なんてもう作られていてない筈なんだけど)
 瀬戸口は驚いて、ぼんやりとしてしまう。
「おはよーなの。」
 後ろから、ののみが覗き込んできた。
「おはよう、ののちゃんもこれ食べてみる?」
「うん!」
「それじゃ、どうぞ、お姫様」
 瀬戸口は、女子限定の笑みを見せ、ののみの小さな掌に落雁を一個置いた。
「ふわぁ。かわいいねぇ」
「あっちゃんが作ったんだよ」
 落雁を食べてみて、ののみはきょとんとした。
「ののみには、難しい味だったかな?」
「お口に入れたら、すぐになくなっちゃったよ〜」
「雪のお菓子みたいでしょ?」
「うん!」
「……味、どうだった?」
 速水が不安そうに味を聞いてきた。
「うん、懐かしい味がした」
「へぇ。瀬戸口君、これ、前は何処で食べたの?」
「んー、それは秘密」
「……最近、僕、いつも誤魔化されてるような気がするんだけど」
「なんだ? 落雁の材料費を教えてくれるんなら教えてやってもいいぞ」
「う〜」

 今までのお給料全部を砂糖に使った、とはとても言えない速水。
 ――そして、人には言えない方法で戦い続けている瀬戸口。
 二人はどこか不器用で、ある意味よく似ていた。
 「毛のはえたヤツ」同志なんだから似てるのも当たり前かもしれないけど。
 でも、誰にも言えない秘密なんて、きっと誰でも持ってるものなんだろう。

 ののみと一緒に、もう一個落雁を口の中に放り込みながら、瀬戸口は、最近よく感じる気持ちをまた感じていた。

 好き。

 ――好きだから、きっとみんな守りきってみせる。

 以前それに失敗しているからって、また失敗するとは限らないよな?
 『我が至高の女神』の魂が、もし、まだこの世界の何処かで光を放っているのなら――
 ――どうかYESだと言って欲しい。

 ――。

 祈りへの答えはいつもの如く無いかった。
 でも、例え彼女が「NO」と言ったとしても、瀬戸口には、その言葉を信じる気は無かった。


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