オーディション番組「ASAYAN」が主
催した『シャ乱Q女性ロックボーカリス
ト・オーディション』。「決勝へ残ったみ
んなが(GET)を自分のものにしようと
頑張っていた」と言うように、課題曲と
して指定された「GET」を誰が歌うかを
当時は全員で競いあっていた。その難
関を突破して“この歌をGETする栄冠”
を勝ち取り、晴れてデビューの道を飾っ
たのが平家みちよだった。
オーディションでのグランプリ獲得後、
間髪入れずプロのボーカリストとして
の道を歩み始めた彼女だが、当時はま
だ高校3年生。しかも東京と三重の実家
との往復の日々で、考える余裕もない
ほどの忙しさを経験。そしてデビュー
3ヵ月後には、早くもセカンド・シング
ル「卒業〜TOP OF THE WORLD〜」
を、翌月にはファースト・アルバム
「Teenage Dream」を発売。目まぐるし
い日々の中、無事に高校を卒業。晴れて
音楽のみに専念できる環境が整い上京
してきた彼女だったが……。
「“これで歌に専念できるぞ!”と思って
たら、以前より仕事にめまぐるしさが
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なくなり、少し不安になってしまった
んです」
と語るように、本人の強い意志とは
裏腹に、平家みちよを取り巻く状況は
けっして追い風ばかりではなかった。
それでも彼女はこの当時、平均3〜4ヵ
月ペースで、「ダイキライ」「だけど愛し
すぎて」「アナタの夢になりたい」と、伸
びやかに歌いあげる“平家みちよスタ
イル”を築き上げた楽曲をリリースし
続けてきた。そんな彼女に訪れた初め
ての大きな挫折……。
「一生懸命活動してるのに、なかなか次
のシングルを出せる状況が見えてこない。
“一体、今の私はどこのポジションにい
るんだろう”と、出口の見えないトンネ
ルへ紛れ込んだかのように、あのころ
(99年当時)はすごく悩んでいたんです」
そんな苦悩の時期にようやくつかんだ、
シングル「scene」の発売。その作品を
引っさげての、初の本格的な全国イン
ストア・イベント。
「私、これまで生きてきた21年間の人生
の中で、最高に感動したのが、そのとき
のインストア・イベントだったんです。
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じつは<だけど愛しすぎて>を発売した
ときにも、モーニング娘。と一緒に出演
映画の上映会&ライブで全国を廻った
んですけど、そのときも、それまで熱狂
してたお客さんが私の歌が始まると同
時に席へ座ってしまうような状況にな
って、悲しい想いを経験してたんです。
だけど、たまたま目に入った1人の男の
子が、私の歌に合わせ一緒に口づさん
でくれてたんです。それを見たときに、私、
涙が止まらなくなっちゃって。そのと
きと同じ感動が<scene>の全国インス
トア・ライブのときにもたくさんあっ
て……。ホントそのときからですね。“私
はみんなの笑顔のために歌っていくんだ”
と強い決意を固められたのは」
平家みちよの心の中へ芽生えた大き
な転機。その決意が具体的な形となっ
て現れ始めたのが、黄色5への参加であ
り、つんくプロデュースで発売した「ワ
ンルーム夏の恋物語」「愛の力」だった。
今回リリースされたシングル・コレク
ション『For ourself〜Single History
〜』には、そんな平家みちよの激動な活
動の歩みがすべて集約されている。
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