第一章


 木々の葉も散り、そろそろ厳しい冬に入りかけていた。

 ソルは、いつものように、仕事に向かっていた。風の冷たさが、冬の到来を告げる。フードが飛ばされないように手で押さえながら、彼は小走りに仕事場に向かった。

 この村は、都への街道の途中にある。いわば宿場町として生まれた。地方から都へ向かう人々が休息を取るために立ち寄るので、当然ながら、宿屋が何軒か営まれている。ソルの仕事場も、そんな宿屋の一つであった。

 他の宿と比べると、小規模で、宿泊客もさほど泊まれないが、その手厚いもてなしは、一度泊まった客の心をつかみ、客はいつもここに立ち寄るようになっていった。

「昨夜も結局、部屋は全部埋まってたなあ」

 ソルは寒さを紛らわせるようにポツリと呟いた。もうすぐ冬が始まるこの時期は、この村に訪れる旅人も減ってくる。何軒かの宿は、もはや閑古鳥が鳴いているというのに、なぜか彼の働く宿屋は、ほとんど客が途絶えることはない。

 もちろんその分、仕事が増えるわけだが、ソルにはさほど苦ではなかった。宿屋の仕事といえば、掃除、炊事、洗濯、接客などさまざまなことをこなさなければならないが、家事はそんなに嫌いでもない。給料は決して高くはないが、自分とアレフが生活していく分には十分なほど貰っている。

 何よりも、宿屋を営んでいる一家が、彼は好きだった。人が良すぎると言っても良いほど温和な主人。いつもはおっとりしているが、金銭管理能力が非常に優れていて、いざというときは、どちらが主人であるかわからなくなるようなしっかりものの奥さん。そして……

「ちょっと。人の話聞いてるの?」

 不機嫌そうな声に、彼は我に返った。皿を洗う手を止め、顔を上げると、そこに声と同じように不機嫌そうな顔が一つ。

「あ、フィーユさん」

 声の主は、この宿の主人の一人娘、フィーユであった。

「あ、じゃないでしょ。ボッとしちゃって。わたしの話聞いてた?」

「あ…は、はい。もちろんじゃないですかあ。あはは」

 心に冷や汗をかきつつも、なんとか笑顔をつくったソルに、フィーユは追い討ちをかけた。

「あら、そう。じゃあ何て言ったか当然わかるよねえ」

「あ……聞いてはいたんですけど、忘れちゃいました。最近物忘れが激しくて……」

「そんなわけないでしょ!」

 しどろもどろ答える彼に、彼女は冷酷に言い放った。しかしすぐ顔に苦笑を浮かべ、軽く溜め息をついた。

「まったく……ソルは考え込んじゃうと、すぐ自分の世界に入っちゃう癖があるんじゃない?」

「あはは、そうかもしれません。すいません」

 ソルはほっとして、肩の力を抜いた。いつものようにぶたれるのではないかと心配したが、どうやら今日は機嫌が良いようである。

 フィーユは、歳はソルより少し上である。その顔は端正で整っているが、冷たさは無く、人々に暖かい印象を与える。髪は真っ黒で長く、いつも一まとめにして腰のあたりまで降ろしていた。村でも美人の部類に入るようで、言い寄ってくる男は絶えない。

(みんな外見に惑わされているよな……)

 ソルはそう思わざるを得ない。宿に宿泊客がいるときなど、彼女はどこかのお姫様のような物腰で、まるで別人のような振る舞いをする。が、家族やソルだけしかいないときなど、その活発で、男勝りな性格の片鱗を見せるのである。彼にとっては迷惑極まりない。

 だがもちろん、彼は彼女のことは嫌いではない。それどころか、そのさっぱりとした性格に、好意すら持っていた。あまり女性らしくはないかもしれないが、外見とは別に、どこか彼女には人を引き付けるところがあった。

 フィーユは、ソルの亡き実姉を思い出させることがあった。姉は両親とともに他界したが、昔からよくソルの世話をしてくれた覚えがある。実姉とは、幼いころはよく一緒に川原で遊んだものだ。溺れかけてしまったソルを、命懸けで助けてくれたこともある……・

「で、話なんだけどね」

「は、はい」

 ソルは慌てて頭を振って、フィーユの言葉に耳を傾けた。また自分の世界に入ったりしたら、今度は何をされるかわからない。

「今日、昼ご飯食べたら、買い物につきあって欲しいんだけど」

「買い物……ですか」

「洋服屋さんで、良い服を見つけたんだ」

「服なら、この間買ったばかりじゃないですか」

「あれは秋ものでしょ? 今度は冬もの買わなきゃ。他にもいろいろ買うかもしれないから、荷物持ちが必要だと思わない?」

「いや、あの……昼休みは、本でも読もうかな、と……読みかけの本があるんですけどね……」

「え、何? わたしより本を取るっていうの? ふーん……」

 フィーユは不満そうに鼻を鳴らした。経験から、これは危険な兆候だとわかる。

「あ、いえ、いいんです。実は僕も体がなまり気味なんで、運動が必要かな、なんて思ってましてですね」

 ソルは我ながら白々しいなと思いながら、体を動かす真似をした。

「そうよねえ。運動には荷物運んだりするのが良いってよく聞くね」

「わかりました。お供します。いえ、お供させてください!」

 心の中で涙を流しながら、ソルは精一杯のつくり笑いを浮かべた。昨夜アレフに邪魔されて読めなかった本の続きも気になるが、フィーユの誘い、いや、命令を断る勇気を、彼は持ち合わせていなかった。

「よし。じゃあ昼休みにね」

 フィーユは満足げに頷くと、使用済みのシーツを取り込むために二階に上がっていった。

「性格はまるで逆だな……」

 ソルはフィーユを目で追いながら呟いた。雰囲気そのものは実の姉にそっくりだと思うのだが、どちらかというと優しく、弱いところがあった姉と、強さがひしひしと感じられるフィーユでは、人格に大きな差があるようだっだ。

「えー、何か言った!?」

 二階から大きな声が聞こえ、ソルは内心ビクリとしながら答えた。

「い、いえ、何でもありませんよ!」

(まるで地獄耳だな……)

 ソルは溜め息をついた。そしてふと思った。

(僕、一日に何回溜め息をついてるんだろ?)

 

 

……亮、第二回……

 


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