もう誰にも止められない

 今このように書いてきたことは現実としてこの数年の間に現れてきて、みんな避けることができないことなのです。
 やはり来年か再来年に予定されている第二次朝鮮動乱のことも書きたいのですが、話が複雑になりすぎ本書の趣旨から外れてくるのと、出版する時期を逃してしまうので、残念ですがやめることにします。しかし今回の日本崩壊の第一幕は経済崩壊、第二幕は第二次朝鮮動乱を含む極東アジア動乱の渦に日本も巻き込まれることです。
 そして第三幕、終章大団円は、自然に意志がるのなら第二関東大震災と富士を初めとする火山の噴火、フォッサマグナ、中央構造線、南海海溝というプレートの移動を原因とした大地震大津波がとどめとなり、その大混乱により人的な混乱は収束に向かい、新しい社会システムが其処比処の疎開地の中に芽生えはじめるでしょう。それこそが『天給自足』『与えるが先』『相互補完』を礎にした
『農』を中心にした社会システムなのです。


見栄、欲、保身の業を超えたときに

 人間は業な生き物です。なかなか自ら進んで変わることはできません。特に自らが、見栄のため欲のため保身のために一番大切に思っているこになればなるほどなかなか捨てれるものではありません。
 でも今回の一連の社会システムの制度疲労による崩壊によって、見栄、欲、保身を支えていた土台が崩れてゆきます。今までのあなた自らが大切に思っていたものはそのうち意味を失い、何の値打ちもなくなります。
 そして、空気、水、太陽の光、健康な身体、土、食べ物、住むところ、助け合える他人の存在、そしてそれらを与えてくれている元のもとの自然のありがたみに気づいてゆくことになります。そうです、今まで当たり前と思っていて気にもとめなかった、存在さえ忘れていたものに。この混乱の時代を生き残った人がそのことに気づいてゆくのは、外国から見て「あの日本は今度こそ完全に消滅してしまった、再起不能である。」と思われたときになるでしょう。


産みの苦しみの時代

 このたびの制度崩壊は前にも申しましたように、たとえて言えば十月十日、胎児の成長を支え発育させてきた酸素と栄養分を支える唯一のライフ・ラインである臍の緒と胎盤が老化し、その機能がなくなるために胎児が酸素欠乏で苦しくなり、今まで快適に暮らしてきた子宮の羊水のプールから、見知らぬ外界に誕生することを選ぶようなものです。産
誕生という仕組みは、臍の緒と胎盤が崩壊しなければ起こらないのです。
 今の医学の最先端では、出産のタイミングは胎児が母体に指示するそうです。出産は、母体も痛いのですが胎児にとっては生死を分けるほど苦しいことです。しかし、酸欠になると胎児は呼吸ができなくなって死んでしまいます。だから背に腹は代えられず、苦しい出産を自ら選び、母体に働きかけて出産を起こすのです。
 臍の緒と胎盤の老化を遅らせれば胎児が成長しすぎ当然難産になります。難産になると胎児が死亡したり脳性麻痺になったりする率が高くなります。当然のことです。それなのに、今皆さんが、今の社会経済システムを守ろう、崩壊を食い止めようと努力しているのは、臍の緒と胎盤の老化を遅らせることと同じことであるということになぜお気づきにならないのでしょう。むしろ、少し息が苦しくなってきた今こそ、自ら一時の苦しさに耐えて出産を選ぶときなのです。


社会システムが変わるには

 具体的に言えば、今までの暮らし、社会生活パターン、考え方を変えることです。そしてそれは難しいことです。でも考えを変えることには金は要りません。この社会システムへの過剰な依存心を徐々に少なくして、それを少しずつ行動に現わしてゆくだけなのでいのです。
 東京バブルがはじける前に、このような社会生活パターンを変えることを主張しまた実践した方々が何人もおいでになります。しかし、頭がバブルで浮かれた皆さん方は変人気違いあつかいをして軽蔑しました。まだ機が熟していなかったからです。やはり天才と称される人々は世間より数歩先を観て、しかも自ら行ないに現わす方々だと思います。世間がようよう認めるのは半歩先を行く者に対し
てがせいぜいなのでしょう。
 ちょうど早産した未熟児にとっては、おのれが身体の適応が完全ではないために、産まれ落ちた環境が過酷に感じるように。


すでに時は至れり。

 でも、あれからもうすぐ十年、十月十日たったのです。これ以上現状に留まろうとすることは難産を意味します。気がついた方から『天給自足』『与えるが先』『相互補完』を礎にした『農』を中心にした社会システムに一歩ずつ進んでください。こればっかりは皆さんもれなくあたるクジではありますが、楽に歩むには早い者勝ちなのです。
 確かに初めは不便で苦しくて、今までの『便利』『簡単』『気持ち良い』の生活に戻りたいと思うことも多々あると思います。でもそのうちに今までの生活がいかに『見栄』と『欲』と『保身』でガンジガラメになって、いかに不自由な暮らしであったかを実感できる時がまいります。


『未体験ゾーン』では体験あるのみ

 いくら頭で考えていても人間というものは業な生き物、体験したことしか判りません。考えて考えて、石橋を叩いても恐くて渡れないようではこれから起こる混乱の時代を生き抜くことは不可能です。しょせん頭で考えることなど過去の経験の蓄積でしかありません。これから日本で起こることは、歴史上初めて、世界で初めて起こるできごとなのです。
 だいたい今の日本の特徴である、管理の行き届いた社会制度や完備されたインフラ、物質的金銭的な豊かさとその一方での精神の幼児化、規範の崩壊によるアノミー状態などがいったいとして存在したことなどは、過去の歴史には例がありません。その世界史上例を見ない国が、今自らの制度疲労によって自壊しようとしているのです。『我々は未体験ゾーンに突入する』というのはこういうことなのです。


パニックにならないために

 河井は平成九年の二月、講習を受けてスキューバ・ダイビングの免許をとることができました。その実地講習の中で、インストラクターの先生が「水の中でパニックになったときの対処法」を教えてくださいました。それはこういうものです。
 『判らなくなったら、今やっていることをまずやめる。すぐには溺れることはないから、気を落ち着けて最初に戻って考えてみる。』、これだけです、そしてこれしかないのです。
 もし今の社会制度が壊れてパニックになったら、それでもすぐに死ぬことはないから、今あがいていることをまずやめてみて、落ち着いて『人が生きるためには何が必要なのか?大事な順に優先順位をつけてみて、その順番に動いてみること』しかないのです。今までの内容をまとめてみましょう。


ご都合の『善』とご都合の『悪』

 1.今起こってきている大変に見える社会現象は、そしてこれから起こってくるもっと悲惨な社会現象は、人が自然の循環の仕組みから離れて、その小賢しい知恵で作り上げた不自然な社会システムがその不自然さに耐えきれず自己崩壊を始めたということです。
 元もと不自然であったものが自然に戻るプロセスですなので、自然の基本である「総てのものが循環し、自然全体にとって無駄なことはなく、総てが再使用され再生産につながる自然の循環システム」が判っているものの立場から見れば、これらの社会現象は次の社会システムの誕生のための『ありがたい』事なのですが、今までの「人間だけの都合を考え、人間に都合がいいことを『善』都合の悪いことを『悪』として発展した」この社会シ
ステムの社会常識に取り込まれた(洗脳された)立場から見れば、「何とかしなければいけない危機的状況」ですので『悪い』事に見えます。


現象の総ては『善』

 しかし、いったん人間の都合、もっと言えば『あなたの御都合主義』を離れてみれば、今起こっている、そしてこれから起こる総ての社会現象は『善きこと』なのです。自然の復讐などと言う人がいますが、自然は復讐などというケチ臭いことはしません。人間がみずから作り、後先を考えずに増築を重ねた建物が、その自重に耐え切れず、そして耐用年数が過ぎたため崩れていくだけのことです。『バベルの塔』は神が壊すのではありません。自らの重さに耐え切れず自壊するのです。
 そう、総ての現象は「あなたのご都合に関わらず」総てが『善きこと』なのです。だから何が起こっても動揺することなく、不安におののくことなく、ただ笑って観ていてください。
 もしあなたが『苦しい』と感じることがあれば、それはあなたが今の社会システムに依存している物事が切られてゆくときです。この『苦しさ』は臍の緒が切られる苦痛と恐怖ですが、同時に生まれ出ずる瞬間でもあるのです。まずこのことを御理解下さい。


社会システムの根元には。

 2.そして今起こってきている大変に見える社会現象は、そしてこれから起こってくるもっと悲惨な社会現象は、その総てが「人間の作り出した」システムが自己矛盾のために自壊することだと言いました。ではこの「人間が作り出した」という意味は具体的にはどういうことなのか?「人間」とは具体的に誰のことを指しているのか判りますか?
 確かに今に生きている私どもは、意識して直接にこの社会システムを作ったわけではありません。それどころか、産まれたときからすでにこの社会システムの中に組み込まれていたんだと思うかも知れません。でももう一度よく考えてください。この社会システムがこのように発展したということは、「この社会システムを必要とした人があって、そして
今もあることの結果である」ということなのです。


必要が社会システムを創る。

 では誰が必要としたのでしょう?当然この社会システムが発展している地域に住んでいる人が必要としたから、その地域がそのような社会発達をしたわけでしょう?例えば東京では毎日の通勤電車が格闘場にならざるを得ないのは、東京の周りに住んでいる大勢の人が、同じ時間帯に都心方面への電車を必要としているからあんな惨状になるわけでしょう?原子力発電所がどんどん建つのは、みなさんが夏の暑いときに一度にたくさんのクーラ
ーをガンガンに効かせたり、やたらに電気を使うようなライフ・スタイルを選んだからでしょう?


見かけの『善』、見かけの『悪』。

 総会屋が存在するのは、企業が株主に知られたくないことを株主総会で明らかにされたくないからでしょう?だって本来「会社は出資者である株主のものだ。」と商法で詠っているわけだから、「株主に正確な企業の経理内容や企業の不正を株主総会で開き知ら示す」という総会屋の企業恐喝行為こそ、株主が本来自ら自発的に行なうべき権利であるはずなのです。株主が会社に対する自らの権利を使わないから、そして会社が自らの株主に対する義務を行ないたくないから、だから総会屋が存在し続けることができるのでしょう? 
あなた方には自由に考えそしてその考行動に写す自由が認められているわけですから、あなた方の総ての行動は、あなた方自身がそのつど数ある選択肢の中からチョイスしているわけです。


偶然などない。総ては必然なり。

 例えば交通事故にあったとする。そしてその事故であなたは100%被害者であったとしましょう。でもその時その場所を通るという選択肢をチョイスしていなければ事故には遭わなかったはずです。病気でも同じです。身体に無理をかけすぎたとき、身体が自己崩壊して死なないために、身体があなたを強制的に休ませる仕組みが病気ですから、逆に言うと病気になったということはあなたが身体に
無理をかけたということなのです。
 このように今現れている現象が存在し続けているということは、その存在を願うたくさんの意志があるということです。そしてその意志はあなた方が自らの自由を使って自らの行為を選択した結果なのです。このように総ての現象には、その現象が起こらなければならなかった原因があります。原因のない結果など存在しません。そしてその『原因』たるものはは、あなた方一人一人が何かを願う気持ちなのです。


想いから始まる。

 『願望は実現する』ということを謳い文句にしている宗教もどきがありますが、それはあながち間違えているわけではない。しかし「あなたの願望の実現を支えるために、あなたの望まないものが出現する」こともまた事実です。誰も原子力発電所を望んだわけではないのですが、電気をたくさん使うお手軽で便利な生活を願ったから、その結果として原子力発電所ができたのです。
 このように世の中の現象は総てが必然です。偶然に起こるなんて事はありません。ですからあなたの身の回りに起こる総ての現象はあなたの責任であり、それはあなたの次の行動に対する大切なヒントでもあるのです。


あなたの生活を支えるものは。

 3.今とくに都会に住むあなた方は、有り余る工業製品の中に住み、スーパーや食料品店で日々の食糧を金で買い、当たり前のようにエレベーターを使わなければとても上がり下りできないような高層ビルに住み、蛇口をひねれば当たり前のように水が出て、エアコンがなければ過ごせないような風通しの悪い部屋に住んでいます。そして当たり前のように空気を吸って生きているのです。
 さて問題です。このあなたの周りの物の中で、あなたが一から作り出したものはいくつありますか?総ては企業が作ったものを金で買っただけのものです。そしてその企業でも、いろんな素材メーカーから原料や部品を買って組み立てて作ったわけです。食べ物は食糧商社が海外から買ってきたものです。工業原料もやはり商社が海外から買ってきたものです。


みんな泥棒でしょう?

 じゃあ、その工業原料や食糧は誰が作ったのか?結局は何もかも総てのものは自然から人間が盗んできたものでしょう?自然が長い間かけて作ったものを人間が見つけて盗ってきただけなのです。人間は単に加工しただけで、無から有を創ることはできないのです。皆さんが「これは自分のもの!」と所有権を主張している物は、とどのつまりは自然のものです。自然が所有権を主張しないのをいいことに、人間が勝手に盗んで知らん顔してい
るのです。
 「天然資源が枯渇するから自然保護をしなければならない」というのは「盗みすぎたからもう盗るものがなくなった。だから国民の豊かさを守るため盗む分量を減らさなければならない」ということなのです。盗人猛々しいとはこのことです。今私どもがしなければならないことは、自然に対して、「あなたがせっかく創ってくれたものを、私たちは何も創れないくせにつまらぬお手軽便利な生活のために無駄に使ってしまいました。身の程知らずでごめんなさい。」と謝ることであり、「こんな愚かな私たちのために、今まで惜しみなく鉱物資源や食糧資源、太陽の熱や光、水、空気まで使わせていただいてありがとうございました。」と感謝することだと河井は思います。


「自分のもの」なんてない。

 そして「これからは、身の程を知り、決して『自分のもの』などと思い上がらず、総ての物は一時の借りものであることをよく自覚し、もったいないようなまねはせず、自分で使えないもの使わないものは使っていただける人やところ、使ってくれる他の生き物たちに譲って差し上げる」事を心がける必要があるとも思います。
 もう一度言います。『自分の所有物(もの
)など何もない』。


わからぬことは不安だけれど。

4.今まで何度も何度も手を変え品を変え、同じ内容を繰り返してここまでやってきました。もうさすがに読者の皆さんにも河井が何が言いたかったのかお判りになっていただいていることと思います。もう今の社会システムを手放し、新しい価値観に基づいた生活システムへ、お一人おひとりが一歩ずつでも歩み始めなければならない時節が来たのです

 何度でも言いますが、私たちはこれから、否もうすでに『未体験ゾーン』に突入しているです。でも、皆さんは未知のことに対する恐れがあります。何事についても初体験は不安で恐くて緊張するものです。


準備と鎧で動けない!

 だからその不安を少しでも紛らわすために、今までの経験を基に将来を予測し、その予測に基づいて自らのリスクを少しでも少なくするように十重二十重に準備をするのです。しかし、十分な準備は時間がかかり、その間にも私たちを取り巻く状況は、刻一刻とさらにシビアな状況へと突き進んで行きます。
 そして皆さんはそのシビアな状況を見て、さらに不安が強くなりさらに準備を重ねるという悪循環に陥り、ついには十重二十重、百千万の準備手段という鎧の重さに足をとられて歩けなくなってしまいます。


でも誰にもわからない。

 今回の社会システムの崩壊は、戦後を含めて今までに誰も経験したことのない急激な大変化です。それゆえに今までの知識や経験は一部は役立つかも知れませんが、皆さんの予測を軽く上回り、常識に長けて頭の良い人ほど予測が外れて、自失呆然のパニック状態になるくらいの大変化です。
 最終的には少なくとも日本に住んでいる皆さんは、この二年から三年のうちに嫌でも新しい社会システムを選ばざるを得なくなります。
 その根拠は今までお話してきたことで、今までの『常識』に囚われず、自分の意見はまず横において、どこの馬の骨の話でも聞くだけ聞いてみてやろうという、心に余裕のある方にはある程度判ってもらえただろうと信じます。もう理屈をいっているときではありません。空理空論、机上の空論に使う時間は残されていないのです。


だから「今ここ」を大切に。

 私どもが動かせる世界はこの無限に広くて永い時間と空間のうちの『今ここ』という一点に過ぎません。それも自らの想いを形に現わすことができるのは、自らの頭の働き身体の動きを通じてでしかないのです。自らが動かず他人を動かすことはできません。他人が何とかしてくれるだろうというのは単なる希望的観測という夢幻に耽る現実逃避でしかなく、甘えの極致であり、論外です。
 過去の栄光に浸ることも自由です。過去の後悔にさいなまれることも自由です。希望的観測という幻の未来を夢見るのも自由、未来への不安に怯えおののくのも、これまた自由です。しかしそのようなことをしている間にも、私どもを乗せた日本は『未体験ゾーン』を突き進んでゆくのです。過ぎ越し苦労や取り越し苦労は時間の無駄でしかありません。
 今私どもがしなければならないのは、今までの社会システムに対する依存をひとつひとつ不便と痛みを伴いながら手放してゆくという『つけ払い』をしながら、『農』を中心に据えた新しい社会システムに近づいて行くことしか残されていないのです。『今ここ』に動くしかないのです。


今までのあなた方は。

 5.今までにまとめてきました1〜4までの要点を列挙しますと「今起こりつつある現象には、『善いことしかない』」、「今起こりつつある現象には、『偶然などない』」、「みなさんの周りには、『自分の所有物などない』」、「みなさんに与えられたものは、
『今ここしかない』」でしたね。
 今まで皆さんは自分のご都合に悪いことを『悪し』と言い、ご自分の責任を回避するために『偶然』と言い、自然のものを盗んで『自分の物』と言い、盗んだものを守るために『取り越し苦労』に、盗まれたものを惜しむために『過ぎ越し苦労』に生きてきたのです。
 そして皆さんのご都合の悪いことの責任は総て他人に押しつけ、ご自身は『被害者』を気取っておいでになりました。「『被害者』を気取る」ことは、自らの『弱さ』を『偽りの強さ』に逆転する魔法の呪文です。一度この味を覚えるとやめられなくなるほどおいしい方法なのです。


もう「他人まかせ」は通じない。

 でももう一度1〜4までの内容を読み返してみてください。本当は『被害者』など存在しないのです。総ては自分の責任なのです。それどころか御自身が自らに、そして自然に対する『加害者』なのです。
 自分が『加害者』であるかも知れないといつも考え、「自分の行動の結果は自分でケリをつける」、「自分の間違いを素直に受け入れる」ということができる人が本当の意味で『強い』のです。「御自分が『被害者』である」と思っている間は何も変わりません。逆に変わるということは恐いことですから。
 「『偽りの強さ』を捨ててありのままの自分に戻る」ということは『被害者』意識の甘い蜜の味を覚えた人には耐えがたいことなのです。『被害者』意識はまるで麻薬のようなものなのです。他人から『被害者』扱いをしつづけてもらうためには、いつまでも『弱さ』を見せていなければなりません。言葉を変えると「いつでも『他人の目』を気にしなが
ら生きる」と言うことです。


あなたの『想い』が不幸を創る。

 『想い』は現象を創ります。周りの人があなたをかわいそうな『被害者』と認めれば認めるほど、あなたはどんどん他人のリクエストにお応えして、もっと惨めな『被害者』を演じることになってゆくのです。そしてそのうち、無責任な不特定多数の他人の人々は『被害者』であるあなたの存在に飽きて、興味を失って去って行きます。そのような他人
の目を引くために『被害者』であるあなたは「さらに惨めな『被害者』」を演じるパフォーマンスをせざるを得ず、認めてもらえない恨みと後悔の中に生きるようになってゆくのです。これが不幸意外のなんでしょうか?
 もしこの本をお読みになっている方の中で、すでに『被害者』意識浸っている方がおられましたら、まず考えを変えてください。あなたは本当は『加害者』なのだと自覚してください。


被害者なんていない。

 しかし他人があなたを『被害者』に観てくれているその状況はあなたに『今ここに』『貸し与えられた』最高の条件なのですから、その状況は利用すべきです。だから悪びれもせず、早く自ら進んで、まず自分は「『被害者』を演じているだけなんだ」と開き直って『被害者』をやってください。
 いいですか、心の内では恥ずかしながら『被害者』をするんですよ。そして『被害者』であることを最大限に言い訳にして、まず嫌なことをやめ好きなことをどんどんやることです。そして他人があなたにあきれて『被害者』扱いをしなくなったとき、さらりと
『被害者』をやめてください。『被害者』であるという立場に依存しなければもうそれでいいのです。もう一度言います。『被害者などいない』。


歩み続けてほしい。

 この1〜5がこれから皆さんが新しい社会システムに向けて歩まれて行く上での思考、行動の指針になるはずです。これから私どもが進んで行く『未体験ゾーン』の向こうでは、何度も言いましたように『農』を生活の中心に据えた新しい社会システムがみなさんの誕生を待っています。
 しかし、このシステムは、単に「『農』をすればいい」というだけのものではないのです。みなさんが今の「お金中心の社会システム」の中で洗脳されてきた社会常識のおかしさに気づいて、今の社会への物質的、精神的な依存を断ち切って、最小限のイ2ショク2ジュウ2(衣・医、食・職、住・銃)を確立する勇気を持って行動に結んでいただくこと、先に述べた1〜5までのことに御理解いただき、自らの『欲』と『見栄』と『保身』を手放していただくこと。これらが新しい社会システムの基礎条件になります。


やった者勝ち!

 どっちみち、『未体験ゾーン』は、みなさんお一人おひとりを、今まで言ったようなように強制的そして暴力的に脱洗脳してゆきますので、判りたくない方は今まで通りにがんばっていただいても結構です。いくらがんばってみても、そのうちに変わらざるを得なくなることをお約束いたします。
 どうせ変わらざるを得なくなるのなら、追いつめられて変わるよりも、『今ここ』にみずから変わるほうが少しは楽と言うものです。 この本を読んで、お一人でも多くの方が初めの一歩を歩み出していただけることを願ってやみません。


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