第五章
月明かりに照らされ、一人の少女がこちらを見ていた。 先ほどとまったく変わらぬように、静かに佇んでいた。 否、目には別種の光が宿っていた。それは、憎しみのあまり輝きを失ってしまったものではなく、純粋で、僅かな濁りさえも無い瞳。 「……姉ちゃん?」 アレフは、恐る恐る声をかけた。もしかしたら、また彼女の口から憎悪あふれる言葉が発せられるのではないか、という疑惑を、すぐにぬぐい去ることはできないでいた。 「アレフ、よく頑張ったわね」 だが、その口から出た言葉は、以前から聞き親しんでいたものだった。優しい響きを帯びた、どこか、彼の亡き母親を彷佛とさせる声。 「姉ちゃん……!!」 アレフは思わず駆け出して、少女の胸に飛び込んだ。 「姉ちゃん……良かった、本当に良かった……」 「ありがとう、アレフ。あなたのおかげよ」 少女はそっと呟くと、アレフの体を優しく抱き締めた。 「……戻って来てくれたんですね、フィーユさん」 ソルはゆっくりと立ち上がると、確認するように少女の名前を呼んだ。 「ええ、皆さんのおかげで、ね」 小さく嗚咽を漏らし始めたアレフの頭を軽く撫でてやりながら、フィーユはしっかりと返答した。 ソルはその答えを聞き、フィーユが戻って来てくれたことを実感した。間違えるはずがない、間違えようがないこの感触。理屈ではない。自分の中の感覚が、そう告げているのだ。 じわじわと喜びが込み上げてくるのを感じていたが、さすがにアレフのようにフィーユの胸に飛び込むわけにはいかなかった。 代わりにソルは、フィーユの目を見つめながら言葉を続けた。 「僕のために、いろいろご心配、ご迷惑をお掛けしました。何だか僕たちの問題に巻き込んでしまったみたいで、本当に申し訳ありません」 ソルは謝りながら、深々と頭を下げた。 「でも、これで、すべてが終わりました。すべてが元通りです」 「いえ」 もう何もかも終わったのだ、と告げようとしたソルの言葉に、だがフィーユは同意しなかった。 「まだ、始まったばかりよ」 「ど、どういうこと?」 一瞬ぎくりとして、アレフは顔を上げて尋ねた。 「わたしたち人間と、あなたたちハーフエルフの共存」 フィーユは、安心させるようにアレフに微笑を向けた。 「短い間でも、同じ体を使ったせいかしら。わたし、あの青年の心が手に取るようにわかるの。いえ、わかるというか、もうわたしの記憶の一部になってしまっているのかも知れない。大切な妹さんを奪われ、人間に対して憎しみを抱いた彼の気持ちが、痛いほどわたしの心にも響いてくるの」 「でも……でもあいつは、姉ちゃんを殺そうとしたんだよ?」 「聞いて、アレフ。もちろん、だからといって、人間全てに罪があるわけじゃない。それはわたしにもわかってる。必要なのは、お互いの理解だと思うの」 フィーユはゆっくりと、だが強い確信を持って言葉を続ける。 「ソルはさっき、僕たちの問題って言ってたけど、これはわたしたち人間にも関係することよ。彼のためにも、彼の死を無駄にしないためにも、お互いの立場とか、考え方とかを知っていかなきゃならない。理解していかなきゃならない」 でなければ、あまりにも彼が可哀相だ。何年もの間、人間を憎いと思うことによって、何とか生きて来たあの青年が、あまりにも哀れすぎる。 「そうすれば、わたしたちはきっと、この世界で一緒に生きていけるはず」 「できますよ」 あんな辛い目に遭いながらも、取り乱すこともなく、すでに次のことを考えている彼女に、尊敬の念を込めてソルは即答した。 「ここに好例があるじゃないですか。人間と、ハーフエルフの共存の」 「……そうね」 フィーユは、ソルの言葉にくすっと笑うと、アレフの手を引いて彼に歩み寄った。 「お手本は必要よね」 「反面教師にならないようにしませんと」 「ま、とりあえず、わたしたちももうちょっと理解し合う必要があるかな」 フィーユはそう言うと、唇を軽くソルの唇に重ねた。 「ありがとね、助けてくれて」 彼女はいたずらっぽい微笑みを浮かべ、素早く身を離した。 「あー、いいなあ。姉ちゃん、俺には?」 「だめよアレフ。ガールフレンドが見てるわよ」 「……………………誰が?」 「あ、あの、そんなに真面目な顔して聞き返さないでくれる?」 「ちょっとちょっと、勝手なこと言わないでよ! 誰がこんなやつのガールフレンドだって? だいたいね、あたしはまだあんたたちのことを認めたわけじゃないんだからね!!」 「レイネ、あまり失礼なことを言ってはいけないわよ」 レイネの発言に、セレネは諭すように言う。 「だって姉さん!!」 「本当のことを指摘されると怒るのは、人間もハーフエルフも同じかも知れないわね」 「姉さん……何か急にいじわるになってない?」 「そうそう、あなたたちにもお礼を言わなきゃね。いろいろありがとう」 混じり合う三人の女性の会話を聞きながら、アレフはふとソルの顔を見上げた。まるで身じろぎもせず、目に焦点が合っていない。 「……ソル、大丈夫? …………だめだ、完全に固まっちゃってる」 硬直してしまったソルの目の前で手をひらひら振りながら、アレフは溜め息をついた。 「やっぱり一番強いのは、姉ちゃんなんじゃないか?」
……亮、第二十一回……
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