「い〜ぬいっ!」
ダッシュ&ジャンプ。
背後から飛びつかれ、乾は僅かに前に上体を逃がして衝撃を受け止めた。
勢いあまって書き損じたノートを書き直すのは後だな、と乾は声に出さずに独り言ちる。
その間にも、乾の首に腕を回して、なんとか背中に昇ろうとする菊丸を、乾はため息と共に止めた。
「英二……ちょっと待って」
「なになに?」
腰を屈めて菊丸に高さを合わせる。
菊丸はそのままおぶられる形になった。
腕と足で乾にしがみつく菊丸は、さながら大木に蝉ならぬ、大ユーカリにコアラのよう。
「……にゃ〜んか違うんだよなー」
ぶつぶつと文句を言うわりに降りようとはしない。
「で?」
「うん? なに?」
「いや、何か用事があったんじゃないかと思ってね」
「あ、うん。それそれ!」
菊丸は首に回した腕に力を入れて、乾をぐいぐいと振り回した。
「乾ってさ、今日誕生日なんだって?」
「……英二……絞まる……」
「もー、みっず臭いよなぁ。一言言えっての」
ひとしきり絞めまくって気がすんだ菊丸は、今度は乾の後頭部に軽い頭突きをくらわせた。
「いや別に……誕生日なんて通過点に過ぎないわけだし」
「そーだけどさー。いいじゃん、お祝いくらいしたって」
「お祝いしてくれるのか?」
「いいけど、安いもんな♪」
菊丸の中では、お祝い=プレゼントらしい。
菊丸らしいくて思わず笑った。
もちろん菊丸には気付かれないようにこっそりと、だ。
「なあ乾ぃ、なんかないの〜?」
さっきよりは軽く揺さぶられて慌てて表情を引き締めた。
「そうだな……」
少し考えてから
「じゃあ、お金のかからないものをもらおうかな」
「って、売ってるもんじゃないの?」
「そう。約束を……一つもらいたいんだ」
「約束ぅ?」
菊丸が素っ頓狂な声を上げた。
集まる視線に、乾はゆっくりと膝を深く曲げて辺りを歩き回る。
要するに「トレーニングしてます風味」だ。
ついでなので、そのままトレーニングを続行しながら乾は続けた。
「今後、誰にも飛びつかないっていう約束が欲しい」
「……さっきみたいの?」
「そう」
「誰にも?」
「誰にも」
「えー?」
不服そうな菊丸に乾は苦笑する。
「やっぱり危ないからね」
聞かれる前から先手を打って理由を持ち出すのは、本当の理由が他にあるから。
「その代わり、と言ってはなんだけど、俺だったらいつ、どこで飛びついてもいいよ」
「乾はいいの?」
「俺は英二一人に飛びつかれたくらいじゃ平気な程度には鍛えているつもりだからね」
「ふ〜ん……」
まさか、このために鍛えてきたわけではないけれど、こう言っても理由として成り立つくらいには鍛えている自信はある。
背後で菊丸が考える気配がした。
「いいよ」
あっけなく。
「……いいのか?」
あまりにもあっけなく了承が取れてしまって、思わず聞き返す。
「なにそれ〜。乾が言ったんじゃん」
ケラケラと菊丸が笑った。
「あ〜、よかったぁ。乾のことだからさ、これから汁の実験台になれとか、そういう約束かと思ってビビっちゃったよ〜」
それはそれで。
そんなに嫌なのかと微妙にへこむ乾だった。
「でも、そんかし乾も約束だぞ〜?」
「うん?」
「いつでもどこでも飛びついていいってやつ」
「……練習中はカンベンしてくれよ」
「しないってば。もー」
そんじゃはい、と言って目の前にピョコンと小指を立てて菊丸の右手。
「後でやっぱ他のもんがいいってのはナシだかんな」
乾は笑って自分の小指をそれに絡めた。
同じ方向を向きながらのそれは、かなりやりにくく不恰好だったが、苦心してやり遂げた。

乾が菊丸にもらったもの。
それは自分だけ飛びついてもらえる、という特権。
いつかは他の特権も欲しいものだと思いながら。



その後、乾以外の誰にも飛びつかなくなった菊丸に、その理由を明らかにされて。
乾は部内全員から恨みの視線をもらうことになった。


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