ざわざわと表現するのは少し控えめなほど大量の人間がうごめいている。
いったいどこからこれだけの人間がわいて出るというのか。
大晦日、それも後数分で新年を迎えようとする神社では当たり前なのかもしれないが。
「うぎゅ〜〜…い〜ぬ〜い〜〜〜」
「後少しだ。がんばれ」
まるでおしくら饅頭でもしているかのような人ごみに潰されかけている菊丸がうめき声を上げる。
「もーやだー。帰るー」
「帰るって……初詣に来るって言ったのは英二じゃないか」
「そうだけどー、うう……」
高等部進学も決まったこの正月を二人で迎えられるのは嬉しい。
……この人ごみに辟易したのは事実だったが。
そうこうするうちに、どこからともなく『あけましておめでとう』の声が広がっていく。
時間を確認すると確かに新年になっていた。
「乾!」
「英二」
ほぼ同時に二人がお互いに声をかけて、顔を見合わせて小さく笑った後、二人で一緒に『あけましておめでとう』と言い合った。
「今年もよろしく!」
「ああ、こちらこそ。高等部でもレギュラーを狙っていこう」
「もっちのろん!」
そうこうするうちにジワジワと列が進みだした。
列といっても参道全体が動き出したようなものなので、動いてる実感はさほどなかった。
ジワジワと言っても大勢のことで、少しずつだが確かに流されて離れそうになる菊丸の手を握る。
「……い、乾ぃ」
寒さのためだけではない頬の赤みを気にしてか、菊丸が顔を上げずに困ったような声を上げた。
「はぐれないようにだよ。このままだと英二とはぐれる確立は70%以上だ」
「あ……うん。だよね! はぐれたらタイヘンだもん。こんな人いっぱいだしさ」
へへ、と笑いながら菊丸はやっと乾の手を握り返す。
手を繋いだ事が功を奏したのか、二人ははぐれることもなく無事最前列まで進む事ができた。
「あだっ!」
「どうした、英二」
「頭になんかぶつかった」
「ああ……」
乾が菊丸のコートのフードから100円玉を取り出した。
「これがぶつかったんだろう」
「んもー、横着しないでちゃんと前にきてから投げればいいのに」
文句を言いながらも菊丸は乾が手渡した100円玉を賽銭箱に放り込んだ。
それぞれ賽銭を投げ入れて拝んだ後、菊丸がおみくじを引くのだと乾の腕を引っ張る。
「英二はああいう時、ちゃっかり自分の懐に入れてしまうかと思っていたよ」
「ん? ああ、さっきのお賽銭?」
「そう」
「……それ、すっご〜い俺に失礼だかんね」
むっとした顔で菊丸は乾を見上げた。
「悪い悪い。あの時も文句言ってたし、自業自得とかね」
「だってさー、他のならともかくお賽銭だよ? 神様へのお金を猫ばばなんてバチあたりそうじゃん」
菊丸は意外と信心深いらしい。
そういえば祖父母と一緒に暮らしていたな、と頭の中のデータを読み出し、そして新たなデータを付け加えた。
「そうだな」
無意識に優しげな笑みを浮かべた乾に、菊丸は顔をそらしてそそくさとおみくじ売り場に向かう。
機嫌を損ねたのだろうかと乾は不安になったが、菊丸は後を遅れがちになる乾を振り返ると『早く早くー』と急かすので怒っているようでもない。
やはり菊丸の思考は読みづらいと乾は思った。
もちろん、そこがまた魅力であることは言わずもがななのである。
「ほら、乾も早く引いて引いて」
もうおみくじを引いたらしい菊丸が乾を急かし、乾はおみくじを引いた。
末吉。
なんと言うか、可もなく不可もなく、という感じで嬉しくない。
もっとも乾はおみくじなどというものを信じているわけでもないので、特に感慨もないないのだが。
「乾は?」
興味津々という顔で菊丸が覗き込んでくる。
「末吉だよ。英二はどうだった?」
「俺は中吉。惜しいーって感じ」
何がどう惜しいのか訊ねようかと思ったが、なんとなくわからないでもなかったので、わざわざ訊ねることはしなかった。
「うーん、どっちもイマイチ微妙だね」
「英二はこういうの信じてるのかい?」
そう訊くと菊丸は少し首を傾げて考えてから笑った。
「んー、それもやっぱイマイチ微妙かな。でもやっぱいいコト書いてあったら嬉しいし、あんまよくなかったら嬉しくないじゃん」
「うん、そうだな」
確かにまったく信じていないと言っていい乾でも嬉しくなかった。
「じゃさ、これ結んでいこ」
また乾は菊丸に腕を引かれて、たくさんのおみくじが結び付けられているところへ連れて行かれる。
「乾、一番上のとこ結べるよね?」
「ああ、大丈夫だと思うよ」
「じゃ、俺のも一緒に結んで」
細く折りたたんだおみくじを渡される。
ほぼぎっしりと言っていいほどのおみくじだったが、さすがに最上段は少し空きがある。
かなり高い位置なので成人男性でもかなり結びづらいらしい。
乾は他に結んであるものを真似て手早く結んだ。

帰り道は行きよりはマシだった。
神社側も当然人手は予想していたらしく、行きも帰りも完全な一方通行になっている。
「いいおみくじは持って歩いて、よくなかったおみくじは結んで神様になんとかしてって残してくんだって」
『じゃあ結んでいこう』と言った菊丸に、なぜなのか訊ねた答えはそう返ってきた。
「へえ……面白いな」
「んー、ばあちゃんが言ってたからホントだと思うよ?」
信じてないわけじゃないと乾は菊丸の頭をくしゃりと撫でた。
「そう言えば、知ってるかい? 結ぶ、というのは日本独特で、また日本の根本に根ざすものらしいよ」
「へ? なにそれ?」
きょとんとした顔をする菊丸に、乾は少し前に読んだ話を要約して話した。
「そうだな、簡単に言うと、日本は和合の国だと言うことかな」
「……ぜんっぜんわかんない」
「はは……約しすぎたかな。日本っていうのは色んなものと手を結んでやってきたってことなんだけどね」
「んー? 協力してきたってこと?」
「いや、そうじゃないよ。例えば、神様。これもそうなんだ。恨みを残して死んで悪霊になったり、元々悪霊と呼ばれている神様でも祭るのは日本くらいなんだよ」
「えーっ!? そんなの俺知んないよ???」
「まあ、今ではすっかり神様としてしか知られていなかったりするからね」
いきなり身近なもの(それはそうだ。実際今日、神様を拝みにきたわけだし)を例にとられて、菊丸は驚いた後興味を示した。
「俺の知ってる神様とかも?」
「例えば菅原道真はわかるだろう? 大宰府に祭られてる」
菊丸は頷く。
一応得意科目は日本史なのだ。
「彼も死んだ時は、時の政府に恨みを残して死んだと言われてるしね」
「……だっけ?」
授業ではそこまでやらないよ、と言われて菊丸はそっかとあっさり頷いた。
「一番わかりやすいのは大黒様かな」
「だ…いこくさま? 七福神の?」
あの福耳で優しそうなやつ? 大きな袋持って米俵に乗ってる。と菊丸はますます首を傾げる。
「そう。あれは元々国津神である大国主命と音が同じだからごっちゃにされてるけど、元々はインドの神様だからね」
「そうなの?」
「うん。天分と言って、名前に天がついているものはインドの神様だよ。大黒様も大黒天だし、後は吉祥天とか帝釈天とか聞いたことがあるだろう?」
うんうん、と菊丸は頷く。
「インドでは死と破壊を司る神様で、マハーカーラ……だったかな。マハーが大いなる、カーラは暗黒というような意味らしい。それが中国を経由して日本に入ってきたんだ」
大いなる暗黒で大黒。
間違ってはないけど……と菊丸は眉を寄せて考え込む。
「なんでそんな怖い神様拝むんだよ?」
「最初はそんな怖い神様に目をつけられたら大変だから、祭るって拝むから祟らないでくれっていうのが基本だったんだけど、日本に入ってきて同じ音の大国主命と同一視されてしまって福を与えるって感じでズレてきたみたいだよ」
「……なんか変なのー」
「あはは、まあ伝言ゲームやってるようなものだから意味合いがズレてきても仕方ないんじゃないかな」
「そんなもん?」
「そうそう」
それでね、と乾は続けた。
「そんな感じでいいものでも、やっかいなものでも取り込んで一つにすることを繰り返してきた国なんだよ」
「うーん……わかったよーな、わからないよーな?」
乾は首を捻る菊丸に小さな笑いを零しす。
「本来結ぶというのは、別々のものを一つにするという意味なんだ。おにぎりのことを、おむすびとも言うだろう? あれも塩と米を一つにしておにぎりという別の食べ物にするということで、相撲の結びの一番と言うのも、それで敵も味方もない一つのものになりますという意味なんだ」
「う、うーん……うーん……?」
本気で考え込んでいるらしい菊丸を見て、乾は小さく噴出した。
「難しく考えることはないよ。ただ俺は日本の中にはまだ日本が生きているんだと実感しただけだから」
菊丸はまだ難しい顔で首を捻りながら乾を見上げ
「やっぱ、乾の考えてるコトってわかんない」
と言った。
それならば相子と言ったところか。
「『わかんない』俺は嫌かい?」
「なんで?」
きょとんと菊丸が乾を見上げる。
「面白いよ。俺が全然見てなかったトコから色んなモンが出てきて、すっげ面白い」
屈託なく見上げてくる菊丸に、乾はメガネを押し上げるふりをして視線を逸らした。
もちろん照れ隠しだ。
菊丸も薄々気付いているようだったが、あえて突っ込んではこなかった。
「なあなあ、乾」
その代わりに、やはり乾が考えてもみない、突拍子もないを訊いてくるのだ。
「じゃさ、俺と乾が手を結んだらなんになると思う?」
「色々あるとは思うけど……」
深い意図はなく、本当にただ思いついたので言ってみた様子の菊丸に、乾はなんでもない顔をして菊丸の手を握り、自分の方へ軽く引く。
「とりあえずは、ラブラブな恋人同士ってのができると思うけど?」
少しだけ身をかがめて菊丸の耳元に囁いた。
わざわざ『ラブラブな』までつけるところが乾だった。
菊丸は言葉につまり、赤くなって、言葉を探して焦り、それから少し頬をふくらませて乾を上目で睨み上げた。
「恥ずかしいヤツ」
どんなに睨まれても、それは乾には可愛くしか思えず……いや、むしろとてつもなく可愛すぎて困った。
手を握っていない方の手で、菊丸の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
「英二」
「なに?」
売られたケンカを買いましたというような菊丸の返事にも構わず、乾は菊丸の手を引いて歩き出した。
「できるだけ早く、誰もいない場所に行きたい」
しかも急ぎ足。
菊丸は呆気に取られ、半ば引きづられるようにして歩きながらも、『やっぱなに考えてんのかわかんない』だとか『やっぱ恥ずかしいヤツ』だとか文句を言っていたが、乾はまったく気にしなかった。
なぜなら乾が握っている手は、一方的に乾が握っているだけではなく、確かに握り返されていたからである。


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新年ひとつめは乾とです。
乾が言ってる『結び』云々は私が本で読んだ話で、真実かどうかは定かではありませんので、ひとつよろしく。