時計を見ていた菊丸が手を上げて合図した。
「ほーい、15分休憩〜」
土手の斜面にある短い階段に腰をおろしたまま菊丸はスポーツドリンクのボトルを手渡す。
「ん」
「……ども」
手渡して空になった手で、軽くぺしぺしと自分の隣を叩く。
どうにもまだギクシャクした動きで、海堂は指定された場所に座った。
と、ほぼ同時に菊丸は一段上の海堂の真後ろに座り直して、後ろから腕を回しておぶさるように抱きついてくる。
「な、なにしてんスか」
「コイビト同士のスキンシップだよ〜ん」
即座に返された言葉に海堂は僅かに赤くなった後、少し慌てて前に逃れようとした。
「なにー、ヤなんだー?」
不機嫌そうな声で、さらに力を入れてくる菊丸に、海堂は途方に暮れて視線をさまよわせる。
「その……すげえ汗かいてるんで……」
シドロモドロで弁解してみても、菊丸は腕に込める力を緩めなかった。
無理に振りほどこうと思えばできるのだが、それはその後の年上の恋人の機嫌を考えても……いや、もっと率直に言ってしまえば、純粋に自分もまた恋人との接触は嬉しくてできるものではない。
「そんなのずっと見てたんだから知ってるっての。そんなことよりー」
むきになったように腕に力を入れて体を摺り寄せる菊丸に観念して体の力は抜いたものの、つい最近思いが通じた長年の片思い相手の温もりや臭いに別のところが強張ってきそうな海堂だった。
「あのさー海堂、俺、言いたいことがあんだけど」
海堂はビクリと体を震わせる。
菊丸がこういうことを言い出した時は、えてして海堂には考え付かない突拍子もないことを言い出す時で。
「宣言しちゃうかんね。俺は嫉妬するぞー」
「……は?!」
「だからー、嫉妬するって言ってんの。海堂がすっごい練習熱心なのはわかってるけどさ、いつでもテニスと練習のことばっか考えてるじゃん。あ、それにさー、最近乾と仲よすぎない? 俺より全然乾と仲いいじゃん。だから嫉妬、焼きもち、ジェラシー。わかる?」
予想通りに予想もできないことを言い出す菊丸に、海堂は目を見開いた。
「……なに言ってんスか、あんた」
「だってさぁ、休みの日でも自主トレ一緒にやってることあるだろ? それに乾とダブルス組んじゃうしさー。俺だって組んでみたかったのにー」
「……英二、俺にも好みがあるんだけど」
「乾は黙っててー」
そういえば今日も乾がいたのだった。
今まで面白がって気配を殺してこっちの会話を聞いていたのだろう。
海堂は菊丸の思いがけない行動や言葉ですっかり失念していた。
「俺の好みはもっと心身ともに可愛いタイプだよ。英二は知ってるだろう?」
「なにをー、海堂はすっご〜い可愛いじゃんか」
「なっ……」
生まれてこのかた母親以外に言われたことのないことを言われて、海堂の思考が一瞬停止する。
「英二、俺に海堂の可愛さとやらを説得してどうするんだ? 俺が海堂の可愛さに目覚めてもいいと?」
「わーっ、ダメダメダメ! それはダメーっ!」
海堂は懸命に言葉を捜した。
「……俺は……強くなりたいんス」
多くの人間から思いを寄せられる菊丸が選んだ相手として認められるためにも、そして何よりも自分のために。
「それで……乾先輩に練習メニューとか考えてもらわないと、俺は効率とかそういうのはわかんねぇか…」
あまりにも考え込み過ぎてなかなか言葉の出てこない海堂は、いきなり後頭部に軽い衝撃を受けて言葉を止めた。
菊丸が後ろから頭突きをしたのだ。
衝撃は多少バンダナで和らげられていたが。
「あのな、海堂。俺はお前に練習減らして俺のことかまえーとか、乾と練習したらダメとかは一っ言も言ってないんだからな?」
「……は?」
菊丸の言うことはますます海堂には意味不明で、海堂は困惑する。
「だからー、練習してない時はちゃんと俺のこと考えなきゃダメってこと。そゆのってちゃんと伝わるんだぞ」
海堂の後頭部に額をぐりぐりと押し付けながら言う菊丸の口調は少し照れているようで、海堂もつられてなんだか照れくさくなった。
菊丸はきっとわかっていないのだ。
いつでも。それこそ黙々と走り込みをしている間でも、ふとした瞬間には菊丸のことを考えてしまっている海堂を。
「俺はその……いつでも……」
「あ、15分経った。休憩終了〜」
パッと手を離して立ち上がる菊丸を海堂は唖然と見上げた。
「ほらほら、練習ですよ〜」
海堂の手をとって立ち上がらせる菊丸には、さっきまでの微妙に甘やかな雰囲気はまったくない。
狐につままれたような気分で、海堂はよたよたと練習に戻った。



乾が階段に腰をおろし、さっきの菊丸のように隣を軽く叩いて促す。
「やっぱり気付いてたんだな」
「まあにゃ」
二人で並んで、でも菊丸の視線は黙々と練習を続ける海堂から離れない。
「あれじゃ全然休憩になってないかんね。やっぱ練習も緩急が大切っしょ」
「確かに。無意識のことだから、言ってどうなるものでもないしね」
乾は光る眼鏡の奥で、ちらりと菊丸に視線を向けた。
「だからと言って、俺が海堂に懸想するなんてあんまりだと思うんだけど」
「にゃはは。ビックリする方がいいかにゃ〜なんて」
菊丸は僅かに首をすくめて見せるが悪びれたようすはない。
「英二はちょっと甘やかしすぎじゃないかな」
乾のからかうような口調は、決して咎めるものではない。
「海堂は自分に厳しいから俺が甘やかすくらいで調度いいんですー」
「そうですか」
「そうなんデスヨ」
だから菊丸も軽口で返す。
しばらく無言でただ海堂を眺める。
「……なー、乾、……海堂は強くなるね」
乾と呼びかけながらも、聞こえても聞こえなくてもいい様子で嬉しげに菊丸はつぶやく。
長すぎて、みんながあるはずないと思いながらもエレベーターやエスカレーターを探して迷ってしまうほど長い階段を、海堂はきっとそんなことを考えもせずに一段一段確実に上がっていく。自分の力で。
その姿を見ていると自分も頑張ろうと思う。
そう思える海堂が菊丸にはとても大事なのだ。
「俺も強くなるけどね」
「俺も強くなるの!」
みんなが同じように努力しただけ強くなる、そんなことはありえないのだと中学3年間で思い知ったけど。
それでも、相手を見て頑張れるような、そんな関係になりたいと思う。
「……でも英二」
「んー?」
「休憩中は英二のことを考えて、練習のことは考えないようにってあれ、かなり無理があると思うんだけど」
「うう……言うなよー。1週間考えたけど、他に思いつかなかったんだからー」
がっくりと肩を落とす菊丸に、乾はそっと「ご苦労さん」と特製乾汁の入ったボトルを手渡した。


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海堂×菊丸好きなんですが、なんだかうまく書けません。
最後の乾のツッコミは、書きながら自分に突っ込んだこと……だって他に考えようなかったんだもん。
ついでに、休憩中の云々というのは実際にどうなんだか知りません。知ってる方、そこのところは突っ込まないで……。