俺は最近、なんだか『おかしい』。
もちろん『おかしい』というのは滑稽であるという意味のおかしさではなく、奇妙である・常とは違うという意味での『おかしい』だ。
突然の心拍数の上昇、それに伴い軽度の目眩・息切れ、そしてまれに胸部に鈍痛が加わることもある。
自己管理を常に念頭に置いている俺は、さっそく病院にも行ってみたが特に異常なし。
以前よりも乱視が進んだくらいだった。
しかし自分に異常があるのは事実である。
俺はとりあえず自己分析を試みた。
その結果、現象の発生には特定の条件というものがあるということに気付いた。
それは……。
「い〜ぬい、またなんか変なこと考えてんの?」
目の前で頬杖をついて俺をじ〜っと、いつか俺の顔に穴が開くのではないかと有り得ない事を考えてしまうくらいに熱心に俺を見つめているのは、青学一のムードメーカーであり、アクロバティックプレイを得意とする菊丸英二である。
俺としたことが今の今まで英二が自分を見ていることに気付いておらず、思わず一瞬体を引いてしまう。
「わー、乾がビックリしてんのって珍し〜」
英二は実に楽しげである。
そう、この目の前の猫科の人間こそ、俺の異常の原因であった。
「そうかな……」
ズレてもいないメガネの位置を直してノートに向かい直す。
「ってゆーかさ、さっきから全然手ぇ動いてないし、なに考えてたんだ?」
「英二に言ってもわからないと思うよ」
俺に異常をもたらす原因としての自覚などまったくないようで、苛立つ俺はあからさまに嫌味を言った。
しかし気分を害するかと思った英二は、大きく伸びをして椅子に寄りかかると、へへっと小さく笑う。
「あはは。乾、むっつかしいことばっか考えてそうだもんにゃ〜」
待て、ここは笑うところなのか?
そしてまた、俺の心拍数は上がりだすのだ。
……わからない。
以前、ネットで垣間見た脳神経の細胞が頭をよぎる。
大して興味がなかったので斜め読みしかしてないが、その神経細胞が一定以上の信号を伝えることで身体の緊張状態がもたらされるらしい。
ということは、もしかしたら英二が特殊な信号を俺に送っているということだろうか……。
「……スキあり!」
ひょいと英二の手が伸びてきて、かけていたメガネが奪われる。
ぼんやりとぼやけた視界で、ぼやけた英二が笑っていた。
「なあなあ、乾。今俺の顔見えてる?」
「……いや」
おおまかなパーツはともかく、細かい表情とかはまったくわからない。
「んじゃさ」
ひょい、というような身軽さで、いきなり英二の顔がクリアに視界に入った。
「これなら見える?」
極めて至近距離。
たとえば今誰かにひょいと頭を小突かれでもしたら、おそらく唇同士が接触するであろう可能性は98%。
自分の心拍数が一気に激増するのがわかった。
いったいなんなんだ、これは……。
「……い〜ぬい〜、どうしちゃったんだよ〜」
いつもくるくると表情をよく映す目が訝しげに眇められる。
その明るい瞳には今、俺しかうつっていない。
俺はその目に吸い込まれそうになる自分を懸命に律しなければならなかった。
今の俺がしなければいけないのは
「現象の分析、およびそれからもたらされる結論の推察。いや、分析さえできていれば自ずと結論は導きだされるのだから……」
「……い、いぬ…い……?」
「そして先ほどからの事実を前提をして導き出されるのは、やはり英二からは俺に対する何らかの信号が出ているということであり、メガネの有無がなんらかの影響にあることは明白。おそらくメガネが信号の遮断もしくは反射の役目を……」
英二がただでさえ大きな目をさらに見開いて、わーだかにゃーだかわからない奇声を発して部室を走り出ていった。
……やはり英二が考えることはわからない。
見れば机の上にメガネが放り出してあり、俺はそれをかけてやっと通常の視界に安堵した。
それに伴い心拍数なども平常値に戻りつつあって、やはりメガネに関する先ほどの推測は正しいと判断できる。
俺が考えにふけっていると、すぐにバタバタと足音が聞こえてきて、ドアが開いた。
「やあ、不二。どうしたんだ?」
不二は「まあちょっとね」と言って笑った。
そしてドアに半分隠れるようにして、こちらをうかがっている英二の手を引く。
「乾が壊れたって聞いてきたんだけど、いつもと同じじゃない」
英二は猛然と抗議した。
「同じじゃにゃい! ぱっと見たらいつもと同じだけど、中は変! いきなり変なこと言い出すし」
「英二……乾が変だなんて、いつものことでしょ?」
「そうだけどっ!」
さりげなくひどい事を言ってないか?
……まあ、確かに反論してくれる確率は5%位だったよ。
「いつもより全然変なんだってば! いきなり俺から電波出てるとか、メガネがどうとかブツブツ言い出してさー」
俺は電波とは言ってないはずなんだが。
「ふぅん……」
不二は俺をじろじろと眺めた。
「英二、乾はね、データや化学的な見地には強いけど、それに縛られてしまっているからね。それ以外のことに関してはわけがわからなくなっちゃうんだよ」
と、俺だけにわかるように「ふふん」と笑う。
……失礼な。
「じゃあさ、不二は乾が変になっちゃった理由わかんの?」
「当然じゃない。僕を誰だと思ってるるんだい」
「や……不二は不二だと思ってるけどさ」
微妙な言い回しだ。
「じゃ、なんで?」
首を傾げる英二に、不二はにっこりと(さっきの「ふふん」は嘘のように)笑って
「内緒」
と唇に手を当てて言った。
外見上は似合わないこともないが、内面を考えるとちょっと恐ろしい。
「ライバルに塩は贈らない主義なんだ」
「……なんか不二、意地悪っぽい」
その認識はどうなんだ?
不二は意地悪っぽい……「っぽい」ですむのか?
「それに……」
不二は俺を意味ありげに見た。
「乾はきっと自分でデータを集めて判断した答えじゃないと納得しないと思うよ」
「そっかー」
そうなのか?
別に俺は頭が固いわけではないと思うんだが。
「そうそう。だから英二は乾なんか放っておいていいんだよ」
「……うーん、わかったー」
わかるのか!?
「ね、英二。さっさとこんなとこ出て家に来ない? 姉さんがチェリーパイ焼いてくれたんだ」
「行く行く! 由美子さんのパイ、超美味しいよな!」
「ついでに今日出た宿題見てあげようか? 数学苦手でしょ?」
「やったあ! 不二、大好き〜」
ご機嫌の菊丸と裏腹に俺は段々不快になっていく。
む……新たな現象だな。
「じゃ、乾、好きなだけ悩んでなよ」
「えーと、乾、あんま悩みすぎるとハゲるかんね?」
パタン。
二人の消えた戸口を睨むように見ながら、俺は思考を続けることにした。



答えはでなかった。


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とうとう乾を電波くんにしてしまいました。
ごめんないさい。