「その時、その人一人しかいないはずなのに、鏡の中にはその人の後に髪の長い女の人が立ってたんだ」
菊丸の声が徐々に低く、囁くようになる。
「っ……!」
海堂は声になりそうな叫びを無理やり押し殺した。
そんな海堂に構わずに菊丸は続ける。
「振り向いても誰もいないのに、鏡を見ると髪の長い女はやっぱりいて、それがゆ…っくり近づいてきて……」
もう海堂は自分で押し殺すのではなくて、声にもならない、な状態。
顔面蒼白。顔の上半分には縦線まで入ってるかのよう。
「海堂……怖い?」
「くっ! ……べ、別に全然平気っス」
痩せても枯れても海堂薫、男なのである。
怖いなんて口が裂けても言えるものではないのだ。
ましてやベタ惚れしている先輩の前とあってはなおさらのこと。
だが、海堂の精一杯の虚勢に菊丸はぷーっとふくれた。
「ダメじゃん。せっかく、とっときの『あなたの知らない世界』話してんのにー」
海堂は少しむっとした。
誰のせいで死ぬほど嫌いな恐怖体験をし(海堂にとっては怪談を聞く=恐怖体験となるほど怖いらしい)、誰のために強がっていると言うのだ。
だが菊丸は怒った顔のまま。
「怖いなら怖いって……うーん、言わなくてもいいけど、態度で示すーって言うか、怖くないようにしなきゃダメなんだよ」
怖くないようにするって……。
海堂は苦悩した。
何をどうやったところで怖いものは怖いのだ。
しつこいが、口が裂けても言えないんだって。
「…うー…………もーっ!」
じ〜っと海堂を見ていた菊丸が焦れたように両拳を小さく上下に振る。
「だからぁ、怖いーって俺にしがみついたり、俺黙らせたりしろって言ってんの!」
しがみつく……そして黙らせる。
でもどうやって?
海堂はしばらく考えて、その間に顔を海堂から背けてジワジワと赤くなる菊丸を見て、更に考えてふいに理解した。
「………………あ」
海堂も赤くなる。
菊丸なりのお誘いだったわけだ。
もう少しわかりやすい、というか、誘いを察する余裕のある誘い方をしてくれれば……。
そう思いながらも、せっかくのお誘いなのだ。
自分が積極的であるとは口が裂けても言えないし、菊丸もどちらかと言えばそういう方面では積極的なわけでもない。(その分、他のことに目一杯積極的ではあるのだが)
かと言って恋人同士の触れ合いがしたくないわけではないのだ。
いや、はっきり言ってしまえばラブラブしたいし、イチャイチャもしたい。
気持ち的には。
海堂は生唾を飲んで、そっとぎこちなく手を伸ばした。
しかし。
「……もういいもんねーだ。海堂なんか……」
突然菊丸は立ち上がった。
「海堂なんか夢ん中で長い髪の女にでも追っかけられちゃえ!」
べーっと舌を出して菊丸は出ていく。
「ちょっ……せ、先輩!」
せっかくの恋人との甘い時間が。
そして何よりも、さっきの話の落ちを聞いていない。
この分では確実にヤバイ夢を見る。
菊丸の言った通りの。
海堂は赤くなった顔を即座に蒼白にして菊丸を追いかけた。


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この二人ならこんな感じだろうなあ。
自然に甘い雰囲気になるには「まだまだだね」ってとこですか。