「あれ? 青学の……菊丸さん?」
菊丸は振り返った。
「あっれ〜、……橘妹じゃん。ひっさしぶり〜」
「もう! みんなして橘妹、橘妹って、私は杏って名前があるんですからね!」
橘妹は腰に手を当てて菊丸を睨み上げる。
菊丸は両手を上げて降参ポーズ。
「ごめんごめん。つい桃の呼び方がうつっちゃってさ〜」
「ホント、失礼ですよ。誰々の妹、誰々の娘、誰々の母って、古典の世界じゃないっていうの」
「……ぷっ、あはははは!」
ぽんぽんと文句を言う橘妹に菊丸は噴出した。
「いいな〜。杏ちゃんみたいな妹いたら、すっげー楽しそう」
「そんなことないですよー。お兄ちゃんにはいっつもうるさいって言われてるんですから」
「そんなコト言って、たっちーすっごい杏ちゃん可愛がってるじゃん」
「それはそうなんですけどぉ……」
橘妹は肩をすくめる。
「ちょっと過保護すぎてなんかな〜って時もありますよ」
「へ〜。ちなみに?」
「この間も、クラスの男子とちょっと買い物に行ったんですけど」
「杏ちゃんも隅におけな〜い。桃が泣くぞ〜?」
「ち、違いますよぉ〜! 担任の先生の誕生日のプレゼント買いに行くのにクラスの代表で行っただけです! それに桃城君とはそういうんじゃありませんから!」
「そういうってどういうのかにゃ〜? ……なんて聞いたらまた怒られそうだから聞かないどこ〜っと。そんでそんで?」
「もう! ……それでお兄ちゃんてば、どこに行くんだ、何時に帰ってくるんだってうるさいんですよ」
「あ、うちもそうそう」
「菊丸さんもお兄さんいるんですか?」
「いるよ〜。二人も。ついでに姉ちゃんも二人〜」
「……もしかして末っ子ですか?」
「うん、そう」
「へ〜……」
「あ〜、今『やっぱり』って顔したな〜?」
「え? そ、そんなことないですよぉ!」
あはははは、と両手を振って否定する橘妹の顔には、しっかりと『私もこんな弟だったら欲しい』と書いてあった。
「お姉さんとかは心配しないんですか?」
「ん〜、なんも言わないで晩飯食べちゃったりしたら文句言うけど、心配はしてないっぽい。うるさいのは兄ちゃん達だよ」
「やっぱり、どこも一緒なんですね〜」
「トモダチと遊んでてさ、陽が暮れたら帰って来いメールとか来たコトあるよ〜」
「え〜? 私なんて電話きましたよ! 携帯に」
「うっわ〜、きっびし〜い」
「そのくせ自分は最近、休みになるとそわそわしてどっか出かけちゃうんですよ〜。ズルいと思いません?」
「え? ……あ、や、う、うん……まあ……」
「あれ、絶対彼女できたんですよ!」
「や……あ、そ、そーなんかー……あはは……」
「もう……前は絶対彼女とかできたら報告してたくせに……」
爪を噛む橘妹はどこから見ても正真正銘のブラコンだったが、菊丸にはそこを突っ込む勇気は……もとい、余裕はなかった。
「たっちー、彼女いたの?!」
「いたって言うか……こっちじゃ髪も切っちゃったし、そんなでもないけど、あっちにいた時はけっこういましたよ」
「けっこう……」
「お兄ちゃん、付き合ってもみないで断るのは失礼だからって、相手いない時は断らないし」
「ウソ……」
「そのくせ、朴念仁で全然女心とかわかんないし、気を使ったりもしないからす〜ぐふられるの」
「えー? 気遣いの人っぽいじゃん」
チッチッチ……と橘妹は指を振った。
「気遣いの質が違うんですよ〜。女の子向けじゃないっていうか」
「あ〜…………?」
わかるような、わからないような顔で菊丸は頷く。
「それにですよ、いっくら間が持たないからって妹をデートに連れて行くんですよ? 信じられます?」
「えー!? それって……」
「最悪ですよー! もう居心地悪いし、彼女も困ってるし。しかも私が一緒だと私にばっかり話しかけるし」
「う〜わ〜、かっわいそ〜」
「でしょう!? もう、お兄ちゃんに付き合える彼女がいるんなら見てみたいですよ」
「あ〜……はははは……」
「……おい」
ふいにかけられた声に、二人は同じように驚いた。
「こんなところで何を話し込んでいるんだ」
話題の主がそこにいた。
しかも傍目にもわかる機嫌の悪さで。
「まったく、遅いと思ったら……行くぞ」
「やあよ!」
「やだ!」
二人がハモった。
橘妹はえ? という顔で菊丸を見た。
なんで彼が返事をするのかわからなかったからなのだが、まさかと思って兄を見れば、その視線は間違いなく菊丸に向いている。
なんで、どうして、この二人ってそんなに仲良かったっけ?と疑問が頭の中をクルクルと回るが、男二人はそんなことには一向に気付く様子もない。
「俺は杏ちゃんと楽し〜くお話してたんです〜。だからやーだー」
両手の人差し指を口の端にかけてアッカンベー。
「ねーっ?」
っと、打って変わった満面の笑みを向けられて、橘妹は混乱しながらもうっかりつられて
「ねー」
と返した。
「何を話していたんだ」
「そりゃ、たっちーのコトに決まってんじゃん」
ピクリと仏頂面が反応した。
「九州にいたころはめっちゃモテてたとかー、シスコンラブラブなお兄さんは彼女ができるたんびに妹に報告してたとかー」
「ほほう……」
橘は顎に手を当てて納得したように軽く頷く。
「なら、なおさら話をしなくてはな。ほら、行くぞ」
「だからやだって言ってんじゃん。俺は杏ちゃんと話してんの! そんで後は杏ちゃん送って帰るんだもんね」
つーん。
そんな音がしそうな感じで菊丸そっぽを向く。
……なんで、いつの間に、菊丸の機嫌は悪くなったのだろうと橘妹は首をかしげた。
橘は菊丸に近寄ると、そっと何かを菊丸に囁いた。
「っ! たっ、たっ、たっちーバカじゃん! そんなワケないだろ! バーカバーカ!」
ぎゃーぎゃーと文句を言う菊丸に、橘は「ははは」と楽しそうに笑う。
二人はしばらく言い合っていたが(主に菊丸が文句を言い、橘が笑っているだけなのだが)、そのうち埒があかないと思ったのか、
「しかたないな」
橘がそう言うなり腰をかがめ、ひょいと菊丸を肩に担ぎ上げた。
「ぎゃ!?」
じたばたじたばた。
「離せー! 降ろせー!」
菊丸が暴れても橘は涼しい顔。
そして橘妹に
「今日は晩飯はいらないと母さんに言っておいてくれ」
「ウソっ!? 俺は帰るんだかんな! 今日は絶対エビフライなんだから帰るーっ!」
「……って言ってるんだけど?」
「気にするな。頼んだぞ」
「信じらんねー! オーボー! 俺様ー! ジャイアンー!」
再びじたばたじたばた。
「そんなに暴れると手が滑るなぁ……おおっと」
橘が一瞬だけ手を離すと、バランスを崩した菊丸は慌てて橘の背中にしがみつく。
「ほらな?」
「ーっ!!!」
「じゃ、お前は寄り道しないで早く帰れよ」
呆然とする妹を尻目に、橘は悠々と歩き出す。
菊丸は頭を起こして情けなさそうな顔でバイバイと手だけ振った。

あんな兄は初めて見た。
今までずっと一緒に暮らしてきたのに。
兄の顔でもなく、部長の顔でもない。
もしかしたら、あれが何一つ肩書きのない橘の素の顔なのかもと思って、妹としては少し寂しく思った。


SStop 100Top Top nfTop



なんだか微妙に中途半端になっちゃったなー。
反省。