| 放課後の喧騒の中を、一人の異分子が歩いている。 いや、ただ単に他校生というだけなのだが。 彼はキョロキョロと辺りを見回しながら、嬉しそうににんまりと笑った。 「やっぱ青学って可愛い子多いよな〜。ラッキー♪」 大事な大事なコイビトができたとしても、やっぱり目の保養はありだよね、なんてもっともらしく呟いてみたり。 もっとも、彼は可愛いコイビトにベタ惚れなので、まんま言葉通りの意味しかないのだが。 勝手知ったる他校の中を慣れた足取りで向かう先は、当然愛しのコイビトが部活動をやっているテニスコートである。 木の陰に隠れてこっそり覗けば、ちょうどオンリーワンなコイビトがコートに入っているところだった。 「ほいほ〜い、まっかせて!」 普通なら届かないようなボールを軽々とポーチしてポイントを決める。 ……あれ? それでゲームが決まったのか、すぐに全員がコートから出てデカメガネ(千石命名)の元に集まる。 みんなで何か話しながら『うんうん』と頷いたり、身振り手振りで説明したり。 その間もチビっ子の帽子を取り上げたり、オモシロ君の頭にちょっかいだしてみたりと、ニャンコなコイビトは忙しい。 結局は鉄面メガネ(千石命名)に「菊丸、グラウンド10周だ」をくらった。 千石はそんな様子を見ながらも、また「あれ?」と首をかしげる。 ひとしきり文句を言って(さらにもう10周増やされて)菊丸は渋々といった感じで走り出した。 たぶん、それはいつも変わらない光景なのだろう。 しかし……。 走り出した菊丸は黙々と走る。 その表情(かお)が……うまくは言えないが雰囲気というか、空気というかがおかしい。 コートにいる面々を見ると、気にしないような顔をしながらも、何人かは確かに走る菊丸の様子を伺っていた。 千石は少し考え込み、菊丸が5周を走ったところで自分も走り出す。 グラウンドへ。 菊丸に半歩遅れて走り、テニスコートの側まで来たところで、とっくにこちらに気付いてフェンスの側まで来ている面々に向かって大きな声で宣言。 「菊丸くん、借りてくね〜。残りの15周は明日来て俺が走るから、それでよっろしく〜♪」 そのまま驚いて目をまん丸にしている菊丸の手を掴んで校門へダッシュ。 「ちょ、ちょっと、千石っ!?」 混乱してるだろう菊丸に有無も言わせずに全力疾走。 通学路とは外れたところにある公園。 そこまで一気に走りとおした。 「ゴール!」 とか何とか言いながら、両手を上げて走りこむ。 ぜいぜい言ってる菊丸をベンチに座らせて、近くの自販機でスポーツドリンクを2本買った。 千石が戻ると、菊丸はだいぶ息を落ち着かせて不可思議そうな、困ったような顔で千石を見上げる。 「なんか、映画みたいだったね」 スポーツドリンクを渡しながら笑うと、菊丸は口を尖らせて睨んできた。 「なに考えてんだよ、もー」 「菊丸君のこと♪」 「っ!? ……バッカじゃないの」 ぷいっとそっぽを向いてしまう菊丸の手にスポーツドリンクを握らせて隣に座る。 黙ってドリンクを飲んだ。 それなりに晴れた公園では、小学生が歓声を上げながら遊んでいる。 そんなに距離があるわけでもないのに、それは妙に遠いように感じる。 「……なんでこんなことしたんだよ」 手の中の缶をもてあそんでいた菊丸が小さく呟いた。 やっと口をきいてくれたことに安堵しながら、千石は菊丸の方は見ずにこたえる。 「菊丸君が苦しそうだったから」 「……俺、そんな風に見えた?」 「うん」 菊丸の声は頼りなく揺れていた。 菊丸は脱力したようにベンチに背中を預けて空を仰ぐ。 「はーあ、まだまだだにゃー」 自分はムードメーカーだと、少し嬉しそうに言っていたことがあった。 実際に、その様子を試合会場でも、覗きに……もとい偵察に行った時でもそれは明確にわかった。 菊丸の笑顔一つで士気が上がるのだ。 たぶん菊丸は自分で思ってる以上にそのことを気にしていて、周囲にマイナスの感情を見せないようにしているところがある。 青学の何人かが、そんな菊丸に気付いていて、だからこそ菊丸が落ち込んでいる時でも声をかけられずに見守るだけなのも、傍から見ている千石だからわかった。 「一人で抱え込んでても、荷物は重くなるばっかりだよ?」 「…………わかってる。けど……」 俺はムードメーカーだから、という言葉が続くのだろう。 菊丸はまた空を見上げた。 千石は、近くにいればいるほどそういうところを見せない菊丸に歯がゆくなる。 頼って欲しい、甘えて欲しいというのは、そんなに変なことなんだろうか。 「菊丸君」 「うん?」 千石は菊丸の方を向いた。 「俺は誰?」 「……は?」 菊丸も体を起こして、目を丸くしている。 「問題。俺は誰でしょう?」 「なに言ってんの、千石」 「うん、そう。千石。山吹中3年、テニス部の千石清純君です」 そっと体の陰にある手を握る。 菊丸は首をかしげるばかりだ。 「それで菊丸君のコイビト。ね?」 わけのわからないまま、勢いに押されて頷く菊丸。 「俺は青学のメンバーじゃないよ?」 「……え?」 「わかってる? 俺は青学のメンバーじゃないんだよ」 士気を考える必要もないし、大事な人には頼られたいし支えたい。 そういうの全部、ちゃんとわかってる? 千石は淡々と伝える。 訝しげだった菊丸の目が、呆然と千石を見て、何かを我慢するように眇められた。 そっと手を伸ばして髪に触れる。 一瞬身を引きかけた菊丸だったが、少しするとすぐに力を抜いた。 そして、そうなるのが自然なことのように、菊丸は額を千石の肩につけ、千石は抱えるように菊丸の頭を撫でる。 しばらく二人とも何もしゃべらなかった。 千石の肩がじんわりと暖かくなる。 ずいぶん長い間そうしていたような気がする。 やがて菊丸は体を離して目元をごしごしとジャージの腕の部分で乱雑に拭って顔を上げた。 その顔は泣いた後は明確に残っていたけれど、さっきまでの弱々しい雰囲気はない。 「……へへ、なんかスッキリした」 照れくさそうに笑う菊丸が可愛くて、千石は思わず軽く唇を掠め取る。 それから、ここが公共の公園であることを思い出して辺りの気配を探ると、すでに夕暮れになっていて子供たちの気配はなかった。 ラッキー♪ 「千石ー」 菊丸が赤くなりながらも睨んでくる。 「あ、ダメ」 「へ?」 「そんな可愛い顔されたらガマンできなくなっちゃう〜」 両手を頬に添えて、いらんシナを作りながら言うと、菊丸は更に赤くなって、でも脱力したようにがっくりと肩を落とした。 「……バカ」 いつもの菊丸に、いつもの千石。 でも、確かに何かが変わっていた。 いや変わったのではなくて、進んだのかもしれない。 菊丸は辺りを素早く見回して、人がいないのを確認してやっと落ち着いたようだった。 「千石」 「うん?」 「……あんがと」 「うん。それで何があ……」 「あ、それはダメ」 菊丸は何があったのか聞こうとした千石をすかさず遮る。 「それは……ね、それこそ俺が考えなきゃいけないことだから」 それから、たぶん、気落ちした千石の気持ちがわかったのだろう菊丸は、少し照れくさそうに言った。 「でも、これからも俺の元気がなくなったら、千石が補充してくれる?」 それは頼るよ、という意思表示。 どこまでも男の子で、誰かに守られるよりは守る方に回ってしまう彼の、精一杯の意思表現。 「もちろん! 俺の元気もラッキーも、全部菊丸くんにあげるよ」 「バカ……」 それはさっきの『バカ』とは段違いの、甘くて優しい『バカ』だった。 |
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