ワシャワシャとコンビニのビニール袋を提げて忍足は自分の部屋に戻った。
テンションはかなり低い。
それは寝不足のせいもあったし、それ以外の原因もあった。
足取りも重く自分の部屋の前までくると、その「それ以外」の原因がドアに背中をつけてしゃがみこんでいた。
「……なにやっとんの」
「忍足、おっそ〜い」

そう言ってぶーたれるのは、部屋を出たっきりだった恋人。
そりゃ朝から遊びにきていたにもかかわらず、昼から部屋を空けなくてはいけなくなったのは忍足の方だったのだが。
付属ということもあり、高等部の手続きの一部が残っていたことが頭からすっぽり抜けていたのだ。
手続きなんて全部いっぺんにやらんかい!
などとぼやきながらも、今日中に手続きしないと新学期にえらい目にあってしまうのだ。
やむなく昼過ぎから出かけると言ったら、何を思ったのか菊丸の方が先に「俺も出かけてくる」と行ってしまい。
それでも、なんとかできる限り最速で行って帰ってきても、まだ菊丸は帰ってきておらず、忍足としては色々がっかりな気分だった。
しかも、しばらく待ってみても一向に帰ってくる気配もなく、なんとなくふて腐れた心境の忍足は、暇つぶしがてらコンビニに行ってきたのである。
食材が何もない台所事情もあったし。
菊丸が外で食べてこなければ、二人ともまだ昼食もとってなかったから。

「鍵空いとったやろ?」
「そうだよ。忍足無用心」
よっと掛け声をかけて立ち上がり、菊丸は忍足の手を引いた。
「それよりさ、行こ」
「行くってどこにや」
「いいから、いいから〜」
楽しげに忍足の手を引いて歩き出す菊丸は、ちゃんと説明する気はさらさらないようだった。
鍵がかかっていなかったことを無用心と言ったわりに、忍足が鍵をかける暇もない。
普段通らない路地に入って、見たことのない町並みを歩く。
「……ここ、通ってええのん?」
「通っちゃダメなんて、どこにも書いてないじゃ〜ん」
だからいいのだ、と菊丸はひょいひょいと人様の敷地(らしきところ)を抜ける。
もちろん手を引かれっぱなしの忍足も。
「……まあ、ええか」
あきらめ半分で忍足はさっさと余計な事を考えるのはやめた。
考えたり、何か言ったところで、猫に人間の常識を通すのは無駄なことだと色々身に沁みてわかっているし、なにより忍足は自分が頓着するもの以外はどうでもいいので。
ここで白い犬とすれ違ったなんていう解説とか、今朝下の兄がどうしたとか、他愛のないことを忍足に報告しながら菊丸は歩く。
それはとても楽しそうで、シャツを羽織っただけで充分に暖かい日和も相まって忍足もなんとなく楽しくなってきた。
会ってから数時間のロスも「まあ、ええか」と思うくらいに。
そんな風に20分くらい歩いてたどり着いたのは、車道と車は通れないくらいの小道との辻で、菊丸は立ち止まって忍足に
「ね、すごいっしょ」
と、とても誇らしそうに行った。
なにが、というのは聞かなくても一目でわかった。
辻の角の垣根の向こうから、チラリ…チラリと落ちる薄紅の花びら。
見上げれば、白に近いその薄紅が大きく広がっていた。
「ほんまや」
誰だか知らない家の庭の隅に一本だけ植わった桜の古木。
それは近辺のまだ五分咲きの桜と違い、今を盛りにと咲き誇っていた。
「これ見つけてさ、忍足と一緒に見たらキレーかなーって思ったんだ」
公園や、ゆっくりと見られそうな桜のある場所は、まだ五分咲きにもかかわらず人がいっぱいで。
「そういうとこだと、屋台も出てたりするんだけど、なんかさ、忍足とは二人で見る方がいいにゃーとか思ったりして」
へへ、と照れ臭そうに笑う菊丸を見ると、忍足の胸の辺りがほっこりと暖かくなったような気がした。
途切れたガードレールに軽くもたれて、菊丸が桜を見上げる。
並んで忍足もガードレールにもたれると、持っていたビニール袋から菊丸の好きなジュースを取り出した。
「屋台なんてなくても、ちゃんとええもんあんで」
「さっすが忍足」
「いや、たまたまやねんけどな」
嬉しそうに受け取る菊丸に、ちょっとだけバツが悪そうに忍足も笑う。
しばらくゆっくりと「キレイだね」「そうやな」を繰り返しながら桜を見た。
そんな二人に、たまに通る人も、みんな一瞬足を止めて桜を見上げていた。
「……あのさ」
桜を見ていた菊丸がぽつりと呟いた。
「俺ん家さ、人が多くて、いっつも俺が家を出るときも帰ってきたときも、誰かいるんだよね」
「ああ、うん。そうやろうな」
「それで……その……」
菊丸は少し言いよどんでから、呟きよりも更に小さい声で言った。
「今度はちゃんと俺が『いってらっしゃい』と『おかえり』言うね」
忍足は小さく笑う。
明るく強く見える菊丸は、案外というか、やっぱりというか、かなり寂しがりなことはもうわかっていた。
しかし、忍足のことも考えたのだ。
反省と謝罪。
それがとても嬉しかった。
だから一瞬だけ頭をコツンとつけて、やっぱり小さい声で言った。
「ええよ。いずれはお互いに言い合うようになる予定やし」
「バ、バカ!」
小さく肘で小突かれる。
ちらりと横目で見れば、赤くなった菊丸の頬が見えた。
「……でも楽しみかも」
そう付け加えた菊丸は、忍足の視線を感じてか、意地になったように桜を見続けていた。
忍足も桜に視線を移して、改めて桜を見た。
そして、この桜は今まで見た中で一番綺麗だと、そう思った。


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