曲がり角で人にぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
「あ、いや、ぶつかってないし」
お互いにお互いの顔を見て、きっかり3秒後、二人そろって
「あ……」
と声を上げた。
「どうした、長太郎」
後から宍戸が顔を出した。
「あー、宍戸!」
「なんだ、菊丸かよ」
「なんだとはなんだよー」
言い合いながらも二人の表情に険悪な雰囲気はない。
どちらかと言えばじゃれ合いに近いのかもしれない。
「二人そろってどしたの? また練習?」
「練習ってワケじゃねーけどな。ほら、ここら辺にフリーのテニスコートあんだろ?」
「あ、なっるほど〜」
「ダブルス専門だっつーから、長太郎引っ張ってきたんだよ」
「あれ? 宍戸知んなかったの? あこそコート増やしてシングルスもできるようになったんだよ」
「マジかよ!」
「マジマジ」
「あの……」
鳳が口を挟んだ。
「宍戸先輩はその……菊丸さんと仲がよかったんですか?」
「ぁあ? 仲がいいっつーか……なあ?」
「うーん、一年の時から試合で色々顔合わせたりしてたもんにゃー」
二人で顔を見合わせつつ。
「あ、そだ。こないだ借りたCD、もちょっといい? 今プレイヤーの調子が悪くてさー」
「別にいいぜ。普段聞く分はダビングしてあるし」
「ラッキー♪」
充分仲良しなようだった。
「なな、コート行くんだろ? 俺も一緒していい?」
わくわくとした顔で菊丸が二人に尋ねる。
「別に俺は構わねぇけど」
「あ、はい! ぜひ!」
「へへっ、ちょうどガット張り替えたとこなんだよね。楽しみ楽しみ」
菊丸の先導で三人はコートに向かった。

幸いコートはガラ隙で、三人で一つのコートを独占できた。
鳳と宍戸、宍戸と菊丸、菊丸と鳳。
3ゲームマッチとは言え、全員かなり本気だった。
合間に休憩を挟みながらも飽きることなく続く。
一番飽きなかったのは、実は一番飽きやすいと言われている菊丸だった。
鳳のスカッドサーブを取るんだと燃えている。
確かに目は追いついているし、かなりの確率で体も反応できているのだが、いかんせん返せるだけのパワーがない。
「もう一本!」
「おい……」
「やだ! もう一本!」
「ゲームは終わってんだろーが!」
「ううう……」
サーブ以外で菊丸が鳳からポイントを取られることは、さすがにほとんどなかったのだが、サーブだけは確実にポイントを取られるのが悔しくて仕方ないらしい。
「俺はそろそろ帰るぜ」
「えー! もう?」
「今日は犬の散歩当番なんだ」
辺りを見回せば、他にいた利用者ももういなくて。
とっくに日も沈んでいた。
鳳は菊丸の『お願い、もうちょっとだけ』の視線に
「菊丸さん、もう少しいいですか?」
と聞いた。
ぱあっと顔を明るくした菊丸に、鳳の頬もほころぶ。
宍戸は肩をすくめて『ほどほどにな』と言って帰っていった。
しかしやればやるほどどうにかなるものでもなく、それから程なくして、先に菊丸の握力が根を上げた。
「うぁっつ……」
鳳のサーブに菊丸はラケットを弾かれて手首を押さえた。
「菊丸さん!」
鳳がネットを飛び越えて走り寄る。
「大丈夫ですか! 見せてください!」
「あ、へーきへーき。ラケット弾かれた勢いだけだから。すぐ直るよん」
プラプラと振って見せる手を取って、鳳は注意深く手首の様子を見る。
幸い、菊丸の言葉通りだったようで特に異常もない。
「鳳、心配性だなー。でも、サンキュ」
鳳はなにやら慌てたように菊丸の手を離した。
「でも俺のサーブのせいで菊丸さんを壊したんじゃないかと思うと……」
「バーカ。俺が頼んでサーブしてもらってんじゃん。そういうのは万一があっても俺のせい。変なコト気にすんなよな」
まだ心配そうに寄せた眉の間を菊丸が突付いて笑う。
その笑顔に、鳳は顔に血が昇るのを覚えて顔をそらした。
「鳳?」
菊丸が怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
近づく顔に、微かに感じる菊丸の匂いに、鳳は顔に昇った血が更に頭にまで上がるのがわかった。
離れて欲しいと言いたいのに、同時に離れて欲しくない自分もいて、どうしても口に出せない。
「……すっ、すみません!」
「こら〜。ま〜だ変なコト気にしてんのか〜」
「ち、違います! そうじゃないんですけど、でも、あの……す、すみません!」
シドロモドロ。
もう限界だった。
謝った瞬間、鳳は菊丸を抱きしめた。
もっとゴツゴツとお互いの骨が当たるかと思った体は滑らかで、細い体はすっぽりと鳳の腕の中に納まる。
「お、鳳?!」
唐突な鳳の行動に菊丸が慌てた声を出す。
しかし鳳は離さなければと思うのに、それができなかった。
「すみません……」
搾り出すような鳳の声に、菊丸は小さく息をついて鳳の背中をぽんぽんとあやすように叩いた。
鳳は微かにビクッと肩を震わせたが、それが拒まれているわけではないとわかって少しだけ肩の力が抜けた。
あくまでも少しだけだったけど。
「すみません、すみませんって、鳳なんも俺に謝るようなひどいコトしてないじゃん」
だからもう謝るなと菊丸はずっと背中を叩いていてくれた。
こうやって抱きついているのは謝るべきことではないのかと思って、試合の時の菊丸のスキンシップを思い出した。
「そうじゃ…ないんです」
「うん?」
菊丸は静かに促す。
「俺は……俺は本当はひどいことをしたいんです」
菊丸の手が止まった。
「だから、すみません……」
通じただろうか。
菊丸の手は止まったまま背中にある。
「そうなるんじゃないかと思って、できるだけ菊丸さんは意識の外に持っていっていたんですけど……」
所詮無理な相談だったのだが。
「なんだよ、それー」
ムッとした菊丸の声がした。
「目の前にいるのに、無視される方がよっぽどひどいじゃん」
「すみません」
「『すみません』はもう聞き飽きた!」
菊丸はぐっと体に上体をそらして鳳の顔を見上げる。
「鳳が今一番『ひどい』のは謝ってばっかでなんも言わないコトなんだぞ」
睨み上げてから、また力を抜いて鳳にもたれかかった。
「……鳳、宍戸とはしゃべんのに俺とは全然しゃべんなくて、俺のコトもあんま見てないし、本当は練習のジャマしちゃって怒ってんのかと思った」
「そんな……」
言いたい気持ちと、言ってもいいのかという気持ちの葛藤。
言ってしまうだろうことはわかっていた。
でもそうしてしまえば菊丸を離さなくてはいけなくて、少しでもその時間を延ばしたかった。
しかし自分の葛藤が菊丸を多少なりとも苦しめたかと思うと、それはそれで辛い。
「あの……菊丸さん」
鳳は覚悟を決めた。
「すみません、俺……菊丸さんが好きです!」
目をつぶって思いっきり言い切った。
「初めて見た時から、あなたの笑顔と、それからプレイする姿と、あと、えーと……とにかくすべてが好きになりました。ご迷惑だとは思……」
「鳳」
菊丸の声に鳳が目を開くと、驚くほど間近に菊丸の顔があった。
菊丸は鳳の告白に嫌な顔も、また笑ったりもせずに真面目な顔をしていた。
「鳳、ごめん」
鳳はぎゅっと胸を締め付けられるような痛みに体を固くする。
しかし菊丸の言葉は続いた。
「……俺も好きなんだ」
そしてまぶしいほどの笑顔を見せた。
鳳は一気に脱力した。
「ひどいですよ、菊丸さん……」
「にゃはは、謝ってばっかの鳳に仕返し」
クスクスと笑う菊丸は今まで見た中で一番可愛いと鳳は思った。
しかし……。
「あの……いつから俺のこと……」
菊丸も言っていたが、今日の自分に好きになってもらえる要素があったとは思えない。
菊丸は少し考えてから
「秘密♪」
と言った。
「いつか教えたげるよん」
そしてすっかり脱力した鳳の腕からするりと抜け出る。
「な、携帯教えて? アドレスも。いっぱい話しよう。俺、鳳のコトもっともっと知りたいよ」

菊丸もまた、初めて会った時から鳳が気になっていたのだと教えてもらえるのは、そう遠い日のことではなかった。


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