ズンチャンズンチャンズンチャンズンチャン♪
軽快なリズム。ちょっとバスがきいてる。
チャラララチャララン、チャララン、チャララン♪
知る人ぞ知る、ナイトメアビフォアクリスマスのテーマ曲とも言えるハロウィンタウンのテーマ。
周りの人間は皆ぎょっとしたように持ち主を見た。
それもそのはず、そんなファンシー(?)な世界とは縁のなさそうな手塚からそのメロディーが流れているのだ。
しかし手塚はなんの意も解さず、平然と携帯を取り出した。
「……つまんな〜い」
菊丸は持っていた携帯の通話ボタンをきって、手塚の元へ行く。
手塚の携帯が黙ったということは、どう考えてもかけていたのは菊丸のようだ。
「菊丸……」
どういうつもりだと聞こうとした手塚は、その前に菊丸に携帯を奪われる。
「ん〜、もう、なにがいいんだろ……」
勝手に手塚の携帯をいじりまくる。
手塚は眉間に皺を寄せながらも、諦めて着替えることに専念した。
こういう時の菊丸には何を言っても無駄だと、この3年間の付き合いで把握しているからだ。
しばらくした後、菊丸は満足そうに携帯を畳み、手塚のロッカーの上に返した。
そして自分のロッカーの前に戻る。
携帯を取り出し、リダイヤル。
チャンチャラチャンチャン、チャンチャンチャン♪
再び最大音量で鳴り響く携帯に、手塚はぎょっとした目を向けた。
チャ〜ラララララチャ〜ン♪
タブー。
あまりこのタイトルでは有名ではないが、加藤茶の『ちょっとだけよ〜ん』の時の曲と言えばわかるだろうか。
手塚は素早く携帯を取り通話ボタンを押す。
「菊丸っ!」
目の前にいるのに、かけてきた電話には律儀に出る手塚だった。
「へっへ〜。その顔が見たかったんだよにゃ〜」
菊丸は満面の笑みである。
「菊丸……グラウンドを走りたいか?」
「え〜っ!?」
「えーじゃない。大体お前は……」
すっと手塚と菊丸の間にさりげなく割ってはいる人影。
「まあまあ。今は練習中じゃないだろう?」
乾だ。
「そーだそーだー」
乾の後に隠れて、顔だけ出した菊丸が尻馬にのる。
「英二も。あんまり手塚で遊ぶなよ」
ふにっと。痛くないくらいの力で菊丸の頬をつまむ。
つまむ寸前に、すっと親指で唇の端を撫でられた気がした。
「なっ……べっ、別にっ、助けてくれなんて言ってないんだかんなっ!」
気のせいじゃないとわかったのは、乾が他の人にはわからないくらいに小さく笑ったから。
菊丸はなんでだか顔に血が昇るのは怒ってるからだと思った。
絶対に絶対に、この間のハロウィンのことを思い出したせいじゃないと思うことにした。
「英二……顔が赤いけど、熱でもあるのか?」
伸ばしてくる乾の手から、菊丸は素早く飛びのいて逃げる。
ものすごくわざとらしいと菊丸は思った。
「赤くなんかないっ!」
今日も全身毛を逆立ててます、といった風情の菊丸に乾の機嫌はますます上り調子。
だっていつもよりメガネ光ってるし。
「おい……」
なんだか置いていかれている手塚が、困惑したように声をかけた。
「いーよ! 俺、走る! 手塚っ、何周!」
手塚は更に困惑を深める。
「いや……グラウンドは……」
「わかった! 10周な!」
まったく手塚の話を聞く気がない菊丸はバタバタと走り出た。
後に残された手塚は物言いたげに乾を見たが、妙に機嫌のよさそうな乾はさっさと自分の着替えを始めていた。
手塚、いいとばっちりであった。
その頃菊丸は走りながら乾への悪態をつきまくっていたが、それは誰も聞く人はいない。
「も〜、乾のせいなんだかんなっ」
もちろん同意してくれる人も誰もいなかった。


あれ以来ことあるごとに……いや、ほんの他愛のないことでも、乾は菊丸にさりげなく触れる。
それはもちろん露骨なものではなく、おそらく本人にしかわからない程度に。
菊丸はそのたびに顔が赤くなり、心臓はいつもよりも活発に活動する。
そのうちに乾を見ただけでなんだか落ち着かなくなってしまって。
菊丸は自分のこの変調についていけなかった。
自習時間、さっさと適当に埋めたプリントを仕舞って、頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺める。
窓の外は男子が体育をしているようだ。
ひときわ大きな体で、一目で乾がわかった。
って、別に乾を探してたワケじゃないから!
自分で突っ込みつつも、菊丸はやはり乾を目で追う。
「…………いじ」
ちょっとドリブルは苦手。
あ、またボールが先にいっちゃった。
パスは教科書通りで、わりと上手いのに。
菊丸はずっとサッカーボールをぎこちなく操る乾を見ていた。
「……英二、英二ってば」
「……ん〜?」
不二の呼びかけにも上の空で返事をする。
諦めたようにため息をついて、不二はプリントに向き直った。
「……なー、不二ぃ」
ぼんやりとしたままの口調で菊丸が不二を呼ぶ。
「なに?」
「乾ってさぁ…………モテんのかな?」
「英二?」
いきなりそんなことを言われると思っていなかったのか、不二がまた菊丸に向き直る。
「どうしたのさ。急に」
「別に……なんとなく。他のヤツのはけっこう聞くけど、あんま乾のそーいう話聞かないなーって」
「乾ねぇ……」
不二は肩をすくめた。
「英二、乾が気になるの?」
「え!?」
菊丸は慌てて振り向く。
「べべっ、別に俺は乾のコトなんて気にしてないんだかんな! ち、違うよ、もー、なに言ってんの不二はー!」
耳まで赤くなって。
どこをどう見たら気にしてないと言うのだろうか。
「……まあ、手塚や英二ほどじゃないと思うけど?」
「人のコト言えないクセに」
「あはは」
菊丸が睨んでも不二は一向に気にすることもない。
菊丸は再び頬杖をついて窓の外を眺めた。
「そうだよな〜……乾がモテないワケないよな……」
「そうだね。大人っぽく見えるんだろうね。背も大きいし、いつも冷静に見えるらしいし」
見えるだけなのにね、という呟きは菊丸には聞こえない。
「だから、割と実態の見えている同級より、下級生に人気があるみたいだよ」
追い討ちをかける不二の言葉に、菊丸はバタリと机に突っ伏した。
「むーかーつーくーっ! 乾のクセにーっ!」
両手両足をジタバタさせて。
「データ収集とか言ってストーカー一歩手前なクセに。メガネ光るクセに。乾汁のクセにーっ!」
ジタバタジタバタジタバタ……ぐったり。
ひとしきり暴れて気が治まったのか、菊丸は両手両足投げ出して机に伏した。
そりゃ確かにカッコいいところもあるのを認めないわけじゃない。
パッと見には気付かないけど確実に鍛え上げられた体から繰り出されるショットは正確で無駄がない。
それを可能にする頭のよさだってすごいと思う。球を打ちながら計算して考えて、なんて菊丸には信じられないくらいだ。
それに菊丸が困っていたりすると、何も言わなくてもさりげなく助言してくれたり、手を貸してくれたり。それだって押し付けがましいという感じは全然ない。ああいうのが優しさって言うんだろうと思わせる。
そうだ、女の子にだってモテないはずはないのだ。
女の子にモテるクセに、俺に……(ごにょごにょ)すんのは絶対変。やっぱり仕返しでからかってるんだ!
変なデータとってるのかもしれないし。
菊丸の理論ではそうなった。
この場合、不二に言われるほどモテる自分が思いっきり乾を意識しているのは問題外らしい。
菊丸は飲み頃の乾汁並みに煮詰まっていた。


その日の放課後。
部活の時間である。
ランニング、素振り、ストロークといった規定の練習を終え、後は各自でそれぞれ個別のメニューが始まる。
菊丸は大石と組んでの前衛の集中練習だ。
三年はもうランキング戦には関係ないものの、高等部をすでに視野に入れた練習は続いている。
「英二、集中!」
「わーかってる、っと!」
何回言われたかわからない大石の言葉に、菊丸は怒鳴り返しながらボレーを決める。
少し危なげではあったものの、コースはきっちり決めた。
でも……。
隣のコートでは桃城と不二、反対隣のコートでは河村と越前がそれぞれ練習している。
乾は河村と越前の打ち合いを見ていた。
片手にノート、片手にシャーペン。
それはいつもの光景。
でも……。
「英二! 気が散ってるぞ!」
そんなこと言われなくても自分が一番よくわかっている。
ギリギリで返したボールはわずかにコースアウト。
「もう一本!」
大声出して気合を入れる。
でも……。
隣のコートでは越前が河村の波動球でホームランを打った。
それでも少しずつタイミングが合ってきてるのがわかる。
乾はそんな越前を興味深そうに見ている。
菊丸がどんなに大石に注意されてても全然気にした素振りも見えない。
それが、それが気に入らない。
そりゃ今は練習中で、余計なこと考えてる時じゃないのはわかってるけど。
こないだなんて。
ミニゲームをしてる最中に、隣コートだったクセに目が合って、その時ふいに唇を小さく舐めて見せたりして(この時ばかりは抜群の視力が恨めしかった。あれは絶対ワザとだ!)あの後もやっぱりゲームに集中なんてできなくて、手塚にたるんでるってグラウンド走らされた。
それ以外でも、今までなかったくらいよく目が合うようになって。
なのに……なのになのになのにっ。
「おわっ!!」
桃城の声が聞こえた次の瞬間、菊丸は頭にすごい衝撃を受けた。
視界がブレたと思ったら、尻にも軽い痛み。
気付かないうちに尻餅をついていたらしい。
「英二!」
周りがざわついても、菊丸は何が起こったのかわからなかった。
そしてジワジワと額の左上の辺りに痛みを認識してやっと、頭にボールがぶつかったんだなと思った。
頭はクラクラしてるしズキズキもしてるけど、とにかく痛いよりも恥ずかしい。
いつもだったら気付けたはずだ。
「大丈夫か、英二」
乾の声がした。
恥ずかしさが倍増する。
見てなかったクセに、こんな時ばっかり見ている乾に腹が立った。
ボールにぶつかったのは菊丸が練習に集中していなかったから。
それがわかっているだけに余計に恥ずかしいし、腹が立つ。
乾のワケのわからない行動にも、それを一々気にしている自分にも。
伸ばされた手を振り払った。
「触んな」
一人でゆっくり立ち上がる。
まだ視界は揺れてて気持ち悪いが、乾の手だけは借りたくなかった。
ゆっくりと乾を見上げる。
「俺、乾嫌い」
それが答えだと思った。
ボールが当たった頭以外のどこかが痛んだ気もしたけど、それはボールがぶつかった余波のせいにする。
乾はいつものように眼鏡を押し上げながら
「……そうか」
と言った。
その冷静さにもまた腹が立って顔を背けるように歩き出した。
「エージ先輩……」
ボールをぶつけた張本人らしい桃城が不安そうな顔で見ていた。
内心でしまったと思ったのは顔に出さない。
「もーも。このノーコン」
いつものように返すと桃城の顔がほっとしたように緩んだ。
「すんません!」
両手を合わせて拝む桃城。
「今日の帰り、デラックスバーガーセット、桃のおごりな」
「うぇ!? あ、いや、おごります。なんでも!」
「おーっし。そんじゃ、ちょっと休んでくるから、手塚に言っといて」
コートの外に向かって歩き出す。
その間もずっと乾の視線を感じていて、まっすぐに歩けないことが悔しかった。


芝生に寝転がっていたら体の上に何かがふわりとかけられた。
目を開けると隣に不二が座っている。
体の上には誰のものかわからないジャージ。
「風邪引くよ」
本当に、ちょうど汗も引いてきたところで肌寒くなっていたから素直に礼を言った。
「どう? 脳震盪おさまってきた?」
「ん……もうだいぶヘーキ」
「さっきのあれ、ね、桃が羆返しを返そうとしたんだよ」
「ふえ〜、ちゃんと追いついたんだ? 桃すっごいじゃん」
「まあね。あれでちゃんと返せてればね」
「あはは……不二きっつ〜い」
「……バカ英二」
不二の手が菊丸の髪をすくように撫でた。
「僕にまで笑ってなくていいんだよ」
バカと言うわりに不二の声は優しい。
撫でる手も優しくて、菊丸は鼻の奥がつんとした。
「バカはひどいにゃ〜」
あはは、と乾いた笑い声が全然笑ってないのが自分でもわかった。
僅かな沈黙。
無理に聞き出そうとはしない不二の優しさが嬉しかった。
「あのさ不二……俺、乾のことキライみたい」
撫でる手が一瞬止まって、でもすぐに撫で続ける。
「ふうん……」
「だから乾にキライって言ったんだ」
「そう……」
口に出したら、またどこかが痛んだ。
「……乾のどこが嫌い?」
「…………乾のコト考えるとムカつくから。なんかイライラするし」
「じゃあ、なんで英二はそんな顔してるのかな?」
撫でていた手で、不二は菊丸の頬をつついた。
「そんな顔ってどんな顔だよ〜」
「泣きそうな顔」
「っ……」
菊丸は慌てて不二と反対方向に寝返って顔を隠す。
何か反論しようと思ったが、何も言葉が出てこなかった。
「……ねえ、英二」
後から不二の声が聞こえる。
「もっと落ち着いてよく考えてごらん? 英二がどう思ってるのか。……なんでムカついちゃうのに乾のことを考えるのか」
こんなこと本当は言いたくないんだけどね。と苦笑雑じりの声。
「あと30分くらいで練習は終わるから、それまで安静にしてなよ?」
ポンポンと軽く菊丸の頭を叩いて不二は立ち上がった。
「それでね」
高い位置から聞こえた声は、なんだか笑ってるような声だった。
「そのジャージ、乾のだから後で返しておいて」
「ちょっ!」
慌てて起き上がると、忘れていた目眩がくらりと襲ってきて、菊丸はまたパタリと倒れる。
「うえ〜〜〜」
「あ〜あ。だから安静にって言ったのに」
そのまま不二はコートに戻ってしまった。
「……不二のバカ〜」
手足をバタつかせて。
ついでに体の上のジャージを落として、手で遠くに押しやる。
乾のジャージなんて冗談じゃない。
そのままじっとしていたら、やっぱり寒かった。
ジャージとのにらめっこは続く。
でも寒いのだ。
にらめっこ。
やっぱり寒い。
じと〜っと見る。
それでも寒い。
「……寒いからだかんな!」
誰に対して言っているのかわからないことを言いながら、菊丸はジャージを体にかけた。
あと30分。
菊丸は不二に言われた通り、ちゃんと考えようと思ったが、なんとなく段々体の上のジャージが気になる。
乾のジャージ。
気のせいかもしれないけれど、心なしか乾の匂いがするような……。
「って、なに考えてんだ、俺ーっ!」
乾の匂いなんて知らないもんね、と菊丸は考えに集中しようとした。
しかし一旦気になりだしたものは、どうにも収まらず、ジャージのかかっている部分の暖かさまでが乾の暖かさのようで。
「…………ぎゃーっ! なんなんだ、それーっ!」
菊丸はジャージをむしり取って近くに放り投げた。
顔が熱くなる。
「や、これはノウシントウのせいだし!」
乾なんてキライなんだ。キライキライキライ。
菊丸は唱える。
だから、寒いから、乾のジャージでも体にかけてもなんてことないねと、菊丸の思考はすでに日本語としても成り立っていなかった。
息を落ち着けて、ジャージに手を伸ばして体の上に広げる。
本当に乾の匂いなんてするのかな?
なんとなく鼻の上まで引っ張り上げてみる。
「………………するような気がするーっ!」
ジャージを放り投げた。

練習終了までの30分。
菊丸は6回同じことを繰り返した。


菊丸は意を決して扉を開けた。
「菊丸、もう大丈夫なのか」
戸口にいた手塚が真っ先に気付いて声をかけてくる。
「ヘーキ、ヘーキ。もうなんともないよん」
声をかけてくる皆に同じように返してロッカーに向かった。
通りすがりに乾にジャージを返す。
「これ、サンキュ」
いつものように声をかけたつもりだったが、少し素っ気なくなってしまったような気もする。
乾は乾で「ああ」とかなんとか、小さく答えただけだった。
「あ〜〜〜〜っ!」
着替えようとロッカーを開けた時、突然桃城が奇声を発した。
何事かと思ってそちらを見ると、桃城が上半身脱いだままで突進してくる。
菊丸の前でピタッと止まって両手を合わせて頭を下げた。
「すんません! おごり、来週でいいっスか? 財布見たら273円しかなかったっス」
「……ぶっ、あははははは! いーよ、いーよ、来週な」
「今週末小遣い入るんで!」
必死に拝み倒す桃城は十二分に反省しているようだ。
「そんかし忘れんなよ〜?」
「もちろんっス! ……っくしょい!」
桃城が両手を合わせたまま盛大なくしゃみをした。
「バーカ、桃、さっさと服着ないと風邪引くぞー?」
「ぃっス!」
それぞれに着替えを済ませ、荷物を片付けていると不二が話しかけてきた。
「英二、僕は先に帰るよ」
「ほいほい。んじゃまったな〜」
「それじゃ乾、悪いけど英二を家まで送ってってもらえるかな」
「ああ、かまわないよ」
「え!?」
不二は当たり前のように乾に声をかけ、乾もまた同じように返事をする。
「な、なんでだよ。俺、一人で帰れるってば!」
「英二」
不二の目が菊丸に向けられた。
「頭を打つってことを甘くみない。乾も、もう大丈夫だとは思うけど、万が一様子がおかしいようだったら病院直行ってことでよろしく」
不二の言うことはもっともで、だけどなんでそれを乾に言うのかとか、不二のことだからきっかけみたいのを作ったんだろうとか、菊丸が色々考えているうちに不二はさっさと出ていってしまった。
「……英二」
乾に声をかけられてハッとした時には、もう大半の人間は帰った後だった。
「荷物、もういいのか?」
聞かれて、なんと返事をしていいかわからずに頷く。
するとそのまま乾は菊丸のラケットバッグをかついだ。
「ちょっ……いいよ。自分で持つ!」
「いいから。今日くらいは自分の体を甘やかせてやれ」
乾はいくら引っ張っても荷物を返してくれなかった。


いつもの帰り道を黙って歩く。
沈黙は重くのしかかっていて、払いのけようにもどうしていいかもわからない。
速度的には変わらないはずなのに、いつもの倍以上の時間がかかったような気がした。
「英二……」
もう少しで家に着くというところで、乾が初めて声をかけてきた。
菊丸は一瞬足を止めかけ、でもそのまま歩く。
「……悪かった」
乾は菊丸が聞いていることをわかってる。
「さすがにやりすぎた自覚はあったんだ」
「………………なに」
「……ん?」
呟くような声が聞き取りづらかったのか、乾が聞き返した。
「なに謝ってんだよ」
「英二を……意識させたこと、かな」
「いっ、意識なんか!」
「してただろう?」
「っ……」
やっぱり乾はわかっててやっていたんだと菊丸は思った。
「ちょっといいかな?」
乾が角を曲がる手前の小さな児童公園を示す。
そこは公園というには小さくて、木々に囲まれた僅かな空き地に壊れかけたベンチと、いつもいっぱいになっているゴミ箱くらいしかない。
菊丸は腹をくくった。この機会にすっきりするしかない。
「なんであんなコトしてたワケ?」
公園に足を踏み入れるなり菊丸は尋ねた。
「からかって面白かった?」
いつにない皮肉げな菊丸に、乾は困ったように笑う。
「いや……からかうつもりはなかったよ」
「じゃあ、なんであんな……意識…させたりとか」
「うん。まあ、そのまんまだよ。意識させたかったんだ」
「はあ!?」
菊丸には乾の言うことがさっぱりわからなかった。
もしかして、これもからかいの延長なのかとさえ思う。
「……全然わかんない」
「だから意識させたかったんだ。英二に。恋愛対象として」
一言ずつ区切るようにして言うのは、菊丸に理解させようとしてだろう。
「……な、なんだよそれ。変じゃん。それじゃ乾が俺のコト好きみたい……じゃんか」
「間違ってないよ。俺は英二が好きなんだ」
乾がまた困ったように笑みを浮かべた。
「やりすぎてるとは思ったんだけどね、英二がいちいち反応してくれて、それが俺のせいかと思うと嬉しくて、ついつい止まらなかったんだ。まさかこの年になって初めて好きな子をいじめるヤツの心境がわかるとは思わなかったよ」
自嘲げに小さく笑って、照れ隠しなのか眼鏡を押し上げる。
そのいつもの仕草を菊丸は混乱する頭で眺めていた。
「まあ、意識させるつもりで嫌われたんじゃしょうがないんだが……」
なんでだろう?
菊丸は自問した。
確かに自分は混乱している。
でもそれが男に好きだと言われたからじゃない。
「でも俺は一度も英二に自分の気持ちを伝えてなかった。それはフェアじゃないかなと思ってね」
男−−−乾に言われて嫌じゃない自分に混乱しているのだ。
嫌じゃないというか、からかわれていたのではなくて、乾が自分を好きだという理由だったことが嬉しい。
……嬉しい。
嬉しい!?
菊丸は自分の中で出てきた言葉に驚いた。
嬉しいってことは、もしかして自分も乾のことが……?
そう考えるとすべて納得できてしまって、菊丸はさらに混乱した。
「……それだけだ。時間を取らせて悪かった」
何も言わない菊丸に、乾はまた元の道に戻ろうと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
ドン!
後を追いかけた菊丸は、即座に立ち止まった乾の背中に正面衝突した。
「急に止まんなっ!」
「……どっちなんだ」
乾が困ったように呟く。
「とにかく! 言いたいコトだけ言って逃げんのはズルいだろ! 俺にだって言いたいコトいっぱいあんだかんな!」
「ああ……そうだな」
向き直ろうとした乾を、菊丸は「そのままで聞け」と押し止めた。
顔を見られたくはない。
たぶん、きっと見られたら恥ずかしい顔をしてるはずだから。
「俺は……からかわれんのはキライ。いじめられんのもキライだかんな」
「ああ……」
「それから、乾回りくどすぎ。言いたいことはもっとストレートに言わないと俺わかんない」
「気をつけるよ」
「それから……えと、それから……一週間分なんかおごれ」
「……は?」
「そしたら、それで今までの……チャラにしてやる」
「え、英二?」
「そいで、俺といる時はデータとんの禁止。ノート広げんのも禁止」
「………………」
「それから浮気も禁止だかんな。余所見なんかしたら噛み付く」
「お、おい、英二、それは……」
「そういうの、ちゃんと守れたら……ちゃんと俺のコト好きってわからせてくれたら、俺も好き…………になってもいいぞ」
「英二……」
乾が無理矢理向き直る。
心配そうな顔で、菊丸の頭に触れた。
「気分悪くないか? 病院に行った方がいいかな」
「頭打ったせいじゃなーい!」
両手をぶんぶんと振り回して菊丸が暴れると、乾は「わかったわかった」と手を離す。
菊丸は今日言ったのはちょっと失敗だったかもと思った。
でも言わなかったら乾は絶対嫌われたままだと思うだろうし、乾が菊丸を遠ざけるのは目に見えていて、それは菊丸自身が嫌だったのだから仕方ない。
本当はもう好きだと言ってもよかった。
でもそれではあまりにも乾の思い通りすぎて嫌なのだ。
自分がドキドキさせられた分くらいは、乾にだってして欲しい。
「俺の言いたいのは以上! 腹減ったから帰る!」
きっぱりと言い切って菊丸は乾を追い越して公園を出ようとした。
「英二」
乾に腕を掴まれる。
振り返った菊丸に、乾は一歩踏み出して菊丸の肩に額を当てた。
「ありがとう」
反省と喜びを込めた乾の言葉だった。
が。
「に゛ゃーっ!」
菊丸は耳を押さえて飛び退った。
「み、耳んトコでしゃべんのも禁止!」
ビシッと指を突きつけつつも真っ赤な顔の菊丸に、乾はため息をつきつつも、いいデータが取れたと思った。
「了解」
もちろん口には出さないし、ノートにも書きはしない。
これは乾だけに許された、乾の頭の中にだけ存在する菊丸のパーソナルデータなのだから。
そしてこのデータは、今後の二人の付き合いの中でゆくゆくは活かされることになるだろう。


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