「忍足〜」
菊丸が走って忍足に向かう。
今日は平日。と言っても金曜で、明日は学校も部活もないという珍しい日だった。
二人ともまだジャージ姿である。
「ごめん、待ち合わせなんかしちって」
「いや、かまへんよ」
両手を合わせてみせる菊丸に、小さく口元だけで微笑んで、忍足はぽんぽんと菊丸の頭を撫でた。
普段なら子ども扱いするなと怒る菊丸だったが、忍足相手では嬉しそうに笑うだけである。
もっとも忍足も最初の頃は怒られていたが。
これは晴れてコイビトとなった特権なのである。
実はもちろん明日会う約束もしていたのだが、菊丸が急に今日も会いたいと言ってきたのだ。
どうしても確認したいことがあるとかないとか……。
どちらにしても、遠距離とまではいかないが、毎日会うわけにもいかない恋人に会いたいと言われて喜ばないわけもなく。
心なしか菊丸の足取りも軽やかで。
忍足は浮かんでくる笑みをかみ殺すのに苦労した。
「な、そんじゃさ、ちょっと買い物とかしていい? 見たいCDとか靴とかあんだよね」
特に何がしたいということのない忍足は二つ返事で頷いた。
まあできたての恋人のおねだりに逆らえる奴はいないということで。

「そんじゃ次はさ」
これで何件目なんだか。
菊丸はなんだか妙にはしゃいでいて、あちこちの店に寄り道しては楽しそうにあれこれ見ていた。
ぐるぐると駅前を歩き回り、次々に興味の対象をうつして飛び回る。
お互いに通常の練習の後ということを考えると、ものすごいバイタリティであった。
「……疲れた?」
なぜか嬉しそうに顔を覗き込んでくる菊丸に、忍足は苦笑する。
「じぶん、体力ないてウソやろ」
「テニスとは別だろー」
むっとふくれた顔で忍足を睨む菊丸。
「そんじゃさ、あそこ、公園あるじゃん? ちょっと休もっか」
ふくれて見せたのもコミュニケーションの一環で、すぐに相好を崩して忍足を近くにあった公園に誘う。
「どっか店入るんでもええけど?」
「いいの、いいの! 俺、あそこがいい!」
すったかと先に公園へと向かってしまう。
その強引さになにか妙なものは感じたものの、特に逆らう理由もない。
忍足もゆったりした足取りで菊丸の後を追った。
「はい、疲れたら喉も渇いたっしょ?」
並んでベンチに座ると、菊丸がドリンクボトルを差し出してくる。
「ちょっと温くなっちゃってるかもしんないけど」
「……あそこに自販機あるけど」
「……飲んでくんないの?」
じ〜っと上目遣いで。
甘え上手で甘え慣れしている菊丸のおねだりに勝てる奴はいない。
「う……お、おおきに」
なにか不穏なものを感じたとしてもだ。
ジル……。
なんだか普通の液体よりも重い音がする。
勢いで吸い上げて飲み込んだ瞬間、忍足は口元を押さえて水場にダッシュした。
幸いこみ上げてきたものは出さずにすんだものの、何度口を漱いでも口の中の不快感が消えない。
「だ……だいじょぶ?」
恐る恐る背中を撫でる菊丸に、忍足は振り向いた。
「じぶん、なんちゅーもん飲ませてんねん!」
「だ、だってー」
オロオロと、すでに菊丸は反省しまくっているようである。
「忍足、氷帝の天才じゃん」
「……は?」
とりあえず自販機経由でブラックコーヒーを買ってベンチに戻る。
「あー、口ん中、まだ気持悪いわ」
「うー、ごめん……」
「ほんで?」
「や、だからさ、その……青学の天才って言われてる不二はそれ美味しいって言うしさ、したら忍足はどうなのかにゃーって……」
「天才は味覚で決まるんかい!」
とっさに裏手ツッコミを入れた忍足に、菊丸は再びしゅんとする。
「だってさ、忍足一人暮らしって言ってたじゃん? したら……ホントいつかだけど、ご飯とか作ってあげれたらなーとか思ったんだけど、忍足の味の好みとか知んないしー」
「聞けや、直接」
とても可愛いと思う動機に、さすがの忍足も怒ることもできず、かえって嬉しいと思ってしまう辺り、自分でも終わってるなと思った。
「うう……そしたら乾が……」
ピク!
「そういえばうちの天才は乾汁を美味しいって言うけどって。そしたら不二もそうだねって」
収まっていた怒りが別方向で燃え上がり始める。
「そんで乾が今日の分の乾汁を入れてくれて、そんで……」
つまりは嫌がらせなわけだ。
大事な大事なにゃんこを横から掻っ攫っていった男に対しての。
「……ほーお」
「お、忍足?」
地の底から響くような忍足の声に、今度は菊丸が不穏なものを感じたのかビクビクと忍足の顔を覗き込む。
「……怒ってる?」
「や、怒ってへんよ。……ただな」
口元を押さえて。
「なんや気持ち悪なってきたみたいなん」
「え!? だ、大丈夫?」
忍足は慌てふためく菊丸の手をそっと握った。
「ちょおあかん。悪いんやけど、家まで送ってくれへん?」
「お、送る! もちろん送るよ!」
そっと背中なんかさすってくれる。
「忍足一人だけど、大丈夫? 夜中とか一人で平気? 俺、泊まって看病しようか?」
「そうしてくれるか? 情けない思うねんけど、さすがにこういう時はきっついわ」
弱々しげに。
菊丸は絶対こういうのに弱いから。
「うん。ごめん、俺があんなの飲ませちゃったから……」
「ええて。じぶんが悪いんちゃうし」
悪いのはあのクソボケどもや!
とは口に出さずに。
忍足侑士。
やられたら三十倍返し、ただでは起きないがモットーだった。
「ほな行こや。夕飯も作ってくれんねんやろ?」
「うん! でも大丈夫、食べられる?」
「じぶんが作ったもんやったら、なんでも美味しい思うけど」
「……そ、そかにゃ」

その日、忍足は可愛い恋人の手作りの美味しい食事と、それからもっと美味しい恋人を残さずいただいたとか。


SStop Top nfTop