うららかな午後である。
学校も休みでしかもバレンタイン。
当然のごとく、菊丸も恋人と二人っきりの久しぶりの逢瀬を楽しんでいた。

「な〜んか、ホンット意外なんだよねー」
「ん? なにがだ?」
純和風の部屋で、しかし飲んでるものは紅茶。
これは菊丸が日本茶よりも紅茶を好むから。
以前、何気ない会話で出たそれを覚えていて、彼の部屋には紅茶が用意してあった。
真田の家は大きく、誰もいないかのように外はしんと静まり返っている。
机の上には蓋の開いた小さな箱。
中身は言わずもがなである。
「俺と真田がこうしてるなんてさ」
持参したカップを両手で包むようにして飲んでいる菊丸が小さく笑う。
なんだ、そんなことかと真田も笑う。
「俺だって学校を離れれば、ただの一人の男にすぎん。しかるべき相手としかるべき付き合いをして何が悪い」
「その『シカルベキ相手』っていうのが俺だってのがね」
真田はカップ(でも中身は日本茶)を置いて、そっと菊丸の髪をくしゃっと撫でた。
「俺だってそれは考えなかったわけじゃない。だが何をどう熟考してもお前がよかったんだから仕方ない」
「しかたない、で付き合われてもにゃ〜?」
「馬鹿。そういう意味じゃないのはわかっているだろうが」
言葉と裏腹に笑っている菊丸の頭に乗せていた手で、今度は髪を乱すようにぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「わ、わ、止めろって〜」
嫌がりながらも笑って菊丸は身を引く。
そうすれば机に阻まれてそれ以上は手が届かなかった。
真田は笑いながら箱のチョコレートを一つつまんで差し出す。
「も〜」
手櫛で髪を整えながら、菊丸は元の位置に戻りそのチョコレートをパクンと食べた。
本当に怒っているわけではないのは、笑みの絶えない表情でわかる。
「でもさ、ホント不思議〜な感じ」
「……まだ言うか」
あはは、と菊丸は声を上げて笑った。
「だって真田ってさ、……例えば、『ちゅーして』なんて言ったら、正座で説教されそうじゃん」
「馬鹿な。俺だって人並みの欲求も欲望もある。……それとも」
ふと言葉を切って、真田は視線を上げた。
「こういう俺で失望したか?」
幾分、本気のこもった声を、菊丸は軽く笑い飛ばした。
「まっさか〜あ。俺、せっかく付き合ってるのに、外じゃともかく二人っきりの時まで、くっついたり甘えたりできないのヤだもん」
真田は何かを考える表情で首を捻る。
「ならば、よく俺と付き合おうと思ったな」
「そりゃね」
菊丸は両肘を机について、上目で真田を見上げた。口元には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「だって、もしかしたらそういうの全部ガマンしなきゃいけないかもとか色々ジュッコウしたけど、それでも真田がよかったんだもん。しかたないじゃん」
さっきのお返しに今度は菊丸がチョコをつまんで差し出しながら、さっきの言葉をそのまんまお返し。
「こいつ」
真田は意趣返し代わりにわざと指に歯を立ててチョコレートを食べた。
菊丸がこら、と睨むのには気付かないふり。
「真田も思う? 俺とくっついたり甘えたりしたいな〜とか」
「ああ。もちろんだ」
「ホント!? そんじゃ今日は俺がいっぱい甘えさせてあげる!」
素晴らしい名案を思いついたとばかりに菊丸が目を輝かせる。
「ほう? それは楽しみだ。どうやって甘やかしてくれるつもりだ?」
「え? ん〜〜〜〜…………えと、どうして欲しい?」
意気揚々と言ったわりに、何も考えていなかったらしい菊丸が、少し困ったように首をかしげた。
思わず真田も笑ってしまった。
「なら、そうだな」
そのまま邪魔な机を一気に横に押しのける。
(ちなみに普段はやらない。ちゃんと持ち上げて移動させないと畳が傷むからである)
そのまま、真田はごろりと横になり、菊丸の膝に頭を落ち着けた。
「膝でも貸してもらうか」
えっ、とか、わっ、とか言っていた菊丸だったが、すぐに落ち着いたらしく、心持ち赤くなりながらも擽ったそうな顔で、そっと真田の髪を撫でる。
「頭、ごつごつしない?」
「平気だ。……いや、気持ちがいいな」
へへ、と菊丸は嬉しそうに笑った。
真田はその顔を焼き付けてからゆっくりと目を閉じ、しばらく静かな時間が流れた。
「……お前といると、俺は俺でいられる気がする」
「そう……なの?」
「ああ。立海大付属の真田ではなく、ただの真田弦一郎でいられるんだ」
王者であり続けることのプレッシャー。
それは並大抵ではないだろう。
「俺はね、真田が色んな顔見せてくれるのが嬉しい。他の誰も知らない顔を知ってるんだって思うと、ものすっごくすっごく嬉しいよ」
でも……と、菊丸は小さく呟いた。
その声が僅かに憂いを含んでいるようで、真田は目を開く。
「もし……もし俺が真田と同じ学校だったら、真田は俺を好きになってくれたのかな?」
条件が合ったから、なのだろうかと。
菊丸は眉根を寄せて不安そうな顔をしていた。
思わず手を伸ばして頬に触れる。
「『もし』の仮定に意味はないだろう。実際、今俺とお前はこうしている。それでいいではないか」
「……うん、そうだね」
にこりと笑った菊丸に、真田はもう一度目を閉じた。
「もし、お前が同じ学校にいたとしたら……それでも俺はお前と出会ってしまったら、きっといずれ我慢ができなくなっていただろうな」
「真田……」
菊丸は花が綻ぶように、鮮やかに本当の笑みを浮かべた。
目を閉じていても声の様子でわかったのか、真田は手を伸ばして菊丸の頬を撫でる。
菊丸は心地よげに目を細め、引かれる手に促されるままに身をかがめる。
「……もー。苦しいじゃんか」
「はは、お前は体が柔らかいからな」
「それでも苦しいものは苦しいんですー」
体を起こした後に頬を赤らめつつ文句を言う菊丸を、真田は楽しげに見上げていた。
会話が止まり、静かな時間が流れる。
気まずい類の沈黙ではなく、言葉が必要ないと思える優しい空気だった。
午後の日差しが柔らかく差し込み、外気を遮断した部屋はあくまで暖かい。
しばらくして、目を閉じたままその空気を楽しんでいた真田は、菊丸の体が僅かに揺れるのを感じた。
目を開けてみれば、菊丸もまた目を閉じている。
真田は菊丸がうたた寝ができるほど気を許していることに確かな喜びを感じた。
菊丸を起こさないようにそっと起き上がり、揺れる上体を支えて、今度は逆に緩く組んだ自分の足に菊丸の頭を乗せる。
日差しにいつもより明るく見える髪を撫でると、無意識だろうが菊丸は気持ちよさそうに真田の足に頬釣りをした。
真田の口元を緩む。
『人並みの欲望も欲求もあり、恋人に甘えたいと思い、甘えられたいと思う』
この気持ちに嘘はなかったが、本当は少しだけ言っていないことがあった。
菊丸に出会ったからだ。そんな気持ちを持ったのは。
恋にうつつをぬかすだなんて、くだらないことだと思っていた。
だが菊丸と出会い、話し、菊丸を知っていく中で、自分もただの男の一人だと思い知った。
今までの価値観を根底から揺るがされた気分だった。
その結果がこんな気持ちのいいものなのだ。
「お前には色んなものを与えられてばかりいるな……」
もちろん、今日のチョコレートのことだけではなく、だ。
小さく呟くと、その声が聞こえたのか菊丸が僅かに身じろぎをした。
愛しいと心から思って、真田はゆっくりと上体を倒していった。
「………………む」
倒した時と同じようにゆっくりと体を起こし、真田は明日からはもっと柔軟に力をいれようと決意した。


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