倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
スニ41とワサフ8000の違い


倶楽部メモ(188) 平成15年 2月 6日〜 2月11日

投稿者 ナハネフ23
投稿日 2月 8日(土)00時39分14秒
タイトル スニ41とワサフ8000の違い
こんばんは。
管理人様、皆様ご無沙汰しております。
ひさしぶり拝見させて頂きましたところ、スニ41の事が話題になっておりましたので
書き込ませ頂きました。
昔、八甲田にワサフ8000と言うスニ41に似た貨車がつながれていましたが、
当時はそれを見ながら、なんで能登のスニ41が貨車ではなく荷物車になったのか疑問でした。
私の目からすれば乗務員室の部分が若干違うだけにしか見えないのです。
用途もワキもスニも違わないように思われますし。
何をもってスニを荷物車扱いとしたのか今もって疑問です。
カマの都合でワキからスニに改造!?なんて事も考えたりもしているのですが、
どなたかお分かりになる方おられましたら、ご教示の程お願いいたします。

投稿者 らいちゃん
投稿日 2月 9日(日)00時08分16秒
タイトル (無題)

 普段はROMのらいちゃんです。寝る前に覗いてみました。

 ナハネフ23さん

>当時はそれを見ながら、なんで能登のスニ41が貨車ではなく荷物車になったのか疑問でした。
私の目からすれば乗務員室の部分が若干違うだけにしか見えないのです。

 スニとワサフ、見た目はほとんど同じですよね。
 実際には台車が違っていて、仕様上の最高速度が違うとか聞いたことがあるような気が・・・。

 鐵工房さん

> 皆さんこんにちわ 永年にわたり連合軍客車を調査しています。Nゲージで復刻させたいのですが
> あらゆる資料をかき集めてもテールマークの図柄、色等が解らず困ってます。
どなたか御教授くださいませんか?よろしくお願いします。

 回想の旅客車(交友社発行、星 晃さん著)の上巻に軍用客車の特集があります。
 このなかでいくつか写真があり、テールマークの写真などもありますが、残念ながらモノクロです。
 載っているのは、dixie limited、hospital train(病院列車)、the octagonian、the ambassadorの4種類です。
 この連合軍客車は奥がかなり深いと思います。
 今なお残っている連合軍客車といえば、マイテ49とオヤ31でしょうか。

 では、失礼します。

投稿者のホームページ

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月 9日(日)00時19分09秒
タイトル Re:スニ41とワサフ8000の違い

スニ41とワサフ8000(スニ40とワキ8000)の違いですが、
過去にも何度かこの掲示板でも話題にのぼりまして、
用途的?な違いとしては積載重量の違い、積載パレットの大きさの違いがあげられていますが、
今回の質問は、どちらかといえば、なぜほぼ同じ形の客車と貨車があるのかという事ですよね。

正直なところ私も貨車については詳しくないのであくまでも推測になってしまうのですが・・・
なぜスニを荷物車扱いとしたのか?との事ですが、客車列車には荷物車を連結するのが基本であり、
通常は貨車を連結する事はありません。
基本的には貨車と荷物車は用途がはっきり分かれていまして
荷物車は客車に分類されていて、主に手荷物・小荷物・新聞等の輸送を目的として、
客車列車に連結される都合上、暖房配管等の通常の客車と連結する為の設備が装備されています。
一方貨車は基本的には客車と連結される事はなく、
そのような客車と連結するための設備は持っていません。
(小海線・五能線等に混合列車がありましたが、
これも先に話題になった温気暖房等の特殊装備が必要でした。)

スニ41とワサフ8000の歴史を見ると、まず昭和40年に登場した高速貨車ワキ10000をベースに、
車輪付ボックスパレットを使用した手小荷物輸送の近代化用の荷物車として
昭和43年頃に製作されたのがスニ40及びスニ41です。
スニ40及びスニ41は荷物車ですので手小荷物輸送用の車両ですが、
さらに効率を良くするため荷貨共用の車両として昭和45年に制作されたのが
ワキ8000及びワサフ8000となります。
(荷貨共用の車両なので、分類上は貨車ですが、客車の装備をもっています。)

スニ40及びスニ41は客車、ワキ8000及びワサフ8000は貨車という分類になりますが、
両車とも見た目は貨車・運用上は客車という不思議な車両となり、基本的に共通運用で
客車列車・荷物列車として使用され貨物列車に連結された事はほとんどないようです。

大筋では上記のような事であると思うのですが、推測の域を出ていない部分もありますので、
詳しい方がいましたらフォーロー願えると助かります。


投稿者 ナハネフ23
投稿日 2月10日(月)21時14分24秒
タイトル 謎ですね。

管理人仙コリ様、らいちゃん、レス有難うございました。
客車倶楽部に半分貨車の様な荷物車の事を書き込んで良いものかと思いましたが、
私のほかにも疑問に感じる方がおられて安心しました。
あの当時の鉄道ファンは皆、疑問に感じていたのではないでしょうか。

仙コリ様
ワキとスニの歴史、わかりやすく解説して頂きありがとうございます。
仙コリ様の言われる通り、貨物列車に連結された姿は見た事有りませんね。
荷物専用列車か旅客列車でした。旅客列車に連結される時は荷物車のように
前後に尾灯が付いている「スニ41」や「ワサフ8000」の様な緩急車的
車両が多かったな気がします。


投稿者 セノハチ
投稿日 2月10日(月)21時59分29秒
タイトル 初めまして
初めて投稿します、セノハチと申します。
私は客車には詳しくありませんが、荷物列車のでこぼこ編成が大好きです。
特にマニ50とマニ44が投入され、マニ36やマニ60に混ざり始めた頃が好きです。
スニ41の話題が出ていましたので、初投稿しました。
このスニ41、幼い頃よく見てましたが晩年の山陽地区では見たことがありません。
いつ頃まで走っていたのでしょうか。個人的には客車と貨車の合の子のようで、大好きな車両のひとつです。
それにしても、みなさまの知識の豊富さには脱帽です。これからも宜しくお願いします。

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月11日(火)00時10分12秒
タイトル 山陽地区でのスニ41
セノハチ様、はじめまして。
山陽地区でのスニ41の運用についてですが、1970年代後半までは東海道・山陽筋の
急行荷物列車30レ・35レに熊クマ配置のスニ41(3〜7)が使われていたようです。
この5両は1978年9月に熊クマから北スミなどに転属となり、
その後は急行「八甲田」等にて運用されていました。
荷物列車の編成についてはリンク先の「70年代後半の客車編成」に多数掲載されていまして、
そこによると1978年7月の編成記録までスニ41が見られるので、
転属ぎりぎりの1978年8月〜9月位が山陽地区でスニ41が運用されていた最後であると思われます。

投稿者 セノハチ
投稿日 2月11日(火)14時40分29秒
タイトル Re:山陽地区でのスニ41
車掌@仙コリ様、こちらこそはじめまして!
さっそくのご教示、ありがとうございました。
1978年といえば私が小学校1年生でしたので、ようやく本格的に列車を見に行き始めた頃です。
それから見た記憶が無いなと思っていたので納得しました。
ちなみに客車から外れますが、ワサフ8000はよく見てました。
教えていただきました「70年代後半の客車編成」のホームページ見て調べてみます。
それでは、失礼します。

倶楽部メモ(189) 平成15年 2月12日〜 2月16日

投稿者 もん
投稿日 2月12日(水)13時29分34秒
タイトル Re:山陽地区でのスニ41
セノハチ様
はじめまして。私と同学年でしたので書き込みさせていただきました。
小学校の教室から山陽本線がよく見えていましたので、荷物列車の通過も楽しみにしていました。
マニ44が投入されはじめたのは80年頃のことでしょうか、
33レの最後尾に連結されているのを見たのが最初です。
この掲示板の主旨からはずれてしまいますが、ワサフ8000も懐かしいですね。
実車は今でも東小倉構内にて現存しています。鹿児島本線下りの車内から見ることが出来ますよ。

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 2月12日(水)21時50分19秒
タイトル ワサフ8000
ナハネフ23様、セノハチ様、もん様
ワサフ8000やワキ8000についてですが、確かに分類上は貨車なのですが、運用上は
荷物車そのものであった車両で、荷物列車や急行列車など客車列車に連結されていた車両ですので、
この掲示板での話題としてまったく問題ありません。
恥ずかしながら、今回話題に上がるまで、私もあまりよくわからなかった車両であったので、
今後よく調べて、当サイトの各種資料にも可能な限り掲載していこうと考えております

投稿者 まろねふ
投稿日 2月13日(木)19時13分33秒
タイトル これで出来るよね…?

みなさん、こんばんわ

>セノハチさま
やはり、来ましたね(笑)
これだけ、資料が揃えばがぜん作る気力が沸くでしょう…?

>みなさま
実は、セノハチさんは私の友人であったりします。


投稿者 セノハチ
投稿日 2月13日(木)19時45分07秒
タイトル 山陽地区の件とマニへの疑問

もん様、初めまして、こんばんは!
同学年ですか!これからも仲良くしてください。
私は今は広島市民ですが、生まれも育ちも山口県ですよ。列車を見るポイントは山陽線の下松駅でした。
おかげで旧型客列に縁が無かったのですが、よく考えると市内にもう一つ岩徳線があり、旧客走ってました。
当時私はミーハーブルトレ少年でした(今も好きですが)ので、
旧客には目もくれず50系の置き換えと同時に飛びつきました・・・無念。よく見ておけばと後悔です。
ところでワサフ残ってるのですね。
旧門司操基盤整備と北九州貨タ開業によりどうなったか心配してました。安心です。
余談ですが、吹田貨車区で保管してたワキ8000は数年前に解体されました。合掌。

みなさま、こんばんは。
以前からの疑問ですが、マニ35とマニ36には同じスハニ35改がありますが、
なぜ形式が分かれたのでしょうか。既に解説済だったらすみませんが私には違いが解りません。
よろしくお願いします。
それでは失礼します。


投稿者 もん
投稿日 2月14日(金)12時51分40秒
タイトル Re:山陽地区の件
セノハチ様、こちらこそ仲良くしてください。まろねふ様のお知り合いだそうですね。
岩徳線の50系は同線撤退後広セキにやってきましたね。
荷レに連結されて回送されていたのを見たことがあります。
当時は自分もブルトレが好きで、毎日チェックしていました。
今は夜中に通過する所に住んでいますので、辛うじて上りなはを見るのがやっとです。
目の前に山陽本線が見えるのですけどね。

  「客車列車の旅」へ 「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから