FLEX−Jは電子羊の夢を見るか?

 

  英米文学科というわけでもなく、原書で「時計仕掛けのオレンジ」を読んでいるような優秀で趣味レベルの高い読書家を違う学部に発見したりすると、つくづく英米文学科はつまらない本ばかりを読んでいるものだと思わされてしまうものである。というか、たまたま僕はそういう人を美術系の人の中につい最近発見したというわけなのです。僕が読んだことのある英語ペーパーバックもやっぱりSF映画のノベライズだとか英語版のデュラスの『愛人』くらいで、大学入試レベルを超える単語が多い原書は英米文学科の一般学生レベルではなかなか読みこなせるまでには至らないものだったりする。もちろん時間さえあれば読んで読めないものではないけれど。。

 それはともかくとして、いつのまにやら復学している僕は、1998年現在某セントポール・ユニバーシティの現役学生。長いこと哲学や社会学ばかりに関心をいだく他大学の他学部へ転入学していたものだから英語の文法知識をさっぱりと忘れてしまっていて危機一髪の状態だったりする。外国語の力というのは使わないでいると落ちる。そして使っている部分は不思議に実力アップしている。もちろん人間の能力というものはうまくしたもので、海外旅行や海外雑誌購読、そしてインターネットなどで眺めていたりする部分の能力に関してはむしろ進化していたりして、英米人自身も必ずしも英語文法なんて正しく分かってはいないのにそれでもきちんと母国語は使えるのさ的パターンを一般的なニッポン人である自分としてもまたしっかりと踏襲しているわけなのだったりする。五文型が理解できていればあとは辞書をきちんとみていさえすれば普通は語法の間違いなどもしないというわけだ。だいたい元々が僕自身、英語文法は何とか大学入試対応レベルをたった一年間の受験勉強スパートでつけこんだといった案配。なものだから、専門教科のほかはほとんどとれているのにAn Advanced English Grammarは再履修するはめに陥っているのだ。セントポールの英米文学科って、しょっぱなにAn Advanced English Grammarで始まり、いきなり原書で読む作品にしてもシェイクスピア。せいぜいがラストオヴモヒカンとかスカーレットレターとかまで・・・。もちろん、哲学や社会学へと選考変えしていたはずの某国内有名大学の文学部でも僕は『刑事ジョンブック目撃者』の原作本などを購読しながらペンシルベニアダッチと呼ばれる人々の生き方についての講座を受けつつ、実際にそちらの単位は取っているのだから、特別な優等生ではないにしても僕はまあまあ月並みな大学生レベルのものくらいはもっている。せっかく母校に戻って目下英米文学科にいるというのにカリキュラム自体でリアルタイムの生きた英米小説トレンドについていけていないというのはとにかくわびしい限りだし、これはいけているとおすすめできる講座もほとんどない。ネイティヴが受けてもうちの講座はげっそりすると思う。リーディング力の飛躍的な向上を狙うのだったら、何か特別に愛着があって好きな本を英文の原書で読んでみるに限るに違いない。そしてつまらない本や好きになれない本、また意味もなく英字新聞とかを読まされたところでそれでは逆に伸びるものだって伸びない。かくいう僕は、しかしながら読むのは翻訳本中心で、翻訳本はほとんどの作品について発売されているので、翻訳本に優先させる形でペーパーバックなどの原書を好んで愛読したことは反省を込めてまったくといっていいほどなかったし、そういうものだと思います。でも哲学関連の本は結構読んでいます。(キッパリ! ・・・むしろ映画の原文シナリオで登場人物のせりふを追ってみるような作業のほうが僕には楽しいです。僕としては、ナマの英文をどうやって"いかしてる"日本語に訳出するか、ということのほうに興味があったりする。日本語を生きた英語に訳せるようになればさらにいいと思うので、英語表現の細かなエッセンスを身につけるような勉強はもちろんしています。とはいえスコット・フィッツジェラルドの作品は原語で読んでみたくて、英米文学科でそれが実現できたら、と思っています。といってもアマゾンコムでグレートギャツビーなどの作品を取り寄せれば今すぐにでも開始できると思いますが・・・)。

 ところで、美大生が文学や哲学、理論に精通しているということは、近頃のアート界のトレンドを追っていればちっとも驚くに値する話ではない。坂本龍一"教授"だって芸大の音楽学部卒の人なのにあらゆる方面に精通しているし、村上龍氏にしたって武蔵美の人でしかもプロデビュー以後忙しくなったので中退している。つまり、芸術系の人はアートを楽しみながら作る上で必要な生きた情報としてのカルチャーだけを摂取しようとしているので方面的に多岐にわたって網羅していて、しかも無駄がなく興味深いことにのみ眼を向けていられるのだから、効率満点ですね。いまどきのアメリカコンピュータ現代文明にしたってつまりはコンピュータ研究者と哲学者とアーティストとが三つどもえになって作り出した、かつてないプロジェクト。そこには国王も乞食もいないし必要性も見なされない上、大衆的つまりサブカルチャーライクな楽しさばかりで満ちあふれている。しかもインターネット世界の仕組みをみればわかるように、そこはきっちりとした共存原則の社会。だからごくごく近頃の合衆国大統領は公人としての"特別なサムシング"を全く求められなくなっているので、清教徒の伝統が根強いはずの国ではじめから不倫スキャンダルや疑獄問題をかかえた人が、シリコンバレーの発展のために最善をつくすとマルチメディア電脳世界の経営者たちの前で公約しただけで当選しているほど。だからこれからもマルチメディア系アートが進歩発展していくためには仕込みの勉強はきっちりと楽しく進めていかなければならず、だから彼らにしても決して単なる絵描きさんでいることはできなくなっている。そういう努力をアーティストの卵たちがやめてしまう日が来るとしたら、彼らは結局「歌って踊れるだけのただの人」に成り下がってしまうことだろう、という気がする。もちろんこれは決してポップアート系のアーティストに対する批判とかやっかみとかではなくて、いまいちばん知的水準の高い、高度な分野こそがCGを含めたテクノサイドのポップであることはすっかり私も認めてしまっていたりもする。もちろん卵の人まで当然含めてアーティスト系の人々には確かに博学な面々が多いし研究マニアで、しかも手に職をもっていたりもするというわけで、畑違いの文学部生が案ずるまでもなさそうだ。

 が、しかしテキストベースの当サイトにしても、ただ手ぐすねを引くだけで黙ってCGアーティストたちの勇姿を見送っているばかりではないのだった。

(次に続く)

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