エンディングに関する大胆な解釈 [Earth] へのコメント 1997-2-17 04:52:48
私はEarthさんと少し解釈が違いますので、ちょっと一言・・・(というには長いか(^^;))
私は、ホーリーで全ての人類が死んでしまったとは思いません。
確かに、星はそのつもりだったのかもしれません。
その前に、ホーリーの効力以前の問題で、近づきすぎたメテオとホーリーのあまりの力の
大きさに、人類どころか、あのままでは地上の全ての生命が失われていたでしょう。
「遅すぎたんだ・・・」
等の台詞からそのことは十分伺えます。
ミッドガルを中心にどんどん周りに広がっていく強大なメテオとホーリーのエネルギー。
もうなすがまま、そのエネルギーに全てが覆われようとしたとき。
地上に次々と現れてくる、ライフストリーム。
私は、このシーンを見たとき、
「ああ、ライフストリームたちが地上を救おうとしている・・・」
と思ったのです。
広がりゆくメテオとホーリーを、ライフストリームがくい止めようとしているように思えた
のです。
それはさながら、意思を持った生き物のようでした。
そして、エアリスが祈っていたのはこれだったのかと。
星は、最初から人類を救うつもりはなかったのかもしれません。
確かに人類は、星にとって害になりこそすれ益にはならない存在だから。
だから、エアリスは祈ったのです。
星にホーリーの発動を。星を守るために。
ライフストリームたちには、地上を守ることを。全ての生き物を守るために。
「どうか、あなたたちの「子供たち」を守って」と・・・。
その祈りは、「死」をもってライフストリームとなったエアリスによって、より強く伝わり、
導かれていったのではないでしょうか。
もしかすると、「死」をもってしかライフストリームに祈りを届けることはできなかったの
かもしれません。
そう考えると、エアリスの最後の微笑の意味がわかるような気がします。
全人類が死んで星が助かる、というのは、少なくとも「人間」にとっては全くナンセンスな
話です。
この話の主人公が人間ではなく星だというなら別ですが。
生きているからこそ償えるとかそういうことではなくて、生きているからこそ意味があるの
であって、生きていなければ星が滅びようが滅びまいが、関係のないことです。
生きているからこそ、意味があるのです。生きているからこそ、幸せになれるのです。
ケット・シーの「このぼくはぼくだけなんや」という台詞ではないけれど、もしライフスト
リーム化していつかもう一度生まれ変わるとしても、今の自分は自分しかいないのですから。
メンバーも、「今の」小さな幸せを守りたいがゆえに戦ってきたはずです。
「星を救う星を救うなんて大層なことを言ってきたけど・・・」というような台詞も、何度
も出てきたはずです。
こう考えればわかりやすいでしょうか。
自分の子供を殺してでも、星を守りたいですか?
もしYesなら、それは「なんのため」ですか?
私は、このエンディングを見ていて、ナウシカのラストを思い出しました。
傷つき倒れたナウシカにオームが心を開き、金色の触手を次々とのばしていく、あのシーン
です。
だからこそ、ライフストリームが地上を救うために現れたように思ったのかもしれません。
長くなりましたので、最後に短く。
「会える気がする」「会いに行こう」の台詞は、私には前に「いつか」がつくんだと思い
ます。
結局、ライフストリーム化するって、天国に行くようなものですからねー。
私の解釈とは、こんなものでしょうか。
#エンディングのマリンとティファのかわいさにくらくらしてしまいました。
#それまで、ティファって好きでも嫌いでもなかったんですが・・・。
#でも、胸で体を支えるのだけはやめて欲しかったなあ。くやしいから(^^;)。
#そして、ナナキのあまりの立派な成長ぶりに涙したのでした・・・うう。