第四章
時はわずかに遡る。 家の主二人がいなくなった部屋で、彼女はそれでもいつ二人が帰ってきてもいいようにと、部屋の掃除をしていた。 塵ひとつない――使う人間がいないのだから、それも当たり前なのだが――部屋を、それでも念入りに磨き上げる。そして綺麗になった家の中で、独りテーブルに座り溜息をつくのだ。 「逢えた……のかな……」 便りはなにもない。だが今はそれがまだ救いとなっていた。 「連絡ないってことは、まだ望みがあるってことよね」 彼女は自分にそう言い聞かせる。悪い想像ばかりを浮かべてしまう自分を押さえるために。 「早く、逢いたいな……」 そんな呟きを、彼女はまだ誰にも聞かせたことがない。全ては彼女自身と、この部屋しか知らないことなのだ。 彼女はもう一度溜息をつくと、室内を見回してから家を出た。……否、出ようとした。 「きゃ! ……あ、すいません、大丈夫ですか?」 扉のすぐ近くにいた青年にぶつかりそうになり、彼女は驚きの声をあげる。 「ええ、大丈夫です。驚かせてしまってすいません」 彼はにこやかな笑みを浮かべてそう言う。 「あの、失礼ですがあなたはフィーユさんではありませんか?」 「え……ええ、そうですが……あなたは?」 彼女――フィーユは、怪訝な顔をして訊き返した。少なくとも、彼に見覚えはなかった。 「アレフくんから伝言を預かりましてね」 「アレフから?」 「ええ。ソルさんのことでどうしてもあなたの助けがいるから、すぐにでも来て欲しい、と」 「助け……?」 では、アレフはソルを見つけたということか。 フィーユは少しだけ考え込んでから、きっぱりと返事をした。 「わかりました、行きます。案内してくださるかしら?」 「勿論。ちゃんとアレフくんのところまで案内しますよ」 そのとき。 彼がアレフから預かってきた伝言のことばかりを考えていたフィーユは、だから見逃したのだ。 彼が快い返事と共に、剣呑な笑みを浮かべていたことを――
「はーなーせって言ってるだろう!?」 アレフは何度目かの抗議をするが、結局それは聞き入られず、そしてそのまま部屋に放り込まれた。 見覚えのある部屋、である。 「――アレフ!?」 「ソル! ソルソル!! 助けに来たよ、俺!」 アレフはソルの姿を認めると、思わずそう叫ぶ。 「感動の再会で盛り上がっているところに水を差すようで申し訳ないですが、助けに来たのではなく、つかまりにきたのでしょう、あなたは?」 全く申し訳ないと思ってなどいないとすぐにわかる声が、その場に注がれる。どうやら確かに感動の再会を喜び合う状況ではないらしい。ソルはすぐにアレフを背後にかばうと、水を差した本人の方を向く。 「そうして役者を揃えて、次は何をしたいのですか、監督は?」 アレフはそのソルの声を聞いて、驚いてソルを見上げる。こんなに冷たく響くソルの声を、アレフはただの一度も聞いたことがなかった。 「役者? まだ揃ってなんかいませんよ。例えば、そこの坊やの彼女、とかね」 「あいつは関係ないだろ!?」 アレフは彼に食ってかかる。レイネにまで被害を及ぼすわけにはいかない。 「いいえ、関係ありますよ。彼女もあなた達とは同類ですからね」 逃げてくれればいい、とアレフは思った。今すぐに。この冷たい城から。 伝えたいのに。逃げろと、伝えたいのに! 「ここには特殊な結界が張ってありましてね。精霊との交信はできないようになっています」 まるでアレフの考えを見透かすように、彼はにこやかにそう言う。 「大丈夫、役者が全員揃うまでは、感動の再会を味わわせて差し上げましょう。最後の一人も、もうすぐこちらに来るでしょうし」 「……最後の、一人?」 「ええ。少なくとも、あなた達はもう一度『感動の再会』というものが出来る、ということです」 彼はもうそれ以上は話す気もないとでも言うかのように、部屋を出ていく。そして、鍵をかける音。 暫くは、その部屋の中を沈黙が支配した。 「――ソル、怒ってる?」 沈黙を破ったのは、不安そうなアレフの声だった。 「俺、助けに来たのに、助けに来たつもりなのに、結局こんなになっちゃって……ソル、怒ってる?」 今後の危機感よりも、アレフにはソルの機嫌の方が気になる事項らしい。ソルは、くすっと笑った。 「怒ってなんかいないよ。……元気だったかい? アレフ」 ソルの言葉と共に、アレフの顔に満面の笑みが浮かぶ。 「うん! うん、元気! ソルは? ソルは元気だった? なんか悪いこととかされなかった? ねえ、ソル大丈夫だった?」 「そんなにいっぱい聞かれても、答えられないと思うけどね」 ソルは苦笑を浮かべてそう返事する。 「とりあえずひとつずつ質問してくれるかい? ……僕も、聞きたいことがあるしね」
……光坂、第十六回……
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