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歌詞訳
バルトーク・ベーラ作曲
「児童と女声のための合唱曲集」
国際コダーイ協会創立25周年記念
1 春
2 ここに、おきざりにしないで!
3 家畜多産のおまじない
4 祖国への手紙
5 遊び
6 嫁さがし
7 鷹よ、鷹よ!
8 行かないで!
9 一つの、指輪を
10 この世にただ一人の私
11 パン焼き
12 軽騎兵の歌
13 なまけものの歌
14 さまよい
15 女の子からかい歌
16 男の子からかい歌
17 聖ミハーイの日の祝歌
18 求婚者
19 悔やみ
20 鳥の歌
21 陽気な囃し声
22 嘆き
23 あなたに会わなければよかった!
24 行ってしまった小鳥
25 枕のダンス
26 カノン
27 さようなら!
解 説
降矢 美彌子
福島コダーイ合唱団は、約20年にわたってバルトークの「児童と女声のための合唱曲集」を愛し、歌い続けてきた。合唱団は、コダーイの理念によって、音楽の勉強を続け、多彩な音楽活動を行っている。2000年には、ハンガリーの合唱指揮者ウグリン・ガーボルの指揮によって27曲全曲の録音を終えた。最初の録音から11年目のことであった。ウグリンは、1996年以降毎年1度来福し、定期演奏会を客演指揮した。また、1990年、1991年、1993年、1998年、2000年と5回にわけて、この曲集の収録を行った。
合唱団は2001年春に、客演指揮者モハイネー・カタニチ・マーリアによって、福島・仙台で全曲演奏会を行った。全曲演奏としては日本初演となる。2001年8月には、ヘルシンキのシベリウス音楽院で降矢美彌子の指揮で全曲演奏会を行った。
2001年は、バルトークの生誕120年、そして国際コダーイ協会の創立25周年である。それらを記念してこのCDをリリースする。カヴァージャケットの写真はウグリンの友人、写真家ベレツ・アンドゥラーシュによる。
1926〜1940年は、バルトークの生涯で最も豊かな創作の年であったといわれる。バルトークは、コダーイの「ハンガリーの子ども達は、生涯にわたって音楽芸術にふれることのできる教育を受けていない。ハンガリーの合唱作品を創造することは、ハンガリーの作曲家の任務である。どんな人も小さい子どもたちのために作品を書くのに偉大すぎるということはない。むしろそうするのに充分偉大であるよう努めなければならない。歌詞においても、メロディーにおいても、色彩においても、子どもたちの心や声から発するオリジナルな作品が、作曲されなくてはならない。都会に生活する子どもたちに、ハンガリーの響きがどのようなものであるか示そうではないか。」という主張にインスピレーションを得て、この作品の作曲に取り掛かった。
コダーイは、この作品集がまだ出版される前に、以下のような紹介文を書いた。
「ハンガリーの子どもたちは、まだ、一生の贈り物を1936年のクリスマスにプレゼントされたことを知ってはいない。ハンガリーの子どもたちを、もっと空気が澄み、空が青く、太陽が暖かく輝く所へと連れて行きたいと思っている全ての人々にとって、このことは明らかである。今やバルトークが、子どもたちの列に加わったことは、長い間このことを待ち望んでいた全ての人々にとって明らかだ。
近年はバルトークは、ピアノやヴァイオリンを作曲することで、幾年も子どもたちに語りかけてきている。これらの作品なしには、ハンガリーでもハンガリー以外の国でも、ピアノやヴァイオリンを教えることは困難だ。音楽の教師たちは、これらの作品の教育的な効果を、つまり、これらの作品によって、子どもたちがより芸術でよりハンガリー的な世界を生きることができるであろうということを、より早く認識したのである。しかし、いったい何人のハンガリーの子どもたちが今日、自分のピアノやヴァイオリンを持つ余裕があろうか?非常に多くの子どもたちは、豊かな器楽作品を知らずに成長している。バルトークは、今や、音楽的にこのような取り残された子どもたちに語りかけている。バルトークは、都会に住む四隅を壁に囲まれて楽器を弾く子どもたちに、民謡のテーマで作った子どものための器楽作品によってハンガリーの平原の空気を届け始めた。そして今や彼は、音楽に 触れることなく生きてきた農村の子どもたちに、民謡の詩の語法であって、なおかつ子どもたち自身の音楽の言葉をもちいて、話しかけているということは、矛盾するように聞こえるかも知れないが、深い論理を含んでいる。
バルトークの音楽の語り口は、民謡をよく知っている子どもであれば特別によく理解できるように用意されている。そのことは、民謡が歌われている中で生まれるか、学校でそれを習うのかには関わらない。
子どもたちは、バルトークの音楽の語り口が教育学の横柄さなど何も含まず、また、大人がしばしば子どもたちに話しかけるわざとらしい赤ちゃん言葉を使おうとしないから、彼の音楽を捉えるのだ。彼のアプローチには、恩きせがましいことは何もない。彼は、子どもたちを仲間として尊重している。彼は、年老いた髪の毛を持っていても、子どもを大人に隷属するものだと思わない人だけが知っているやり方で、子どもたちを尊重しているのだ。
バルトークが子どもたちに語りかけていることは、彼が大人に大人として語りたい事柄なのだ。彼のこの作品は、大人の世界に対しても価値ある芸術性に満ちていて、その価値は、失われることはない。もし、バルトークのような人々にだけ話しかけられ育ったら(そのような音楽だけを聴いたり歌ったりして育ったとしたら)、ハンガリーの子どもたちはどんなに幸せで、そしてどんなに素晴らしい人間になり得ることであろうか。」
バルトークの『児童と女声のための合唱曲集』は、子どもたちが無理なく歌える狭い音域の中に、非常に豊かに人間が生きること全てをー自然や自然の恵みへの感謝や祈り、愛や愛を失った悲しみ、喜びや孤独やユーモア、憎まれ口、そして踊りの喜びといった内容を表現している。「パン焼き」、「枕のダンス」などのモチーフは、10年後の「第3ピアノ・コンチェルト」に使われている。「春」や「さまよい」などのモチーフも他の著名な作品の中に、用いられている。バルトークは、27曲の作品のうち7曲について、小編成の室内楽の伴奏を作曲している。
1937年5月7日に、この曲集の中から19曲がリスト音楽アカデミー大ホールで初演された。バルトークは、初演について次のように語っている。「私は、5月7日のコンサートで、『ミクロコスモス』から数曲演奏したが、それは重要なことではなかった。私にとって、素晴らしい体験は、リハーサルにおいて、沢山の子どもたちが、私の小さい子どもたちのための合唱曲を歌うのを初めて聴いたことだった。私は、小さい子どもたちの楽しげな声を決して忘れることはないだろう。とりわけ地方からきた子どもたちのなんのわざとらしさもない声は、農夫たちの歌い方の尊厳ある響きを思い出させた。」
この合唱曲集は、ア・カペラで、また、臨時記号による音や拍子の変化などが複雑で一見難解にみえるが、ハンガリーでは、コダーイが願ったように、今日も多くの子どもたちによって、学校で歌われ続けている。
ウグリン・ガーボル
(Ugrin Gábor)(客演指揮者)
ハンガリー、リスト音楽アカデミー卒業。リスト音楽アカデミー及びバルトーク・コンセルバトリー教授。前「ハンガリー国立合唱団」、現「ジュネス合唱団」常任指揮者。ハンガリーを代表する合唱指揮者の1人。1975年リスト・フェレンツ賞、1998年コダーイ・ゾルターン賞受賞。
降矢 美彌子 (音楽監督、常任指揮者)
武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。1987年ハンガリーに留学、以後、毎年ハンガリーで研鑽を積む。ピアノをクルターグ・ジェルジュ、セルヴァーンスキ・ヴァレーリア、ピアノ教授法をテーケ・マリアンヌ、合唱指揮をウグリン・ガーボル、モハイネー・カタニチ・マーリア、発声をハルチャーニ・ユディトの各氏に学ぶ。コダーイ・ゾルターンの理念による音楽教育の研究と啓蒙に努める他、多文化音楽教育の実践研究を行い国際的な評価を得ている。宮城教育大学教授。
福島コダーイ合唱団
1987年9月創立。団員は主に福島県を中心とする小中学校教諭。 日本の伝統芸能や民俗芸能、西洋の合唱曲、ブルガリアン・ヴォイスなどをレパートリーとする多文化合唱団。2000年までに、福島市で15回の定期演奏会の他、東京、山形、宮城、栃木、佐賀等などで招聘演奏会を行う。ハンガリーより招聘を受け、1990年、1994年、1999年に演奏旅行を行った。また、1996年、第22回国際音楽教育協会(ISME)アムステルダム大会、1997年第13回国際コダーイ協会シンポジウム・マニラ大会、1999年第14回国際コダーイ協会シンポジウム・ケチケメート大会でも、数回の演奏会・ワークショップを行い、西洋と東洋の伝統を生かした演奏と高い評価を得た。2001年には日本とヘルシンキで開催されたエスタ・コダーイ大会(ESTA&Kodály Congress)でバルトーク作曲「児童と女声のための合唱曲集」の全曲演奏会を行った。
2000年12月に『Many Nations−Many Voices−合唱が結ぶ日本とヨーロッパ』(FKC2000)をリリース。他、これまでに東芝EMIより 『ルタの木は高いーハンガリー ア・カペラ合唱の響き』(TOCF56002) (東芝EMI合唱名曲コレクション51)など、数種のCDをリリース。