第三章
| 音を立てないように慎重にドアを開ける。真正面は壁だが、左右に廊下が延びている。明かりが灯されていたが、薄暗く、先ははっきり見えない。 「右から来たんだから左に行けばいいのよ」 「わかってるよ、そんなこと」 人気が無いのを確かめると、二人はできるだけ足音を立てないように左に進んだ。大きな建物の割には、あまり人がいないのだろう。夜ということも手伝って、辺りはしんと静まり返っている。 無意識のうちに二人は身を寄せるようにして歩を進めていった。
「もう少し……」 傍らにいる青年がポツリと呟く。 「もう少しで、時は満ちる……」 ソルは黙っていた。黙って青年の顔を見詰める。 「やっと……やっとのことで、私の願いがかなう……」 窓から差し込む月明かりで照らされた顔には、恍惚とした表情が浮かんでいた。目は窓の外を向きながらも、どこか別のところを見ている。空の彼方か、それとも昔日の思い出か…… ソルは無表情のまま、心の中で思考を巡らせていた。宣戦布告したはいいが、これといって具体的な方法が思い付かないのだ。一体この青年の目的は何なのか、何が狙いなのかはっきりしないので、対策を立てようにも立てられない。 だが、今晩の彼はどこかおかしい。今までは飄々としていて、まったくつかみ所が無かったのだが、今眼前にいる彼の顔には、表情がありありと表れている。しかもそれを隠そうとしない。いや、隠す気も無いのだろうか。 言葉から、何か長年の念願がかないそうだ、ということはわかる。もちろんその内容は分からないが、もしかしたらそこにつけ込むチャンスがあるのではないか。 じっと顔を見ていたソルに、青年がふとこちらを向いた。 「あなたにもわかっているでしょう、鍵が近づいてきていることを」 「鍵?」 うすうすは感じているが、ソルはあえて聞いてみた。 「今更呆けなくてもいいじゃないですか。時間の無駄というものです」 青年がかすかに唇の端をあげる。嬉しそうな、それでいてどこか残虐な笑み。 「……アレフに手を出したら、僕はあなたを許さない」 人間の、こんな笑みはすでに見慣れている。昔は恐怖を覚え、夢にまで出てきてはうなされていたが、今はまるで何も感じない。ソルは少し自虐的になりながらも、きっぱりと言い切った。 「許さない、と言われましても、こちらにも事情というものがありまして。残念ながら、彼の無事を保証するわけにはいかないのですよ」 不吉なことを言いつつも、彼の口調は先ほどから喜びにあふれている。彼の言葉を聞く度にソルは嫌悪と怒りが湧き起こるが、それをぐっと押え込んだ。ここでこちらが冷静さを失うわけにはいかない。チャンスはまだあるはずだ。 「ですが、もう少し……機が熟すには、ほんのもう少しだけ時間が必要です。それまで、彼らには少し遊んでいてもらいますか」 不意に彼の口調が元に戻った。 「申し訳ありませんが、少々お待ち下さい。舞台の準備には時間がかかるものなのです」 「監督としては、ちょっとずさんですね。待たされている観客の身にもなって下さい」 「観客? とんでもない。あなたは出演者ではないですか」 「最後まで演じきる技量も意志もありませんよ」 「ミスキャストはありません。すでに幕は上がりかかっています。覚悟を決めていただかないと」 「やれやれ、緊張しますね」 「楽しませて下さい。私は監督兼唯一の感客なのです。成功するかどうかはあなたがた次第です」 「……あまり気乗りしませんが、やるしかなさそうですね」 「ほう、やる気になってくれましたか」 「ハプニングが起こるかもしれません。監督の思い通りのストーリーにならないかもしれません」 「きちんと進行させるてみせます。監督としての腕の見せ所ですね」 夜はふけていく。窓の外には、変わらず三日月が輝いている。
……亮、第十四回……
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