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私は、宗教をやっているのをご存知の人がいらっしゃると思います(宗教に関して語ると問題が多いので、Pixieでは語らないようにしています)。
で、私が物凄く病んでいるというのをご存知の方もいらっしゃると思います。
最近、自分の性格の悪さに嫌気がさしてきて、 すぐに嫌な人に敵意を表したり、 けっこう、私は嫉妬深かったり(すぐに嫉妬してしまいます)、 あと、躁うつ病を持っているため、変に騒いだりして、浮かれ騒ぎと言いますね。 この悪い特質を取り去りたいのです。
弟からも「世の人でも、お前みたいな極悪人は滅多にいない」って言われて(弟が世の人の汚さを知らないからなのですが)。
こういうのは、普通に生活していれば、日常茶飯事ですよね? ですが、私はもっと上を行きたいのです。
この特質は神から嫌がられます。
それに、さっき、私が病んでいるということを表しましたが、 やたらと、リストカット(手首を切って、血を見て快感を得る)、オールナイト(一晩中起きている事)という言葉に惹かれます。 サド(苛めて快感を得る)やマゾ(苛められて快感を得る)などという精神障害にも惹かれます(半年前はもっと酷かったです) 精神に問題のある言葉をやたらと愛しています。しかも、自分が変人や変態扱いされると、狂気なほど快感を得ます。 精神科医に「病んでいると思うんです」というと「うん、病んでいるね」とはっきり言われました。
こんなに病んでいたら、やっぱり神に好かれませんよね。 公正、愛、義、哀れみなどの特質を誇れるようになりたいです。サドなどの特質を誇れるようになりたくありません。
良い特質を愛せるようにならないでしょうか?
※ちなみに、宗教なんかやめた方がいい、という考えは持ち込まないでください。何回言っても、言う事を聞かないし、不快です。
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こんにちは、にっしぃさん。
過去の文などを見させていただいた限り、貴方は病んでいる…というよりは、「自分は異常なのだと思いこまざるをえなくなっている」ように感じます。
「一般的に不快とされる言葉を好む」という傾向は、他人に自分の考えを押し付けたりしない限り、「個性」として貫いてもいいと思います。 実際、ごく普通の人でもグロテスクなものを好んだり、ヒールなものに憧れを抱いたりする人もいます。 何が好きで、何が嫌いか、なんて、個人によって大きく違うものです。 個人の趣味や嗜好に他人が文句を言う権利は、ありません。
にっしぃさんは他人の評価…というよりも、神さまに見限られるのを恐れているようですが、 貴方ほど、神さまに愛されるだろうと感じる人は他にいません。 天の神さまは、地上での全てを、きっと見ています。 なぜ、貴方がそのような思考になったのかも、全てお見通しだと思うので、ご安心下さい。 神さまは、貴方を嫌がったりはしませんよ。 貴方は愛や憐れみを、誰よりも知っていると思います。 恋愛をしてみたり、お母さんを思いやったり、とても優しい人柄がうかがえます。
神さまが本当に天罰を下さなければならないと感じる人、世の中にはたくさんいます。 犯罪者、いじめっ子、虐待親…日本だけでも本当にたくさんの問題があります。 貴方は数々の痛みを経験しながら、歩んでいってる途中なのです。 今、そのような「多少ひねくれた思考」になってしまっているのも、途中経過に過ぎないと思います。 大丈夫です。神さまは貴方を見放したりはしません。
貴方はきっと自分が嫌いなのでしょうが、 自分はそんな貴方が今でも気になって、よくここに顔を出していたりします。 「にっしぃさん、今でも頑張って生きてるんだ」と何度も思いました。 神さまはきっと、「作られた良い特質」よりも、「ありのままの貴方」を愛してくれると思います。 「ありのままの貴方」は、決して神さまに見放されるようなものではないので大丈夫です。 良い部分も、悪い部分も、全ての人に存在します。 にっしぃさんにしかない良い部分も存在するのは確かですから、それだけは理解してください。
遅くなりましたが、目を通していだたければ幸いです。
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ぼくも宗教とは縁がありますけど、美徳をもっていたい、道徳的でありたいと思っているかといえば、決してそうではないですね。しかしそれと同時に、ぼくたちは美徳をもつべきだ、道徳的であるべきだ、とも思っているわけです。自分を宗教とのかかわりの中で捉えることには意義があると思うけど、それは「ぼくたち」つまり皆にとってそうであって、「ぼく」にとってそうであるべきかどうか、とはまた別の問題なわけです。そういう周りの人との違いを認めつつあなたを受け入れてくれるのが宗教であって、これこそが道徳のもつ本当の姿である、とぼくは思います。
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こんにちは、にっしぃさん。 私の意見は参考にならないかもしれませんが、少しでも力になれたらなと思います。
私は去年、にっしぃさんと同じような悩みをもっていました。 いや、でも、神に愛されない、とかではないですが、 自分は性格が悪いし、褒められるとすぐ調子のっちゃうし、 謙虚じゃないし、とても嫌なやつだと思っていました。 自分のことが嫌いだったんです。
でもこのごろは、あまりそう思わず、自分のことが受け入れられるようになりました。
気持ちや感情というのは、どんなに頑張っても変えられないことに気付いたからです。
「これが好きだ」「こうしたい」とかいう気持ちは、どんなに抑えても、自分の内側にたまるだけで、決して消えないと思うんです。
かえって、「自分はこんなふうに思ってるのは確かだけど、でも行動はしない」と言うふうに、 自分の気持ちを認め、許した上で、それからの行動を考えるようにしたほうが、心は楽になれますよ。 そして、自分を許したとき、初めて他人を許せるようになるんじゃないかなと思うんです。
それに、神様だって、「気持ち」を嫌うことはないと思います。 だってにっしぃさんは、そう思いたくて、思ってるわけじゃないんですよね?
宗教とかはあまり詳しくないので、あまりいいアドバイスとは言えないかもしれませんが、にっしぃさんが元気になってくれることを願ってます。
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>皆さん 返事が遅くなってすみません。
神は、確かに嫌われませんでした。 神は、寧ろ、わたしを良くなる方向へ向けてくれました。
なので、時間が解決するということもあるかもしれませんね。
今は、リストカットなどの不健全なことに惹かれず、 健全になってきました。
皆さん、ありがとうございました。
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