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秋山レイの才能 第１部〜再生の時へ〜
Ep.0 プロローグ
（ここはどこだ…。オレ、何やってたんだっけ…？）
「おお…気が付いたぞ…。気分はどうだね？」
近くで誰かが話しかけて、「秋山レイ」は目を覚ました。
顔を横に向けると医者にレイの家族、それに会った事もない夫婦の姿が見えた。
「レイ！レイ！」」
意識が朦朧としていた。両親に名前を呼ばれているのだろうか、でもすぐに聞こえなくなってまた眠りについてしまった。
「手術は成功しました。意識が戻り次第、念のためもう一度脳波を診断して、問題なければ数日で退院出来るでしょう。」
カントー大学付属病院の天海医師は２組の家族に安心の言葉を告げる。
「でも…これからどうすれば良いのでしょうか？」
「夏目さん、体はあなた方の娘さんです。しかし、もうあの子の意識は…。」
西暦２１XX年、ニホン。
かつて２０世紀末よりポケモントレーナーが活躍していたのも今は昔。
度重なるポケモントレーナーと悪の組織の対立は、いつしか苛烈を極めるものとなっていた。
１９９５年、ロケット団の出現を皮切りに１世紀以上も続く善と悪の戦いは、この地球上から多くの命を犠牲にして続いてきた。
現在では、ある種の才能を持つ限られた人間にしかポケモンの所有は許されず、ポケモントレーナーの存在は半ば伝説と化していた。
今ではようやくその長きに渡る争いも消えつつあり、この国は２０世紀半ばより唱えられていた真の平和に向かいつつあった。
科学技術も大きく発展し、今では世界有数の大国家となっており、特に医療技術においては他国の追随を許さない地位を確立。
ここ国立カントー大学付属病院は、ニホン医療技術の最先端とも言える場所であった。
この病院で今日、１つの手術が行われた。
人類初となる、脳移植。
手術に携わったのは、ニホン医療技術の権威と謳われる天海ヒデキ医師。
脳手術は、まだ理論上は可能と言われ始めたばかりであった。
脳手術を決断したのは、天海医師自身。
２１XX年某日、２人の高校生が交通事故で瀕死の重傷を負った。
１人は公立カント−第一高等学校の在学２年「秋山レイ」、もう１人は公立カントー女子学院の在学２年「夏目エリ」。
事故を目撃した者は多数いたが、証言も総合するといきさつはこうである。
”子供が道に飛び出して来ていた。最初に助けようと子供に走り寄ったのが夏目エリさん。”
”運転していた車は、見通しが良かったが子供に全く気が付かず。”
”そしてそれに気づいたもう１人の高校生、秋山レイ君は、子供を庇おうとした夏目エリさんの前に立ちはだかり、止まれと叫んだそうだ。”
”しかし、車は３人をそのままひき逃げ。車は通常の乗用車だったという。”
”秋山君は全身に凄まじい傷を負い重傷。夏目さんは頭を強く打って意識不明。”
”２人の意志が天に通じたのか、夏目さんが抱きかかえていた５歳の子供は奇跡的に無傷であった。”
”その１０分後、目撃者の１人が救急車を呼んで２人は運ばれ、緊急手術。”
”秋山君は、もはや一刻の猶予もないほどの凄まじい傷を負っており、手術はとても間に合わない。”
”一方、夏目さんは脳が破壊され、事実上の植物人間状態。”
”２人の両親が病院に呼ばれ、天海医師によって１つの提案が出される。”
”それは全身に助からないほどの重傷の秋山君の脳を、体は無事な夏目さんに移植するというもの。”
”２人の両親は、満場一致で天海医師の提案に賛成したという。”
”そして間もなく緊急の大手術。１２時間後に手術は成功し、脳波も異常なし。”
それは、あまりに前代未聞の出来事であった。
１人の子供を救おうとした、２人の勇敢な高校生。
今、手術に成功した夏目エリの体の秋山レイは、手術時の強力な麻酔がまだ効いており、一度意識が一時的に数十秒ほど戻ったが、それからまだ昏睡状態。
天海医師によれば、麻酔が切れ脳波に異常が見られない場合は数日で退院出来るとの事。
しかし問題は、その後の事であった。
手術成功から２日が経った。
ようやく目を覚ましたレイの目の前には、レイの母親がいた。
「母さん…ここは…どこ？」
一言喋ると、声がおかしい事に気が付いた。まるで女の子の声だ。
「あれ…。声が…。」
「レイ…あんたは交通事故に遭って…それで…。」
レイは思い出した。あの時、２人を庇おうとして、それで…。
「レイ…これを見てごらん。」
母は手鏡をレイに手渡す。
レイは、何故今鏡を渡すのかと不思議に思ったが、顔を見て驚いた。
「な、なんじゃこりゃー！！」
鏡を持ってるのは確かに自分。しかし目の前に見た事もない女の子が映っている。
そうすると、天海医師が病室に入ってきた。
「おお…目が覚めたかね？どうだ気分は。」
何が何だかさっぱり分からない。
「こ…これは一体どうなってんだ…。」
天海医師は、今までの事情を分かりやすくレイに説明した。
「こういう事なんだ…。君のご両親も夏目さんのご両親も、君たちを助けたいというだけの想いで今、君はこうして…。」
でも分からない。いやこういう事か。自分は男だが体は女になってしまったと。
交通事故にあって、それでも命が助かったのはいい。だがこれから自分の人生はどうなるのだろう。
さらにその数日後、脳波異常なしという結果を受けたレイは退院した。
体は夏目エリだが、意識や記憶は秋山レイのものである事を考慮し、秋山家で暮らす事になった。
無論、夏目家の人たちもいつでも会いに来て構わないという条件付きで。
レイは、また鏡を見てみた。
何度見ても女の子の顔が映っている。
信じられないが、これは紛れもない現実。
退院前、天海医師はこう言った。
”いいかい？レイ君。君は体は女の子だが、意識は今までのままだ。体をくれた夏目さんの分まで、君には生きていて欲しい。いいね？”
体は夏目エリという同い年で違う学校の子だと聞いた。
元の自分の体は、火葬されて代わりに夏目エリのお墓に入れられるそうだ。
さらに翌日。
レイは、無理矢理女生徒用のセーラー服を両親に着せられて学校へと向かった。
何度もダダをこねて猛反対したのだが、すでに前に使ってた衣類は処分したらしい。
どれだけ用意周到な両親だろうか。もう私服から下着まで全部買い揃えてあったのだから驚きだ。
レイは、もうあっけに取られて一瞬声も出なかった。
そしてカントー第一高等学校、校門前に着いた。
いつもと変わらぬ風景だった。
みんな、おはよーおはよーと挨拶を交わしている。
（風邪とかで休んだ後、数日振りに学校行くのは妙な緊張をするモンだが…。）
全く別人の姿になって学校に行くのだ、これからが不安になって当然だ。
仕方なく学校に足を踏み入れようとすると、後ろから肩に手がかかった。
後ろを振り返ってみると、親友の「水咲ダイ」がいた。
「もしかして、君はレイじゃあないか？」
「ダイ…。オレが分かるのか？」
「話は聞いていたよ…。大変だったんだね…。」
でも、レイはまだ気付いていなかった。
水咲ダイというかけがえのない親友がいて、そして夏目エリの体を譲り受けた事で、これからの自分の世界が広がって行く事も。
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Ep.1 ただいまの瞬間
今日から、秋山レイの新しい人生が始まろうとしていた。
ボク、水咲ダイはレイをずっと心配していた。
女の子の体を借りて生き返ったと聞いた時はびっくりしたけど、会ってみるとなかなか似合ってると思った。
前のレイの顔も結構カッコいいと思ってたけど、今のレイはとても可愛らしい。
そして、朝のホームルームの時間。
「…というわけで、先日も話した通り、秋山君は女の子の体を借りて奇跡的に助かったのです。」
担任の火野先生は、みんなの目の前でレイの無事をお知らせしていた。
「じゃあ、秋山君。みんなに新しい姿を見せに教室に入って来て下さい。」
先生がそう言うと、レイは教室に入って来た。
うつむいている、顔も真っ赤だ、手足の動きもぎこちない。
レイが先生のところまでゆっくり歩いてきたが、うつむいてみんなの方を見ようとしない
恥ずかしかったのだろう。”ボクは女の子になりました。”、レイはそんな事を陽気に言えるキャラではない。
クラスのみんなもは、息をのんでレイの方を見ている。顔はまだよく見えない。
「どうしたの？さあ、みんなに顔を見せてあげて。」
レイの心臓は爆発しそうだった。一体どんな顔をすれば良いのだ？
どんなにごまかしたって、もう元の自分の顔ではなくなってしまった。声も、体も、何もかもだ。
「秋山君…さ、恥ずかしがらずに…ね？」
先生は、優しくレイに語りかける。
「いえ、あの…。」
レイの顔をよく見ているのは、今のところこの学校ではボクだけだ。
教室に来るまでの間も、見られたくないと言ってボクの影にコソコソ隠れてやってきたくらいだ。
担任の火野先生は、まだ若干２７歳の若い女性教師。
一部の男子生徒からは熱狂的な人気があるらしく、レイも先生の事は慕っていたようだ。
そして、先生は再び優しくレイに言った。
「秋山君…。先生も、あなたの顔をよく見てみたいんです。先生とみんなに…見せてあげてちょうだい。」
レイは先生の言葉に負けたのか、ゆっくりと顔を先生の方へ向けた。
「まあ…。」
先生も一瞬言葉を失った。
何と可愛らしい…。
続いてみんなの方に少しづつ顔を向けた。
”か…可愛い”、”すげえー”、”キャー秋山君こっち見てえー”、”かあえー”
”美少女過ぎる！”、”うらやましいぜ、そんな可愛い子に生まれ変われて”
みんなの反応は様々だった。が、非常に好評のようだ。
女性にはあまり縁のないボクでも、彼の顔は素直に可愛いと思う。
セミロングのピンクの髪、大きくて二重の眼、綺麗な青色の瞳、誰が見ても美少女と思う顔立ちだ。
「はい、みんな、静かにしてー。」
先生は興奮するみんなに呼びかけた。
そして、そばにいるレイに語りかける。
「秋山君、おかえりなさい。」
「えっ？」
「先生はあなたのその顔、とても可愛いと思います。でもあなたは、やっぱりあなたの顔をしています。紛れもなく、秋山レイの眼差しをしている…。」
「…。」
「先生には分かります。あなたは、本当はとっても良い眼をしている子。秋山レイ君…。」
先生はレイの元へと歩み寄った。
ボクもクラスのみんなも、ただ黙って２人を見ているだけだった。
先生はレイの目の前に立つと、一言こう言った。
「おかえりなさい、私たちの元へ。」
先生は、レイをゆっくりと抱きしめた。
「先生…。」
そして少しして先生が手を放すと、レイは先生に言った。
「オレは…こんな姿になってしまって…これからどうすればいいか分かりません…。」
すると先生はこう言い返した。
「あなたは、秋山レイなのでしょう？ならば、これからも秋山レイとして生きなさい。」
「男としてとか女としてとかではなく、秋山レイという１人の人間として。」
「秋山レイとして…？」
「そう。あなたは、私にとって大切な子。精一杯生きて欲しい。体をくれた女の子の分まで、これからも秋山レイとして生きて。」
「…はい。」
レイは、先生に返事をして頷いた。
「さ、あなたの席に戻って。もう１時間目が始める時間ね…。」
レイは、ゆっくりと席に向かう。
もう、少しもうつむいていない。堂々と前を見て歩いている。
ボクにも分かる。あそこにいるのは、紛れもなく秋山レイだ。
教室の誰もが、レイの姿を黙って見守っていた。
そして、机の前に立つと、ゆっくりと席に腰を掛ける。
「先生…みんな…ダイ…ただいま。」
レイがボクたちのところに戻って来てくれた瞬間だった。
ボクは今日の日の事は生涯忘れる事は出来ないだろう。
レイの新しい人生の１ページが開かれたこの時の事を。
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Ep.2 動かない体
あれから数日。
レイは今日もごく普通に学校にやってきていた。
みんなと普通に挨拶し、いつもと変わらない感じだった。
「レイ、おはよう。」
「ダイ、おはよう。今日は久々にサッカーやるんだってな。」
１時間目の体育は、サッカーをやる事になっていた。
レイはサッカーが得意で、サッカー部員から誘われた事もあるが入部はしていない。
本人によれば、学校から帰った後は家に帰ってゲームをしたいからだそうだ。
もったいない、せっかくの特技を生かそうとしないのが彼の欠点の１つだ。
体育だから体操着に着替えるわけなのだが、レイは女の子の体なのでボクら男子生徒と一緒に着替えてはいけない事になっている。
とはいえ、レイは意識は男性なので女子生徒と一緒…も無理だ。
レイの場合「じゃあオレはトイレで１人寂しく着替えて来るわ」と言って着替えて来る。
ちなみに、レイはトイレは男子トイレを使用する。
男子トイレに女性が入っても…まあその逆よりはまだマシとだろうという事になっている。
「男子生徒と同じ方法で…は絵的にまずかろう」とは本人談で、洋式の方で用を済ませる。
体操着は、ウチの学校の場合は男女共通ものを着用する。
上着の方は読者の方もおそらく着た事のあるであろう、あの感じの白色のシャツ。
下の方は、陸上選手がたまに履いてるスパッツ状の紺色のパンツ。
丁度膝くらいまで裾があり、運動性の向上を目的としてデザインされたらしい。
とってもぱっつんぱっつんじゃあなくて、長ズボンと半ズボンの中間のようなもの。
レイも体操着着については「とりあえず、みんなと同じ格好だからちょい気が楽。」と言っている。
ちなみに冬用にはジャージが用意されており、これも男女共通のデザインとなっている。
レイは体育は男子生徒と一緒に行う事になった。
本人の希望もあるが、一番の理由はサッカーがしたいかららしい。
「ああ〜、サッカーするのも久々だ。燃えるぜ。」
この体育の時間は、時間いっぱいサッカーを行う事になっている。
「よしレイ、行ったぞ。」
「っし、任しとけよ。」
高くて球速のある球だったため、レイはムネトラップで受けようとしていた。
レイは、サッカーの事なら大抵の事はこなせる。
トラップでもリフティング、シュートも上手いしサッカー部に引けを取らない実力だ。
とりあえず、彼にパスをしておけば４５分のこの試合なら３点くらいはいつも入れてくれる。
自分でもハットトリック王を自称しているほどだが、実はゴールキーパーだけはさっぱりで、PKになったらレイには絶対みんな任せない。
「ぐっ！」
トラップしようとしようとしたのだが、レイの方が吹き飛ばされてしまった。
「げほっ！」
レイは、倒れ込んで苦しそうに咳をしている。どうしたのだろう？
「レイ、大丈夫かい？」
だが、咳が止まらないようだ。
「何で…？あれくらいの球受けられるはずなのにな…。」
何とか立ち上がったレイは、再び試合を続行。
もう１度パスがレイに回ってきた。
「今のはたまたまだ。今度こそ。」
ゴールまで２０ｍほどの地点だった。
レイなら、そこからゴールを狙える。
ぽんっ
「い？」
レイは勢いよく球を蹴ったようだが、そのままコロコロと転がっていくだけだった。
球は当然、キーパーの子に取られている。
「な・・何でだ…。そう言えば、妙に息苦しいぞ…。」
レイの息が凄く上がっている。どうしたのだろう。まだ試合が始まって５分も経っていない。
みんながレイのミスを責める事はなかったけど、レイだけは気にしていた。
（どうしてだ…何故シュートもトラップも出来ない…？）
しかも息が物凄く切れる。もう走るどころか歩く事すらつらそうだった。
「ちっくしょ…ボ…ル…。」
レイは、とうとうグラウンドのど真ん中でバッタリと倒れてしまった。
「レイ…レイ…！大丈夫か？」
ボクは、レイを介抱してあげた。
依然息切れが激しい。
（立ち眩みがする…吐き気も…どうなってんだ…。）
レイは、その後は先生の判断で見学する事になった。
「レイ…大丈夫か…？」
「ダ…ダイ…。オレはどうなってしまったんだ？何でこんなにしんどくて、トラップ１つも出来ないんだろう？」
「レイ…。」
ボクには、すぐに分かってしまった。
もしかしたら、この事実に気が付いたのはボクだけかもしれないが…レイにとっては残酷な現実だった。
「君は…夏目エリさんの体になった君には…女の子の体力しかないようだ…。」
「な…何だと…？」
「エリさんは…どうやらあまり体力のない子のようだ…。恐らく…そういう事だと思う。」
「今のオレは…女の子以下の力しかないのか…。」
レイは、自分の腕を見た。
か細い腕、か細い体…。
「…オレは…もう元には戻れない・・。あの力のあった体には戻れないのか…。」
「君のせいじゃあない。こればかりはもう、どうしようもない…。」
「どうしようもないって…オレはこんな状態でこれから一生、生きて行くのか…。みんなとサッカーも、遠くへ遊びに行ったりも何も出来ないのかよ…。」
レイは舌打ちをしながら立ち上がり、校舎の方へと走って行ってしまう。
「ま…待ちなよ！」
しかし、すぐにまた立ち止まって膝をかかえている。
「はあっ…だ…だめだ…はあっ…はあっ…。」
「レイ…待つんだ…ボクの話を聞いてよ。」
「はあっ…はあっ…。」
眼を固く瞑って息を切らしている。
後で知った事だが、夏目エリさんは昔から虚弱体質だったという。
年齢を重ねるたびに少しずつ元気になっていったのだが、それでも激しい運動を行うとすぐに息切れや動悸が起こったらしい。
今のレイは、その夏目エリさんの体を受け継いでいるから、当然レイにも同じ事が起こる。
だがこれは、本当にどうする事も出来ない現実だった。
「こんな…こんな１人で何も出来ない体で…。」
「レイ…体をくれたエリさんは…。」
「もうほっといてくれ…。」
そう言うと、レイは校舎へと再び歩き出す。
ボクは、レイに何も言えなかった。
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Ep.3 火野先生の涙
レイは、その後保健室へと向かっていた。
「失礼します…。」
ヨロヨロと保健室に入って行く。
「あ…ど…どうしたの？」
保健室の先生は、佐倉マリという女医。
火野先生より少しだけ年上で、レイにとっても火野先生と並んで良き相談相手の１人であった。
「ちょ…一寸気分が…。」
「あ…大丈夫？さ、横になって…。」
佐倉先生は、レイをベッドに寝かせた。
「顔色が悪いよ…何があったの？」
「実は…サッカーやってたんですけど…走ってたら息がすぐに切れるし、何をやっても失敗するしで…。」
「そう…。」
佐倉先生も、レイの脳手術の事情は良く知っていた。
「とにかく、少し横になってた方がいいですね。」
「すみません…じゃあ少し寝かせて下さい。」
体育が終わると、ボクはレイを探しに保健室に行ってみた。
恐らくここに来てるのではと思ったが、図星だったようだ。
「ああ…ダイ。来てたのか。」
レイはベッドで横になっている。
「気分はどうだい？」
「やっと落ち着いてきたよ…。なあ、ダイ…。」
「ん？」
レイは、真剣な眼差しで質問してきた。
「オレは…この体…。ハッキリ言ってやっぱイヤだわ…。」
「ええっ？」
「だってさ…ただでさえオレは男なのにさ…ヒラヒラしたスカートは履かなきゃあいけないし、少し走っただけでこんなんなるんじゃあな…。」
レイがそう言うので、ボクも真剣に言い返した。
「君は…夏目エリさんの体を借りる事が出来たから…今こうして生きていられるんじゃあないか…。それを忘れたのかい？」
「いや…それはオレだって判ってるさ。でもさ、今はあン時にくたばってた方が良かったなって思うんだよ…。」
ボクは声を強めてさらに言い返した。
「何て事を言うんだ。君は自分が何を言ってるのか判ってるのか？」
「あの時の子供は助かったって聞いてる。オレはあの時、死ぬはずだった人間だし、こんな体で生きてくくらいなら今更未練もないさ。」
ボクはレイが何故こんな事を言っているのか判らなかった。
彼は、本気で言っているのか…生きていたくないだと…？
何故そんな事が言えるのか、ボクには判らなかった。
「レイ…少なくともボクは、君が生き返ってくれて良かったと思っている…。」
ボクはそれだけを言うと、保健室から退室した。
レイはまた舌打ちをし、ベッドに潜り込んで眠った。
それから―昼休み。
ボクは火野先生に相談してみる事にした。
レイはまだ保健室で眠っている。
「秋山君が、そんな事を言ったの…？」
「…はい。もう、エリさんの体はイヤだと…。こんな事なら死んだ方が良かったって…。」
「…水咲君。彼は保健室にいるのね？」
「あ…はい。まだいると思います。」
そうすると、先生は急ぎ足で行ってしまった。
レイのところに行くつもりだろう。ボクも先生の後を追いかけた。
保健室―。
「あ、火野先生…。」
レイはベッドでまだ横になっていたが、先生の姿を見ると体を起こした。
佐倉先生の姿は見えない、どこか用事にでも出掛けられたのだろうか。
「秋山君、水咲君から聞いたわ。あなた、自分が何を言ってるのか判っていないのね…。」
「？」
「…ベッドから降りなさい。」
先生は、いつもの優しい顔ではなかった。
「…そこに座りなさい。お話があります。」
先生は、保健室の椅子に腰かけレイを座らせた。
「あなた…エリさんの体なんかいらないと言ったそうじゃあない。」
「ああ…言いましたよ。こんな弱っちい体で、１人で何も出来やしない体で…オレにこれからどうやって生きて行けと？」
レイがそう言うと先生は、レイの頬を引っ叩いた。
「秋山レイ…君はいつからそんな子になったの…？今の君は体が弱いんじゃあない…心が弱いのよ…。」
レイは先生の事は心底慕っていたのだが、この時ばかりは先生を睨みつけていた。
「…あんたに何が分かるんですか…。あんたのような…何でも揃っているような人間に…何が分かるんですか。」
先生は、もう１度レイの頬を引っ叩いた。今度は本当に思いっきりだった。
レイは流石に椅子から転げ落ちてしまった。
先生は、まるで凍りつくかのような目つきでレイを見ている。
いつもの火野先生とは、明らかに雰囲気が違っていた。
ボクらは、この高校に入学した時から、今まで１年余りずっと火野先生が担任だった。
今まで毎日のように顔を合わせて来たのだが、こんな表情の火野先生はボクも初めてだった。
「甘ったれるな、秋山レイ。」
レイは、先生のいつもと全然違う口調に思わず震え上がった。
「エリさんの体は、君だけのものじゃあないでしょう？エリさんも、君と一緒に生きている…私はそう思う…。」
「…。」
「エリさんは、もしかしたら君に体をあげる事が不本意であったのかもしれない…。」
「ねえ…君は体をくれたエリさんをどう思っているのかしら…？」
「…。」
「体をくれたのに…。エリさんは…男の子の君に体を譲ってくれた…。」
「…。」
「それなのに君は、エリさんの体をいらないと言った…。今の君がここにいるのは、一体誰のおかげなのかしら…。」
「…。」
「誰のおかげなの？君を生んでくれたお母さんのおかげなの？それとも、友達の水咲君や私なのかしら…？」
「…。」
「答えてみなさいよ…。」
レイは、何故答えないのだろう。答えは１つしかないじゃあないか。
「何故答えないの…？」
「…。」
「ねえ、何故黙っているの？」
「…。」
「いい加減にしなさいよ…。君は卑怯で臆病者だわ。本当に自分大事な勝手者。自分さえ良ければそれでいい、そうなのね？」
「ち…違います…。」
「何が違うの？」
「いえ…オレは…。」
レイは、そこから何も言い出せなかった。
「良い事？エリさんの体を侮辱する事は、先生は絶対に許しません。」
「…。」
「その体を、もっと大事にしなさい。エリさんは君に体をくれた…そんなエリさんを侮辱する資格は君にはないわ…。何て自分勝手なのかしら…。」
「…。」
「まるで、体を貰う事も当たり前だったみたいな言い草だわ。何て残酷でずるくて…先生は君には本当に失望させられたわ…。」
先生は…左目から涙一筋を流していた。
今の先生の心境をボクの方から代わりに話そう。
レイの事故を聞いた時、先生はレイの体が助からないほどの重傷を負っていたと聞いてひどくショックを受けていた。
もしかしたら、ボク以上にショックだったのかもしれない。
でもエリさんの体に脳手術をして生き返り、また学校に通えるようになったと聞いた時は、それはもうボクなんかよりも喜んでいた。
それに、事故があった現場に１人で花を持って行き、そこに花を供えてエリさんのご冥福を祈った事もあるそうだ。
先生はレイの帰りを本当に心待ちにしていたのだ。
そんなレイが今、エリさんの体なんかいらないと言っている。
やっと帰って来てくれた自分の生徒が、こんな事を言ったのだ、頬を引っ叩くくらいの事はしたくなって当然なのかもしれない。
心待ちにしていたのに、帰って来てみたらこんな様だ。先生とて残念な気持ちで今はいっぱいなのだろう。
「せ…先生…。」
レイは先生の一筋の涙を見てようやく自分の過ちに気が付いたようだ。
ボクも先生の言う事が正しいと思った。
レイは思わず手で先生の涙を拭いた。
「触らないでよ…君のような酷い子に…こんな事して欲しくありません…。」
先生はそう言うと保健室から出て行ってしまった。
「レ…レイ…。」
「ダイ…オレは…この子の体を大事に生きてかなきゃあいけないのかな・・。こんな弱っちい体でも。」
「そうだ。今の君は心が弱いんだ。体が弱いなら何故鍛える事を少しも考えなかったんだ？」
「昔の君は最初からそんなに強かったのか？男だから強かったのか？違うだろう？」
ボクは、レイに思ってる事を全部ぶつけた。
「君は心が強かったから、ボクも君と友達になれた。君の心の強さに、ボクは何度救われたか知れない。」
「ダイ…。」
「体が…強い体が欲しいならボクも手伝うよ。毎日グラウンドを走るのに付き合ってもいい。ボクは君には返しきれないほどの借りがあるからね…。」
「…。」
「今度は…ボクが君を支えてあげる番だ。君がそのエリさんの体を貰ったと聞いた時から、ボクはすでに心に決めていたよ。」
「君に…今までの借りを返していくチャンスだと思った。」
「ダ…ダイ…君はそこまでオレを想ってくれていたのか…。オレは…君とはもう長い付き合いだが、でも君に貸しをつけたつもりは一度もない。」
「判ってる。君がそんなやつじゃあなかったから、ボクは君とずっと友達でいられたんだよ。」
ボクは、この日初めてレイに自分の本心を告白した。
レイを救う事は、ボクにとって絶対に必要な事だ。
彼には本当に助けられてばかりだった。
いじめっ子から庇ってくれたり、病気で休んで知った日にはいつもお見舞いに来てくれていた…ボクにとって最も大切な存在だったんだ。
”あと５分で、昼休みが終了致します。生徒の皆さんは、次の授業の準備をして各自の履修科目の教室に遅れずに集合しましょう。”
昼休み終了前の校内放送が流れた。
「もうこんな時間だったか。次の授業は何だっけ？」
「数学だ…。火野先生のね。」
「そっか…行くか、先生に謝りに…。」
「うん。」
そしてボクらは、教室へと向かった。
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Ep.4 最高の先生、最高の相棒
ボクらは、何とか授業開始前に教室に戻って準備も終える事が出来た。
時計は１３時４５分を回ろうとしていた。
昼の授業、５時間目は１３時４５分から。
まだ火野先生は来られないようだ。
いつもなら、開始５分前くらいからすでに来ているのだが。
それからボクらはずっと待っていたのだが、先生は来られる様子はない。
時計は１３時５０分を過ぎてしまった。
「おかしいな…。何故先生は来られないんだ…。何かあったのかな…。」
ボクが疑問をレイに投げかけていると、レイは思い悩んだような表情を浮かべていた。
「レイ？どうかしたのか？」
「いや…何でもない…。先生もまだ来ないし…ちょいとトイレ行ってくるわ。」
そう言うとレイは教室を出て行った。
ボクは、教科書を眺めながら待っていた。
しかし…もう１４時が来ようと言うのに先生は来られない。
その頃レイは職員室に向かっていた。
（やっぱり、出くわさなかったか・・。）
職員室から数学の教室、つまりボクらのクラスの教室へは、職員室から一番近い階段を下りてすぐ目の前に見える場所にある。
だから、事実上は１本道だ。
もし先生がこちらに向かっていたなら、階段か職員室前あたりで顔を合わせる事になるはずだった。
「失礼します。」
レイは職員室を覗いてみたが、誰もいなかった。
（おかしいな…。）
（レイのやつ…遅いな…。）
１４時５分。先生は来られないし、レイも戻ってこない。２人とも何かあったのだろうか。
レイは、職員室の向かい側をふと見てみた。
そこからは、中庭が見渡せるのだが誰かいるのを見つけた。
（あれ…あそこにいるの火野先生じゃあないのか…。あんなところで何してるんだ？）
中庭のベンチのところに座っているようだ。
後ろ姿で、様子がよく判らない。
レイは中庭まですぐに向かった。
「こんなところにいたんですか…。」
やっぱり火野先生だった。
「…。」
火野先生は、無言でレイの方を振り向いた。
（先生…泣いてる…？）
「レイ君…。」
先生はレイのために泣いていたのか…？
こんな先生だとはレイも全く気が付かなかった。
たった１人の生徒のために涙を流せるのか…。
こういう教師は世界中どこを探したってそうそういるモンじゃあない。
レイは火野先生がどれだけ自分の事を想ってくれていたのか、その時全て理解出来たのだ。
「せ…先生…もう泣かないで下さい…。」
レイは申し訳なさそうな表情で先生に言った。
「先生は…とても辛いの…。君がそんな子だと思ってなかったから…。」
涙を流す先生の表情は、まるで幼い少女のように儚く見えた。
「先生…ボクが間違ってました。一寸サッカーで失敗したくらいで…自暴自棄になっちまうなんて…。」
レイは先生の隣に座った。
「でも先生に言われて判りました。この体で…エリの分までボクは生きて行きます。彼女と一緒に…きっとエリもそれを望んでるでしょうから。」
「レイ君…分かってくれたの…？」
「いつの間になくしちまったんでしょうね。成績も大した事ないし、せいぜい取り柄と言えば根性くらいだったボクが…いつの間にそれすら…。」
「…。」
「先生…もうボクは大丈夫です。早く授業に戻って来て下さい。みんな…先生を待ってます！」
レイは、そう言うと走って行ってしまった。
（レイ君…さっきはごめんね…引っ叩いちゃって…。でも、君はやっぱり強い子だったのね…。先生ちょっと安心しちゃったな…。）
がらーっ
教室からレイが戻ってきた。
「遅かったな…大きい方だったのかい？」
「おいおい、今のオレはレディだぜ。そんな質問は失礼と言うモンだ。」
ボクは失笑してしまった。
「確かに…。でもレディがオレなんて言うのかい？」
レイの表情に何か判らないが何か余裕が伺えた。
何かあったのだろうか、さっきと違って明るい顔に見える。
それからすぐに、火野先生は戻って来られたので数学の授業は再開された。
「ごめんね、みんな！さ、始めましょう。」
さっきの保健室での時とは打って変わって、またいつもの明るい火野先生の表情に戻っていた。
レイはそれ以来、自分の体の事で悩む事はなくなっていった。
学校に来る時は、もうセーラー服を絶対着てくるとボクに宣言してきた。
それに、ひそかにサッカーの練習やトレーニングも行うようになっており、もう完全に立ち直った…。ボクにはそう見えた。
「ダイ…すまんな。今回は迷惑ばかりかけちまって。」
「気にするなよレイ。ボクはこれからも君の力になりたい。何かあったら遠慮なく言ってくれよ。」
「ありがとう…ダイ。やっぱり君はオレの最高の相棒だ。」
ボクらはお互いすでに親友のつもりだった。
でも今回の件でボクらはまた、親友としての絆をより深める事が出来たんじゃあないかと、そんな気がしていた。
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Ep.5 手紙とポケモン
どうにか夏目エリさんの体に馴染んできたレイの元に、一通の小包が届いたそうだ。
ボクは、レイに呼び出されて学校裏の空き地へと２人でやってきていた。
送り主は、夏目エリさんのご両親から。
ボクも小包の内容には興味があった。
「じゃあ、開けるよ。」
レイは小包を開ける。中には手紙があり、レイは声に出して読んでみた。
”秋山レイ君へ。”
”この手紙と一緒に娘のポケモンを送ります。”
”娘はポケモントレーナーになったばかりで、こんな事になってしまってさぞ無念に思っている事でしょう。”
”いえ、秋山君とともに、これからも生きて行くのです。”
”だから、このポケモンは秋山君が持っていて下さい。娘の形見です。”
”私たちはカントーから遠く離れた地、シンオウで夫婦で新しい生活を始める事に決めました。”
”秋山君がこの手紙を読んでいる頃、もう私たちはカントーにはいません。”
”秋山君、エリの分まで精一杯生きて下さい。夏目エリの親としての私たちのたった１つの願いを、どうかお聞き入れ下さい。”
”エリもきっとそれを望んでいます…。”
「そうか、あの方々はシンオウへ…。」
レイもボクも複雑な気分だった。
夏目さんご夫妻は、レイにとても気を遣って下さったそうだ。
娘を失った悲しみは、あまりに大きいものであったろう。
しかし、レイの脳手術はレイとエリさんのご両親が全員賛成して決めた事だった。
後悔はしていない、彼らがそうである事をボクらは祈るだけだった。
「エリが…ポケモントレーナー…。それってあの…。」
「…どうもそうらしいね。ボクも初めて聞いたよ。」
ポケモントレーナー。
２２世紀の現在、ポケモンは幾多にも渡る悪の組織とポケモントレーナーたちの戦いによって、多くの種が絶滅した。
今、ポケモンは２１世紀には９７５種類にもなる沢山の種がいたのが、現代ではわずか１００種類程度とされている。
このわずか１世紀の間で、約９０％のポケモンたちが絶滅し、残されたわずかな種も、絶滅危惧のものや個体数が極めて少ないものが大半であった。
この時代のポケモントレーナーは、旅をしたりポケモンを戦わせて腕を競う存在ではなく、それはあくまで２１世紀半ばまでの話。
現在のトレーナーの使命は、絶滅に瀕しているポケモンを救う事。
絶滅に瀕している彼らをお互い戦わせる事は、生命の剥奪につながる恐れがあるとして厳しく禁じられている。
２１世紀までは、彼らトレーナーがポケモンを戦わせて腕を競う施設が無数にあったそうだ。
２２世紀に生まれたボクらにとっては、ポケモンは非常に珍しい存在で、滅多にお目にかかる事もない。
ましてや戦わせるなど、考えた事もなかったくらいだ。
手紙のほかにもう１つ、小さなボールが入っていた。
「これは…何だ？」
赤と白のガチャガチャのカプセルに酷似したものがあった。
「それって、モンスターボールじゃあないの？ボクも初めて見るけど…。」
「これ、どうやればいいんだ？」
ボクもレイもモンスターボールの実物を見るのは生まれて初めてで、使い方が分からなかった。
ボクたちは、火野先生のご自宅まで相談に行く事にした。
今日は日曜日で学校はない。先生は、今は１人身で両親はすでにお亡くなりになっている。
両親の残した財産と教師としての給料で、今はマンションで１人暮らしをしている。
ボクたちは、時々だが先生のご自宅に遊びに行く事もあった。
もっぱらレイが宿題の分からないところを聞きに行く事が目的だが、先生はいつも迷惑そうな顔一つ浮かべずに迎えてくれた。
ぴんぽーん。
『はい？どちら様でしょう？』
インターホンから先生の声が聞こえる。今はおられたようだ。
「秋山です。今大丈夫でしょうか？ダイも一緒です。」
すると、ドアを開けてくれた。
「いらっしゃい、２人とも。さ、上がって。」
「お邪魔しまーす。」
先生のお自宅に訪れるのは、かなり久しぶりだ。
「また、分からないところでもあったの？そう言えば、そのエリちゃんの体になってウチに来るのは初めてね。」
「そうですね・・。もうこの体になって１か月くらい経ちますか…。」
部屋は結構広く、かなりの高級マンションなのだそうだ。
１人で住むには一寸広過ぎる感じもするが、高層マンションの最上１５階で、ベランダからの景色が格別だ。
女性らしい部屋作りで、ぬいぐるみが沢山あったりピンクのカーテンがかけてあったり。
ボクらにとって、自分の家と同じくらいくつろげる場所でもあった。何度かお泊りした事もある。
「先生…これ…どうやって使うんですか？」
「これ、モンスターボールじゃあないの？床に向かって投げてごらんなさい。」
先生の言うとおり、床に向かって軽く放り投げてみた。
すると、ボールが割れてまばゆい光が現れたかと思うと、小さな動物らしき生き物が出てきた。
「おっと…。」
ボールは、手元に戻ってくるようにレイに飛んで来たので、慌てて捕球した。
ボクら３人は、そのポケモンを珍しそうに見つめる。
茶色い毛並、首周りには白いふさふさした羽毛のような毛、大きな耳、パッチリした眼。
「これは、イーブイじゃあないかしら？」
「イーブイ？何ですかそれは？」
イーブイとは―
絶滅に瀕するポケモン多い中、少なからず生き残った希少なポケモンの１種。
このポケモンは、以前は特殊な条件を満たす事で様々な形態に進化出来る力があったそうだ。
しかし、人間の大戦によって個体数そのものが激減し、イーブイもそのほとんどが死滅したとされる。
生き残ったイーブイは、それまでの種とは全く異なる新しい進化を遂げたという。
それは、どのような環境でも生き延びる事の出来るように身体を変化させる事。
イーブイの遺伝子は極めて不安定な構造らしいが、この２２世紀に生き延びている新種のイーブイはこの遺伝子構造を自由に作り替える事が出来る。
例えば、灼熱の砂漠、極寒の氷の世界、広大な大平原、食べ物の少ない荒野など、様々な環境に耐えうるように身体を変化させる。
戦闘のためではなく、あくまで自己防衛のため、外敵から身を隠したり体温を調節する等の理由で様々に姿形を変える事が出来るのが２２世紀のイーブイ。
これは”マルチフォルム”と呼ばれる新種のイーブイしか持たない能力で、現在では数十種類の姿に変化する事が確認されている。
先生の家の１冊のポケモン図鑑に、こう書かれていた。
「エリさんは、こんな凄い子を持ってたのね。」
先生は関心していた。
「オレは、この子をどうしたらいいんでしょう？エサとかは何を食べるのかな…。」
レイは、極めて現実的な質問をした。
「大丈夫、イーブイは何でも食べると書いてあるわ。炊き立てのご飯とかいいんじゃあない？」
「そうですね。今日あげてみます。」
イーブイは、しっぽを振ってレイを見つめていた。
中身は変わってしまったが、イーブイは気付いているのだろうか。
でも名前を呼んだら嬉しそうに抱きついてくるし、そんな事を考える必要もないようだ。
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Ep.6 イーブイの秘密
レイは先生から借りたポケモン図鑑を図書室で夢中で読んでいた。
「ああ、レイ。ここにいたのか。さっきここにいるって聞いてさ。」
ボクはレイの居所をクラスメートに聞いて図書室にやってきていた。
「うん。色々探したけど、やっぱ先生の図鑑が一番分かりやすくてさ。」
「で、どうだい？イーブイについて、何か分かったかい？」
先生の図鑑には、こう書かれていた。
イーブイは”マルチフォルム”という特殊な能力を持っている。
そのほとんどのフォルムが戦闘力を向上させるためではなく、自己防衛や過酷な環境で過ごすという目的で遺伝子を組み換えて行われる。
イーブイが変身（フォルムチェンジとも言われる）を行うためには、触媒を介す必要がある。
例えば、水のフォルムに変身する場合は水が必要となる。
コップ１杯の水をイーブイにかけてやれば瞬時に遺伝子が反応し、わずか３秒ほどで姿形が水のフォルムへと変化する。
炎のフォルムの場合は、マッチ等の適当なものに火を点けて、その火をイーブイに点けてやればよい。
イーブイは燃える事も火傷する事もなく遺伝子が反応し、炎のフォルムへと変身するのだ。
「マジかよ…。凄いな…。火をつけられても姿が変わって耐えられるのか…。」
「でも、まだ何か続きがあるね。」
イーブイの通常の状態は「ニュートラルフォルム」と呼ばれる。
通常の状態のニュートラルフォルムは、特殊な能力は何ら一切持たない。
しかし唯一このニュートラルフォルムはその名の通り、その状態からどんなフォルムへも変身が可能である。
従って戦闘の際に、トレーナーにはイーブイを相手に合わせて、どのフォルムへと変身させるかという冷静な判断が必要となる。
また、すでに何らかの属性のフォルムへ変身している場合も別のフォルムへの変身は可能である。
しかし、ニュートラルフォルムと違ってどのフォルムへも変身出来るわけではない。
例えば、イーブイが炎のフォルムであるとしよう。
炎属性は水や地面などの属性が苦手となる。また、草や氷などの属性には耐性を持っている。
炎属性のイーブイに水をかけてやると、属性反発作用がマイナスに反応して水属性に変身は出来ず、イーブイはダメージを受けてしまう。
逆に氷を炎属性のイーブイに与えても、属性反発作用がプラスに反応して氷や冷気を一切受け付けなくなるのだ。
なお元のニュートラルフォルムに戻るには、触媒に触れさせず時間経過によって戻るのを待つか、
茶色い動物の体毛や人間の髪の毛に触れさせると元に戻る。
イーブイの普段の体毛に近い茶色である事が必須。個体によって体毛の色の濃さは微妙に違うので、こればかりは色々と触らせて試してみるしかない。
ちなみに、髪を茶色に染めて触らせても効果はない。必ず地毛が茶色や栗色である必要がある。
一説では色素遺伝子が関係しているとされているが、詳しい事は不明である。
イーブイは、このように触媒を介して様々にその身体を自在に変化させる力を持つ。
以下に、イーブイの代表的な変身属性の働きを記す。
〇炎属性（触媒：炎・熱・溶岩）：炎や熱に強くなる。１０００度以上の高温にも耐えられる。
高い気温の地域では稀に野生の炎属性イーブイが見つかる事もある。
〇水属性（触媒：水）：海や湖で生活するためのフォルム。イーブイのフォルムとしては比較的良く見かける事が出来る。
深海１００００ｍに潜る事も可能。
〇虫属性（触媒：昆虫）：昆虫のような硬い皮膚を身に纏う。耳は硬質化し鋭い角へと変化する。
自分の１０倍以上の重いものを持ち上げて投げ飛ばす事も可能。
〇電気属性（触媒：電気・電磁波・スタンガン等）：数万ボルトの電流にも耐えられる体質となる。
体に電気が溜まり過ぎた時は全身を震わせて放電する。
〇草属性（触媒：植物の葉）：植物の生命力を持つ半植物形態フォルム。
植物と同じように光合成を行う事が可能になり、外傷の再生能力が数十倍にもなる。保護色の役割も担う。
〇風属性（触媒：不明）：背中に飛行翼が生えて飛行を行う事が出来る。しかし変身のための触媒は未だ不明であり、
極稀に空を飛ぶイーブイが目撃されている。
〇岩属性（触媒：岩石・鉱物）：皮膚を岩石のよう硬くして、体を丸めて岩のように見せかける。
体はゴツゴツとした岩のような外見に変化する。虫属性より硬い。
〇毒属性（触媒：毒性のもの・猛毒・ウイルス）：奇跡のフォルムとされる神秘的な形態。
他のポケモンや動植物から受けた毒やウイルスを感知すると遺伝子が反応する。
姿形に変化はないが、体毛が灰色っぽく変化し、
体内の毒やウイルスを中和して瞬時に免疫が作られる。
イーブイのこの形態の特徴を利用して、様々な薬品が作られ、
医学の大きな発展のきっかけとなった話はあまりにも有名である。
故にイーブイは毒やウイルスに対しては、ほぼ無類の耐性を備えていると言って良い。
〇氷属性（触媒：冷気・氷）イーブイが氷を口に含んだり触ったりする事で変身する。
どんな寒さにも耐えられる体となり、イーブイの体も氷のように冷たくなる。
なお、これらはあくまで一部に過ぎず、イーブイにはまだこれ以外に数十種類のフォルムが確認されている。
「この子がそんなに凄い力を…。」
レイはイーブイのモンスターボールを見つめる。
「うん…エリさんもきっと凄い子だったんだろうね。こんなポケモンを使いこなしていたのか。」
ボクも素直にイーブイとエリさんに感心した。
まだ続きがあったので、引き続きボクらは読んでみた。
一見、イーブイのマルチフォルムは鉄壁の防御力を誇るようにも見える。しかし弱点はやはり存在する。
通常のニュートラルフォルムの場合、特殊な能力を持たない代わりに、ほとんどの属性の攻撃を受けたり触媒を介する事で変身する。
つまり、この状態のイーブイに炎・冷気・電撃などの攻撃は全て無効になり、イーブイは変身してしまう。
変身後のイーブイは、属性反発作用の有無によって「ダメージを受ける」・「無効化して変身する」・「普通に無効化する」のどれかとなる。
炎属性の場合、水や地面属性でダメージを受け、同じ炎や氷属性に対しては無効化、全く関係のない属性の場合は無効化して新たに変身…こうなる。
従って、イーブイを相手にする場合は必ず弱点をつく必要がある。
自分のポケモンの持っている技を把握し、相手のイーブイを自分に有利な属性へと変身させてから攻撃しなければならない。
また、物理的な攻撃に対してはマルチフォルムは一切働かない。
イーブイを相手にトレーナーが戦う場合は、弱点となる属性攻撃、もしくは手足や爪などを使った物理攻撃で戦う必要がある。
この事から、一般的に物理攻撃が得意とされるとされるドラゴンや格闘ポケモンがイーブイに対して最も有利な戦えるポケモンと言える。
最後に、イーブイは変身によって様々な能力を得るが、攻撃能力は極めて低いという弱点も持つ。
かつては進化の石や特殊な条件によって戦闘に特化した形態への進化も確認されていたが、現在では防御能力に特化させた変身を行うようになっている。
攻撃する技は習得が難しいため、もう１体攻撃させるためのポケモンを連れて行くのが一般的。
現在ポケモン同士を戦わせる事は禁じられているが、もし万一イーブイを戦闘に参加させる場合は攻撃力のあるポケモンを連れて行き、
さらにイーブイにそのポケモンの防御・回復などの補助役割を持たせるのが理想。
原則として戦闘は禁止であるため、高い防御力と相手を傷付けにくい能力を持つイーブイは、トレーナー間でも人気が高い。
しかし生息数が極めて少ないため、所有しているトレーナーもまた極めて稀である。
ボクらは、早速学校裏の空き地で試してみる事にした。
「じゃあ…まずは穏やかなところから始めるか。」
レイは足元に座っているイーブイに１個氷をあげてみた。
「さ、こいつを口に含んでみて…。」
イーブイが口を開けて氷をガリッと噛むと、姿形がみるみる変わっていく。
「レ…レイ…。変身してるよ…。」
そう言ってるうちに変身が完了したようだ。
時間にして２〜３秒ほどだ。
体が少し大きくなり、水色の体…触ると本当に氷のように冷たい。
「よし、次にこれを試そう。」
レイは自分のカバンから水筒を取り出すと、水筒のフタを開けてイーブイに水をかけてみた。
「おお・・また変身するぞ…。」
またあっという間に変身が完了した。
半漁人のような耳と人魚のような尻尾が備わっている。
「でも水フォルムから、さっきの氷フォルムに戻る事は出来ないんだね。」
「ちょっとややこしいな…。」
それから色々試したけど、先生の図鑑通りの変身をイーブイは全て行っていた。
ボクらは、先生の図鑑を返しにまた火野先生のご自宅に向かった。
「先生、図鑑ありがとうございました。」
「このイーブイ、大事にしなきゃあね。」
「はい。このイーブイは、この体と同じでエリの贈り物です。大切にします。」
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Ep.7 火野先生ファンクラブ
「あれから、イーブイの様子はどうだい？」
「うん、元気だよ。家に帰ってくると、しっぽを振って飛びついてくるんだ。」
「へえー。もうすっかりなついちゃってるね。」
ある日の朝、ボクとレイはイーブイの話をしながら登校していた。
学校に入って、教室の前まで来ると火野先生にばったりと会った。
「あ、おはようございます。」ボクらは先生に挨拶をした。
「おはよう。秋山君、今日も可愛いね。」
「ど…どうも。」
レイは「可愛い」と褒められる事に関しては、まだ一寸戸惑いがあるみたいだ。
しかし、レイも今ではもう体の事で悩んでいる様子はなかった。
聞けば、毎日お風呂に入る時…その、まあ言ってみれば自分の全裸を嫌でも見る事になるわけだが…。
レイは”あーオレ女の子に免疫がついたわ。多分裸とか見せられても特に何も思わんわ。”との事だ。
レイは意識が男の子だから、お風呂は正直困ってるのでは…とボクは思っていたが、その心配は取り越し苦労だったらしい。
体が女の子になると、女の子の体の事は興味がなくなるのか…それはそれで羨ましい気もする。
”だからと言って男が好きになるってわけじゃあねえから。”とも言っている。
何はともあれレイが悩む事がなくなって、ボクも一安心だ。
その日も、レイとボクにとって極々普通の１日であった。
１時間目から火野先生の数学の授業があって、２時間目からはいつものようにレイが寝てて…
昼休みには２人で食堂に食べに行って…何も変わらない日だと思っていた。
今ではクラスのみんなも学校のみんなも、もうレイの事を口にする事はほとんどなくなっていた。
「はい。では今日のホームルームはこれで終わりです。みんな、また明日。」
そう言うと火野先生は教室を後にし、みんなも帰る準備を始めていた。
ボクとレイは、教室を出てまたイーブイの話で盛り上がっていた。
そんな時に、廊下でとある女子生徒がこんな話をしてたんだ。
「え、あんたも入ってんの？あのファンクラブ。あたしも入ろうかな。」
「火野先生は偉大だもん。あんないい人なら、これからファンになる人も多いでしょ。」
ボクらは、通り過ぎるまで会話の一部を聞いていた。
「火野先生のファンクラブ…？そんなの学校にあったっけ？」
「いや、ボクも知らないよ。誰がそんなもの始めたんだ？」
ボクらは、会話をしていた生徒たちの後を付けてみると、音楽室にたどり着いた。
２人とも、音楽室に入っていく。
「こんなところに、先生のファンクラブがあるのか…？ダイ、どうする？」
「入ってみよう、君だって先生が好きなんだろう？」
「バ…バカ言え！」レイは照れながら言った。まんざらでもない事だろう。
ボクは音楽室のドアを恐る恐る開けた。
すると、さっき見かけた女子生徒２人と、他に男子生徒３人がいた。
「おや、また新しいファンクラブ入会希望者ですか？」
「いや、あの…。」
ボクは少し戸惑ったけど、思い切って聞いた。
「あの…こちらは火野先生のファンクラブなんですか？一体どんな事をしてるんです？」
どうやら、彼らは全員３年生のようだ。
彼らは１年生の時の担任が火野先生で、その時みんな先生に大変お世話になったのだそうだ。
ボクらは、今２年で１年生２年生と火野先生が担任になるのは２年目。今の彼らの担任は、また別の先生である。
「このファンクラブは、火野先生を応援するクラブなんだ。」
「先生を応援って、何をするのさ。」
レイがボクの後ろから不機嫌そうな顔で質問する。
「おお、また女の子の会員希望者か・・。誰でも大歓迎だ。」
「残念でした、ボクは男ですよ。２年の秋山レイ。」
「あ、じゃあ君があの噂の…。君が秋山君だったのか。」
「へえー、この子が。結構可愛いじゃん。」
それから、彼らから色んな話を聞く事が出来た。
これらは全て、火野先生から直接聞いた事らしいのだが…。
火野マドカ。現在２７歳。
１７歳の頃、ある事件をきっかけに教師を目指すようになる。
大学卒業時、教員試験を受けるも不合格。
その後１年間の留年生活を経て、２度目の試験に合格し、この時２３歳であった。
そして、カントー第一高等学校に配属、以後４年間在籍、現在に至る。
１７歳の時に起きたある事件とは、とある病気にかかり長期の入院生活を余儀なくされた事。
この時、子宮を患ってしまった彼女は子供が産めない体となってしまい、絶望の淵に立たされ自殺しようとすらした。
子供が産めないという事は、女性にとって何物にも代えがたいものを失う事なのだ。
そんな彼女を救ってくれたのは、母校の担任だったある教師だった。
教師はこう言ったそうだ。
”君は慈愛の精神に溢れた女性だ。確かに君は子供が産めなくなって自分の子供に愛情を注げなくなったかもしれない。”
”でも、君の愛情を必要としている人は他にもっと沢山いるんじゃあないだろうか。”
彼女は、この言葉をきっかけに立ち直り教職を目指すようになった。
両親は、彼女が１９歳の時に交通事故で他界。でも、彼女は折れることなく両親の死をも乗り越え、見事教職に就く事となった。
「先生に、そんな過去が…。」
レイもボクも、ただ驚愕するだけだった。
「先生は言ってたよ、生徒１人１人が、私の息子であり娘だと。先生は、本当に素晴らしい人だ。」
全然知らなかった。自分たちの先生が、そんな人だったとは。
「オレたちも会員に入れて下さい。何をすればいいんですか？」
レイは、会員希望を申し出た。さり気なくオレ「たち」と言っている。まあボクも入りたくなったけど。
「何もしなくていい。今日はオレら、まあたまには集まろうやってだけで、特に何もしてないし。」
「君らも、火野先生をそっと応援してやってほしい。オレらは今年で卒業だし、もう受験もあってあまり会う事もなくなるけどさ…。」
レイは任しとけって感じの顔して頷いた。
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Ep.8 禁断の恋
そして、次の日の放課後。
レイは体育館裏から話し声が聞こえていたのに気付いた。
ボクと待ち合わせして体育館に遊びに行く途中であった。
レイが行ってみるとファンクラブ会員の１人、雪村先輩が火野先生と一緒にいた。
何か話しているようだ。レイは、そっと近づいて隠れて聞いていた。
「雪村君…残念だけど、それは出来ないのよ…。」
「どうしてです？ボクは…もう先生に会う事はほとんど出来なくなる。もう半年余りで卒業…だから思い切って告白したんです。」
（ええっ！）
あまりに意外な会話の内容に、レイは思わず声が出そうになったが、辛うじて堪えた。
「先生は…あなたの事は大切な子だとは思っているけど、それだけはどうしても聞く事は出来ません。ごめんなさい…。」
「ボクは、先生より１０個も下だし、お体の事も知っています。でも、ボクにはそんな事関係ないんです。ボクは、先生を本気で…。」
何という事だ。こんなＴＶドラマのような光景が現実にあったとは。
彼…３年の雪村という生徒は本気のようだ。でも、先生はそれは拒んでいる。
無理もない事だろう。この年の差、そして先生はいつも笑ってはいるが、内心はいつも体の事で悩んでいたはずだ。
丁度レイが女の子の体になってしまった事と同じように。
先生は、本当はいつも苦しんでいたはずなのだ。それに先生は生徒と交際する事など絶対に出来ない、出来るはずもない。
「雪村君、先生はあなたの気持ちがとても嬉しいの。でも、分かってちょうだい…。私はあなたとは付き合えない。付き合ってはいけないの。」
「それは、ボクが生徒だからですか？では、卒業してからでも。」
「分かって…雪村君。じゃあ先生はもう行きますから…。」
先生は、後ろを振り返り歩き出した。
雪村先輩は、ただただ立ち尽くしていた。
「ここにいたのかい、レイ。なかなか来ないと思ったら…。」
「お…静かにしなよ…ってダイ…。君もここに来たのか。」
ボクは物陰に隠れているレイを見つけた。
「あれは…ファンクラブの雪村先輩じゃないか。どうして…。」
「先生、待ってくれ！」
雪村先輩は、先生を呼び止める。足を止める先生。
「先生、ボクは…。」
雪村先輩は、先生を呼び止めはたが、それ以上何も言えなかった。
「…雪村君。幸せになってちょうだい。先生のお願いは、それだけです…。」
先生は、そう言うと行ってしまった。
「…そうか、そんな事が。」
ボクはレイからあらかた事情は聞いた。
まさか、あの雪村先輩が先生に告白とは…。
ただのファンではなく、本当に女性として好きになってしまったのか…。
「でも、ボクらにはどうする事も出来ないね…。」
「ああ…。行こう。」
さらに翌日、朝。
火野先生はいつものように教壇に立ち、朝のホームルームが始まった。
何ら変わりない様子の火野先生。
でも、昨日確かにあんな事があった。火野先生も何かしら思う事があるだろう。
「で・・今日は…１時間目が私の数学なのですが、一寸用事が出来まして、自習にします。」
妙だ、先生は今までこんな事を言った事は一度もなかった。
生徒との授業を楽しみにしているような先生が、こんな事を言うのもおかしい。
レイもボクと同じ気持ちのようだ。
ホームルームが終わり、先生は教室を出て行ってしまった。
何か…何かを抱えているような表情に見えた。
それに気付いたのは、ボクとレイだけ。
先生は、何かを抱えている事は確かなようだ。
先生が出て行き姿が見えなくなると同時に、ボクらは席を立ち教室を出て後を追った。
ボクらはあちこち見回って探してみたが、どこにもいない。
「先生はどこに…。」
「多分体育館裏だろう…。」
「何でそう思うの？」
「女の勘だよ。」
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Ep.9 もう１人のお母さん
体育館裏。
レイの言った通り、火野先生と雪村先輩がいた。
「先生、ボクを呼び出して何の用ですか？もしかして、昨日の事ですか？」
「私は、あなたとは付き合えないけど…でも先生に出来る事があったら、今言って欲しい…。」
「先生から呼び出したのか。」
意外だが、本人がそう言っているのだから確かなのだろう。
「さあ、言ってごらんなさい。あなたの気持ちだけは受け取りたい。だから、今この場で私に出来る事があれば言って。」
「先生…。ボクは…。」
「さ、どうしたの？」
先生はいつもの優しい口調で雪村先輩に声をかける。
雪村先輩は、ただ少しうつむいて黙り込んでしまっている。
「私は、雪村君に何か出来る事はないのかなと思って、今日ここに呼んだの。何でも言ってちょうだい。」
「じゃあ、先生。１つだけお願いがあります…。」
先輩は、ようやく口を開いた。
「先生、ボクは…。」
すると、意外な発言が雪村先輩から飛び出た。
「ボクは…苦しいんです。こんな適わないと分かっている恋に…。先生、ボクを…今すぐ諦めさせて下さい。お願いします。」
「雪村君…。」
先生は少し困ったような表情になった。
先輩は、またうつむいてしまっている。
「じゃあ、こんなのはどうかしら？」
「…。」
先生は、何をするつもりなんだ？
先生は先輩にゆっくり歩み寄ると、そのまま先輩を抱きしめた。
「雪村君、あなたは私にとって大切な子。あなたは私の大切な子供よ。」
あれは…レイの時と同じだ。先生は、先輩を実の子同然の感情を抱いていたのだ。
「ボクが…先生の子供…？」
「そう…だから、あなたとは付き合えない。ごめんなさい…でも分かって…。」
先輩も、腕を抱き返した。
まるで本当の親子のようにボクらには見えた。
これから旅立つ息子を抱いて見送る母親…ボクらには、そんな風に見えた気がした。
「行こう、ダイ。」
レイが小声でボクに言った。
「しばらく２人だけにしてやろう…。。先輩と…オレたちのもう１人のお母さんを…。」
「…うん。」
雪村先輩の火野先生に対する恋は、こうして幕を閉じる事になった。
火野先生は、これからも多くの子供たちと接していく。
あの大きく暖かい愛に、これからも沢山の人が触れていくと思うと、何だか暖かい気持ちになる。
彼女は…火野先生は、レイに以前こう言った。
「男や女としてではなく、秋山レイ自身として生きて。」と。
先生も同じだった。
レイは男性としての体を失った。
火野先生も女性として最も美しい部分を失った。女性の全てとでもいうべきものを。
もしかしたら先生は、昔の自分にレイを照らし合わせていたのかもしれない。
だからこそ、レイがエリさんの体をいらないと言った時、あんなにも憤りを見せていたのか…。
後から先生がおっしゃっていた事だが、先生はあの時レイの事に失望しただけではなく、エリさんの顔を打ってしまった事を後悔したとも言っていた。
本当にどこまでも人間の出来ている女性だ、そう思わずにはいられない。
「あれ？火野先生？」
みんなが自習をしていると火野先生が教室へやってきた。
「ごめんなさい、急用はなしになりまして。残念ですが、私の授業を始めちゃってもいいでしょうか？」
嫌な顔をする生徒がいるはずがない、あんなに素晴らしい先生だもの。
「レイ、良かったね。先生が戻って来てくれて。」「ああ。」
レイも嬉しそうに言った。
その後になって、火野先生はボクらにも色々な話を聞かせて下さった。
先生は、今まで一度も男性と交際をした事がなかったそうだ。
学生時代は、ずっと小学校から高校まで女子学校に通っていて、そういう出会いもなかったとか。
そして例の病気にかかり子宮を患ってからは、火野先生と交際したいという男性には何人か出会ったそうだ。
しかし、みんな体の事…つまり子供が産めないという事を話しただけであっさり先生を振ったという。
火野先生は、本当に苦しい青春を生きて来たのだ。
それでも彼女はめげる事なく教職に就き、今では生徒たちに愛されている。
こんな素晴らしい火野先生を、ボクらは尊敬せずにはいられなかった。
「マドカせんせー！」
レイは火野先生に抱きつく。
「先生、今日からマドカ先生と呼ばして下さい。お願いですうー！」（うーむ、久々のこの感触…。）
「あらあら、どうしたの秋山君。でもこうやって先生にくっついてきたの久しぶりねえ…。」
レイは男性の体の時から常日頃、火野先生に引っ付いてくるくらい好きだった。
もうファンを通り越して信者の領域である。
あの一件以来、体の事で悩む事もなくなったレイは、また以前の調子に戻っていたようだ。
「じゃあ、これからはマドカ先生と呼んでいいですよ。でもちゃんと宿題は自分でやって来て下さいねっ。」
「はーい…分かりましたあ。」
そして相変わらず、レイも先生にだけは頭が上がらないようだ。
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Ep.10 アブない男の娘
日曜日、マドカ先生に呼び出されて、またボクとレイは先生のご自宅にお邪魔する事になった。
今日はごちそうをして下さるのだそうだ。
１人暮らしも寂しいので、こうやって時々ボクらを誘って下さるわけだ。
当然、ボクらはこういう時は１度も断った事はない。断る理由もない、むしろ「是非ごちそうになります」といつも言って出掛ける。
マドカ先生の料理の味は、絶品の一言に尽きる。何を食べても本当に美味い。
先生が知らずにボクの苦手なものを出して下さった時も、ボクはペロンと食べられてそれ以来嫌いじゃあなくなった事もあるくらいだ。
レイは数日前、「オレがあと５個年いってたら絶対プロポーズしてた。何？子供？そんなものはいらん！でも先生似の女の子だったら…いや何でもない。」と言っていた。
「あ、いらっしゃい。さあ上がって。」
『お邪魔しまーす。』
今日の先生の料理はシチューだそうだ。
先生は、ボクらがやってきてから調理を始めていた。
包丁さばきも見事で手早く野菜を切ってぐつぐつと…。
「は〜、エプロン姿の先生かあえ〜。」
レイは何故かよだれを垂らしてテーブルに座っている。
エプロンを付けたマドカ先生は、何だか本当に自分たちのお母さんのように思えてくる。
まるで、自分の家にいるのと変わらないような感覚だった。
「さ、後は煮込んで出来上がり…。ちょっとお風呂沸かしてくるね。」
先生は、お風呂場へと向かった。
「シチューたのひみら〜、たのひみら〜。」
レイはさっきからそれしか言っていない。
何と情けない表情だろう。すでに頭の中にはシチューの事しかないようだ。
”きゃああーっ！”
何だ？どうやら先生の声のようだ。
「どーしましたせんせー！」
流石レイ、先生の声１つで一瞬で体が反応して動くとは。
「どうしたんですか？」
「あ…あれ…。」
風呂場の中に何かがいるぞ。
…『じい』だ！
かささーっ…
「きゃー！」「ぎゃー！」「わあー！」
こっちにやってきたので、ボクらは慌てて逃げ出した。
「あーびっくりした…。」
「困ったなあ…。家で見たの初めてよ…。怖いわ…。」
先生も怖がっていたが、レイの怖がり方も相当なものだった。
彼は虫類が大の苦手で、小さなちょうちょが飛んできただけでビビるのだ。
しかしこの時、レイの頭脳はこういう思考を描いていた。
”お風呂場に『じい』→いつもマドカ先生の入浴を覗いていた→羨ましい！じゃあなかった許せん！→そうだ！先生をお助けしなくては！”
「先生！」
レイはスクッと立ち上がって親指を立ててこう言った。
「先生、この秋山レイにお任せ下さい。必ずや『じい』を殲滅して見せましょうぞ！じっちゃんの！名にかけて！」
自分のおじいさんには会った事がないからどういう人かも分からないとか言っていたくせに、よく言えるな。
レイはこんな事言っているが、所詮マドカ先生から点数を稼いで後でいっぱい甘えちゃおうとかいう策略に違いない。
レイは高校１年の時から、先生のご機嫌を取っては頭を撫でてもらおうとしたり、一緒にご自宅まで帰ったり、
いつも付きまとったりするのは日常茶飯事なのだ。
それらの行動を繰り返した結果、レイはマドカ先生の事なら何でも分かるようになってしまっていた。
身長体重スリーサイズに誕生日など、彼にとっては「試験に出るくらい重要！」とか言い出すくらい当たり前の事柄。
さらに凄い事に、一番長い髪の毛の長さとか、外出着は何着持ってるかとか、先生のお車のお値段、先生の家のどこに何がしまってあるか、
お風呂場の面積、お手洗いのスリッパの色、先生の家の時計は４．７秒遅れている事、冷蔵庫にはいつもショートケーキが入っている事、
週に２度近所を通る焼き芋屋さんから焼き芋を買っている事、パソコンのネット履歴、実はＴＶはご近所の方から譲ってもらったものである事、
休日には健康のためにエアロビを嗜んでいる事など、本当に何でも知っている。
ボクの知らないところで、しょっちゅう先生のご自宅にはお邪魔していたとも言っている。
先生が離れたスキに、色々物色しているのだろうか。
しかもこれは才能なのか、全く気付かれないように全てをきちっと片づけて気付かれないようにしている。
ボクの友人の秋山レイはマドカ先生の前では健全を装っているが、実はこんなにもアブない男の娘だったのだ。
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Ep.11 ミッション・『じい』・ポッシブル
「だん・だん、でんでん、だん・だん、でんでん、だん・だん、でんでん、だん・だん・でんでん てぃろり〜 てぃろり〜 てぃろり〜 てぃろっ」
レイは某映画のテーマを歌いながら新聞紙を持って『じい』を探していた。
「一刻も早く『じい』を探し出し、平和な先生のお家を取り戻さなくては！」
ボクも一応レイと探している。
ボクはレイほど『じい』は怖がらない。多分一番３人で免疫がある方だ。
「おおっ、こんなところに…。」
「み…みつかったのか？」
「こんなところに…先生へそくりを隠していたのか…。１人暮らしなのに…。」
ボクは新聞紙でレイをペシッと叩いた。
「何やってるんだレイ。早く『じい』を探そうよ…。お腹も空いて来たし…。」
お手洗い、お風呂場、玄関、台所は異常なしだった。
「おおっ！こんなところに…。」
「今度こそ見つかったか？」
「そうか…そうだったのか…。」
ボクはレイの元へとゆっくり歩み寄った。
「ど…どうしたレイ？」
「こんなところにぱんつをしまっていたのか…。オレすら知らなかった。しかも赤…。おおー、白に黒に色々あるぞ。」
ボクは顔を真っ赤にしながら、またレイをペシッと叩いた。
「んな事やっとる場合か！」
流石のボクもちょっと怒鳴りつけてしまったよ…。
それにしてもレイのやつ、もう女性の体には興味がないんじゃあないのか…。
「レイ、もう女性の体とかには興味がなかったんじゃあなかったの？」
するとレイは呆れる答え方をした。
「ああ、普通の女はね。でもマドカ先生は女じゃあない、女神様だ。だから興味ありまーす！」
デカい声で言うなよ…。聞いてるこっちが恥ずかしいんだよ…。
ボクらは気を取り直して『じい』を探していた。
でも、本当にどこにいったのだろう。
ボクらは、ひとまず台所の先生のところまで戻る事にした。
「先生、どこにも『じい』はいませんね…。」
「そう…でもどうしましょう…。今夜怖くて寝られないかも…。」
その時、またレイの思考が働き出した。
”怖くて寝られない→じゃあボクがお供致しましょう！→ありがとうレイ君！→じゃあ今日は先生と一緒に寝ましょ！”
「先生！ボクがついています！今夜ボクが２４時間体制で先生をお守り致します！」
レイは敬礼して先生に言った。
「でも、お家の人が心配するでしょう？」
「いいんですよそんな事っ。ボクは先生が心配なんですっ。」
「ダメよレイ君。まだ子供なんだからちゃんとお家に帰らなきゃ、メッ！」
流石マドカ先生、こういうところのガードは堅いようだ。
あと探していないのは、寝室だけだった。
ボクらは先生の寝室に入ってみる事にした。
大きなベッドがある。３人くらいは上に乗って寝られそうだ。
ボクは先生の寝室に入るのは初めてだったけど、なかなかよく眠れそうな上品な部屋だ。
「ああーっ！こんなところにっ！」
「今度は何を物色してるんだい？」
ボクがレイのところへと歩いていくと、
…『じい』だ！
「み…見つけたぞ『じい』め！。先生のお家に入るなんて良い度胸してるなコラ！」
レイはボクの影に隠れて『じい』に怒鳴りつける。
「な…何やってるんだよ。早くやっつけなよ。」
「だって怖いんだもーん。」
本当に時々だが、ボクは彼を心底鬱陶しいと思う時がある。それが今だ。
「ねえん、ダイく〜ん。お願い…やっつけてえ♪レイちゃん応援してるから♪」
こ…こいつ…女の子の話し方でボクを色仕掛けしようとしているぞ。
レイのやつ、こんな事を覚え始めていたか。
ちょっと前までは「女の体なんか嫌だ」とか言っていたくせに…全く何てやつだ。
「ねえ♪ダイ君のつおいところ…み・せ・て♪」
こいつ…超鬱陶しい…。
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Ep.12 さらば『じい』…そして果てしない旅の果てに…
「しょうがない、ボクがやるか。」
「きゃーっ、ダイくーん、ガンバ♪」
ホントにウッザいな後ろのやつ…。
『じい』は後ろ向きのまま、ボクが近づかなくても動かなかった。
ぺしっ！
ボクは新聞紙でぺしぺしと何回も叩く。
それからそーっと見てみると、もう動かなくなったようだ。
ボクは、カーテンを開けて窓を開けて、１５階からぽーんと捨てた。
下は駐車場になっていて、誰もいなかったからこれで大丈夫だろう。
「や…やった…。『じい』を倒したぞー！」
ボクがだけどね。
「よしダイ。早速吉報をお知らせに行こうぜ。」
―そして。
「そう、良かったあ〜。」
先生も一安心のご様子だ。
「あの、先生！ボクが見つけました！やっつけたのはダイですけど、見つけたのはボクです！」
本当にどこまでも鬱陶しいな…。
「そ…そう。ありがとねレイ君。」
―
その頃。
ひゅーっ ぽとっ。
ボクによって放り出された『じい』はまだ生きており、無事着地した。
『ふう〜、死んだふりしていて助かったー。でもあの家２日しか住めなかったなー。次はどこ行こう…。』
『そうだ！隣の「じいすけ」がヤマブキの「エスパー親父の家」が結構居心地良いとか言ってたっけ。よーし今からヤマブキに向かって全速前進！』
『「じいすけ」！短い間だったけど、ありがとー！この「じいたろう」はヤマブキへと旅立ちまーす。達者でなー！！』
そしてヤマブキ、エスパー親父の家。
『ここかー。ごく普通の家じゃん。』
『おー？あれがエスパー親父か。めっさバーコード頭やん。』
「む、キサマどこから入った？ええい、ワシのさいこきねしすを受けてみろ―。」
きゅぴーん
『うわー。』
「ふう、全くバチ当たりな『じい』じゃわい。」
『くそー、全然居心地良くないじゃん。あーどこいこーかなー。』
―
その後ボクらは、先生のシチューをご馳走になった。
「美味しいですね…。やっぱり先生のお料理は…。」
「おかわりー！」
「レイ君、もう５杯目よ。大丈夫？」
「はい！先生の料理は別腹ですからー！」
―
『あーあ、結局タマムシに帰ってきちゃったよお…。どーしよー。』
『ん？この家は？あ・・き・・や・・ま…秋山さん家かあ。ん〜なかなか良さそうな家じゃん。とりあえず今日はここに泊まろうっと。お邪魔しまーす。』
―
「先生、今日はご馳走様でした。」
「２人とも気を付けて帰ってね。」
「はい！気を付けまーす！怪しいやつが近くにいないか…確認しながら進むぞ！ダイ！」
本当に何だろうなこいつ…。先生の前だとこんなにもいい子にしようとして…。
ま…いいか。ボクも尊敬している先生のお役に立てて良かったよ…。
そして、レイは家に帰って来た。
「ただいまー。」
だが、家にいるはずの両親が出迎えない。
レイの両親はレイに優しいので、いつもなら「おかえりー」と言ってどちらかは出てくるのだが。
「おかしいないつもなら…。おーい父さーん、母さーん。」
『ぎゃあー！！』
部屋から両親の声が聞こえたぞ、何かあったのだろうか？
「ど、どうしたんだ父さん母さん。」
レイが部屋に入ってみると、両親は抱き合って震えていた。
「ど…どうしたんだよ２人とも…。」
そして、レイが両親の方を見ている方を振り返って見ると…。
レイが絶叫して目を回すのは、この３秒後の事であった…。
どうやら、秋山家の人々は本当にとっても…苦手なようだなあ…。
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Ep.13 南野ケイコはジャイアニズム
「じゃあ…この問題が分かる人はいますかあ？」
いつものマドカ先生の数学の授業の時の事だった。
「はい先生！」
これは珍しい、レイが手を挙げるとは。
（昨日バッチシ予習してきたかんな…。ここらでいっちょ先生にいいトコ見せて点数稼いでやるぜ！）
ま…おおかたレイのやつ、いつものように先生にいいトコでも見せようと考えているんだろう。
「はい！」
ん？もう１人手を挙げた子がいるぞ。
手を挙げたのは、クラスメートの１人でボクの幼馴染の女の子の「南野ケイコ」、通称おケイだった。
彼女もレイ同様、マドカ先生の熱心な信者の１人。
先生に対する想いはレイに勝るとも劣らない。
ボクの幼馴染のおケイは、ボクとは小学２年まで同じクラスだった。
小学３年生になってから以降、中学でもずっとクラスが一緒にならなかった。
でも、ボクとおケイの仲が変わる事はなかった。
そして数年振りに、この学校で同じ２年Ａ組として顔を合わせる事になった。
彼女は昔から気が強くて活発でお転婆な性格。
子供の頃から、それは今でも変わっていない。
レイとおケイは、お互いマドカ先生の信者同士でもあり、同時にライバル的存在でもあった。
（レイ君にあの問題を解けるわけないもの。先生、あたしを当てた方が絶対いいですよ！）
「うーん、どっちに答えて貰おうかなあ…。」
先生は迷っている様子だ。
「先生！ボクはちゃんと予習してきたんでバッチリ答えられます！」
「いえ先生！あたしの方が答えられますよ。レイ君にあれが解けるわけないもの。」
するとレイは激怒した。
「何ー？ちょっとこっち来いや！」
「何さ。ホントの事じゃあない！」
「こらこら…喧嘩しないの。じゃあ、今回は南野さんに答えて貰いましょう。」
「そ…そんなあ…。」
レイは落ち込んで席に座ってしまった。
「あ…あんなに予習したのに…。オレの努力は一体…。」
おケイは先生の前に行くとチョークを手に取り、スラスラと解いていった。
おケイは、（自慢じゃあないけどボクほどではないが）成績は優秀な方だ。
苦手な科目は体育と英語くらいで、特に数学と家庭科の成績だけならボクより上でいつも『５』だった。
「先生、合ってますかー？」
「はい、よく出来ました。よく解けたわねえ・・偉い偉い。」
すると先生はおケイの頭を撫でてあげた。
「えへへ…褒められちゃったー。」
「なん…だと…！」
レイは相当悔しそうだ…。
それはそうだろうな。もしレイがあの問題を答えていたらレイがなでなでされていたはずだから。
マドカ先生の信者としては、さぞ羨ましい事だろう。
「お…おケイのやつめ…。いやだがまだチャンスはあるぜ。」
おケイが席に着くと、授業は再開。
そして、先生は別の問題を黒板に書くと、また
「じゃあ、この問題が解ける人？」
「はい！」「はい！」
またレイとおケイが手を挙げたぞ。
「またてめーかおケイ。さっき当てられたんだから引っ込んでなよ！」
「何か文句ある？別に私は問題が分かるから手を挙げただけですうー。」
「じゃ…今度は秋山君に答えて貰おうかな。」
（や…やったぞ…。）（ちぇっ、つまんなーい。）
「お任せ下さいマドカ先生！男、秋山レイ…命に変えてもこの問題、解いてしんぜましょうぞ！」
何を訳の判らん事を、そんなに先生の前で格好をつけたいのか彼は。
クラスの子も数人クスクスと笑っているぞ。
レイはつかつかと偉そうに先生の元へと歩いて行った。
そして、チョークを手に取ると問題をスラスラと解いていった。
どうやら、予習をしてきたというのは本当だったようだ。
いつもの彼なら、ボクにやり方を聞いてから手を挙げてたりしてたけど。
「先生、合ってるでしょう？」
手を腰にして得意気に聞いている。
「ええ、正解よ。よく出来ました。」
（正解ですってえ？レイ君のくせに生意気だー！）
キーンコーン…
授業終了のチャイムが鳴ったようだ。
「あら、もうこんな時間だったのかしら。時間が経つのは早いわねえ…。」
「先生、ボクの頭も」
レイは頭を先生の方に向けているが、先生には気付いてもらえない。
頭を先生のお腹にくっ付くくらいに近づけているのに、何故か…。
「じゃあ皆さん、今日の授業はこれでおしまいです。気を付けて下校して下さいね。」
「あの…ボクのあた」
「じゃあ、秋山君。また明日ね。」
「あの・・。」
そして放課後。
「ったく、惜しかったなあ…。」
「また明日も数学はあるだろ。また予習して明日頑張ればいいじゃんか。」
レイは、実に不服そうな表情だ。
「あーあ、もうやる気起こらねえよ…。」
「残念だったわね、秋山レイ君。」
そこにおケイがやってきた。
「あ、おケイ…。さっきはよくも！」
「私は何もしてないでしょう？そうやって怖い顔で睨みつけないでよ。」
本当におケイは何もしてないな…。
「ふふふ…。あたしのものはあたしのもの…そしてマドカ先生も、もうすぐあたしのものになるのだわ。」
「どういう事だい？」
おケイの言っている意味が分からなかったので聞いてみた。
「もうすぐ分かるわダイ君。このあたしの魅力に、先生は今に気付くのよ…。そこのレイ君とあたしじゃあ、全然オンナの魅力が違うもの。」
するとレイはブチ切れた。
「このー！１発ブン殴ってやる！」
しかしケイが「さっ」と手を伸ばしてレイの頭にやると、レイはおケイに手が届かない。
リーチが違い過ぎる、というより今のレイとおケイでは身長が違い過ぎるのだ。
「このー、なーろー！手が届かねー！」
レイは手足をバタバタしているだけであった。
（ふふふ…見てなさい、おバカさん…今にあんたなんか見向きもしないようにしてやるのだわ…。）
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Ep.14 おケイの策略
「はあ〜、今日はおケイのやつにいいトコ取られちまってやる気が出ねえや…。もう寝よかな。」
すると、ベッドでレイの勉強を見守っていたイーブイが机に飛びついて来た。
「おい、お前ももう寝るか？じゃあ、今日は久々に一緒にベッドで寝るか。」
イーブイは、嬉しそうに頷いてレイに飛びつく。
「おいおい…、さあ寝よう。」
一方、おケイはどうしているのだろう。
「はあ〜、今日は先生になでなでしてもらって幸せ〜…。まるで人に触って貰ったエネコロロの肉球の気分だったのら〜…。明日もガンバろっと。よし！」
おケイは夜遅くまで数学の勉強をしていた。
「この頃、レイ君たらストーカーみたいに先生に付きまとうんだもの…。私だって明日も先生にいいトコ見せて、絶対先生を振り向かせてやるのらー！」
やれやれ…この２人は本当にマドカ先生への考え方だけは瓜二つのようだ。
ちなみに、おケイもレイ同様マドカ先生に関する知識は豊富であり、
レイが知っている事は全部おケイも知っており先生のご自宅にもひそかにお邪魔しているのだとか。
さらに、ボクらがつい最近になって知った先生の悲しい過去の事も１年生の時から知っていたようだ。
翌日、昼休み―。
「レイ。昨日数学の予習はやったのかい？」
「ああ…昨日は結局イーブイと一緒に寝ちまったよ。でも、おかげでよく眠れたなあ…。今日は気分がスッキリしてて…。」
「へえ、いいなあ。ボクもイーブイと一緒に寝たらよく眠れるかな？」
「ああ、良かったらイーブイを貸そうか？あいつ、君にもかなり懐いてるぜ。」
「ホント？じゃあ今日学校が終わったら君ン家に行くよ。」
ボクらがこんな会話をしていたら、またおケイがボクらの前にやってきた。
「あ〜ら、レイ君たら昨日は数学の予習はして来なかったの？これは今日も私の勝ちね。」
おケイは、どうやらお互いマドカ先生の信者としてライバル視しているようだ。
「あ〜、どうすっかな…。ここはダイ、君に頼るしかなさそうだ。」
「おいおい、問題は自分の力だけで解いてこそ意味があるんだよ。ズルしてまで先生に褒められたいのかい？」
「ああそうさ。そうともよ。」
「威張って言えるのかそれ。」
「まるでお話にならないじゃあない？おかげで安心しちゃったわ。」
「あ〜、どうしよう〜。」
メッチャ悩みこんでるレイに自信満々のおケイ。全く対称的な２人だな。
同じマドカ先生の信者でも、こうも違ってくるのか。
（フフ…見てなさい。もうすぐあんたなんか見向きもしないようにしてやる…！）
そして、５時間目…マドカ先生の数学の授業が始まった。
「さ、この問題を解ける人、いますか？」
「はい！」
お、やっぱりおケイのやつ、手を挙げて来たな。
だが、レイは相変わらず暗いままだ。
（ラッキー！このままだと先生は私しか当てられないのらー！）
（だ〜、ちくしょう…イーブイとつい寝ちまって…。もうこうなったらヤケだー。）
「はい！」
何ィ？レイのやつも手を挙げているぞ？
「じゃあ…秋山君、お願い出来るかしら？」
（な…何ですってえ…。あいつ予習してないんじゃあなかったの？ていうかあたしの方が先に手を挙げましたよう！せんせー！）
が…レイは自信がなさそーな暗い表情で前に向かう。
「う〜ん…う〜ん…。」
「どうしたの…？やっぱり分からないのかな？」
レイは、どうやら分かりもしないのに手を挙げてしまったのか？
そこまでおバカとは思わなかったぞ。
（折角当ててくれたのはいいが…ホントにさっぱり分からん…。どうする…？）
レイは黒板の前で固まったままだ…。
「…すみません。やっぱ分からないです…。」
「あらら…じゃあどうして手を挙げちゃったの？」
あ…これはまずいな…。レイ、ここは何とかこの場を切り抜けるんだ。
でも、もし先生に褒められたかったから…とか言っちゃったら、間違いなくお説教だ。
レイよ、ここは何とか切り抜けるんだ。
「じ…実はですね…。」
「先生、私が代わりに解いてもいいでしょうか？」
おお、ここでおケイが口を開いたか。
レイ、ここはおケイに代わりに解いてもらえ。
今はそれしか君が救われる方法はないぞ。
「じゃあ、南野さん…代わりに解いて下さい。秋山君、じゃあ席に戻って南野さんが解くのをよく見ててね。」
先生は、優しくレイにこう言った。
が、これじゃあレイの立場丸潰れだな。
レイはしぶしぶと席に戻りに歩き、おケイは堂々とした態度で黒板へと向かう。
すれ違い様、これはもう勝ち組負け組がハッキリし過ぎているぞ。
（ふふっ、おバカさあん…。分かりもしないのに手を挙げるなんて、この子超おっかしー！）
おケイは間違いなく、黒板にかかれた問題を正解してくるに違いない。
「はあ…。」
レイはため息をついて席についた。。
おケイは昨日同様、スラスラと問題を解いていった。
「先生…どうでしょう…？合ってますか？」
「ええ…これで正解よ。良く出来ましたね、これはかなり難しい問題よ。」
やっぱり流石のおケイだ、レイよ、今日の君は完全敗北してしまったな。だが、まだこれから頑張ればいいじゃあないか。
今日はおケイがどうやって問題を解いたのかノートに書き、それを復習すればおケイに追いつく事だって不可能じゃあない。
「オレはもう終わりだ…。明日からどうやって生きて行けばいいんだ…。ぶつぶつ…。」
何やら自己嫌悪に陥っているようだぞ。だが、自業自得とはこの事だ。
こうなったら、もう治るまで放っておくしかないか。
「いえ、こんなの大したことないです…。…あっ…」
すると、突然おケイが先生に倒れ込むようにもたれかかってきた。
何があったんだろう、体の具合でも悪いのか？
「あらら…どうしたの南野さん？気分でも悪いの？」
先生は、ちょっと慌てておケイの肩に手をそえて支えてあげた。
「す…すみません…。一寸立ち眩みが…昨日は遅くまで勉強していたもので…。」
「大丈夫？立てますか？」
「あ…大丈夫です…。もう１人で立てますから…。」
さっきまで元気そうだったのに、今までやせ我慢していたのだろうか。
おケイは本当に気分が悪そうだが…。
「本当に大丈夫？１人で席につけますか？」
「は…はい、本当に大丈夫で…」
しかし、また倒れかけたぞ。
本当に大丈夫なのか。
先生はまたおケイを支えてあげると、ゆっくりと抱きしめてあげた。
「大丈夫？もし辛いなら、少しの間こうしててもいいですよ…。さあ、気持ちを楽にして…。」
「…す…すみません…。では少しだけ…気分がちょっとよくなるまで…。」
先生は、おケイを抱いたままこう言った。
「みんなゴメンね…。南野さん、気分が悪いみたいだから、もうちょっと待っててね。」
先生…本当に優しい人だなあ…。
レイやおケイが熱心になるのも分かる気がする。
しかしおケイの真の本心などボクは知る由もない事だった。
（やったあー、昨日に引き続き、立ち眩みのフリして先生に超接近作戦大成功なのらー！）
（このまま先生は、少しずつ私の魅力に気付いていくのよ…。やっほーう！）
「大丈夫？少しは楽になりましたか？」
「あ…はい…やっと落ち着いてきたみたいです…。ありがとうございました…。席に戻ります…。」
「大丈夫かしら…。心配ねえ…。」
（おーっほっほっほ、まず昨日の事で先生にあたしをかすかに印象付ける…。）
（そして今、先生に大接近する作戦も大成功したわ！そしていよいよプランは最終段階に入ったわ！）
（明日でいよいよ、あたしは先生にとって他の子たちより大切な子になっているのだわ…。）
（先生も私の魅力に気付いて、きっとずーっと可愛がってくれる！）
（そうなれば、もう先生はあたしのものなのだわ。）
（あの秋山レイもあたしと先生の仲に、せいぜいヤキモチ焼く事しか出来なくなるのだわー！おーっほっほっほ！！）
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Ep.15 いがみ合い
「まあ！南野さんは本当に数学が得意なのねえ、もう先生より出来るかも！」
「そんなあ〜…そんな事ないですう〜…。まだまだ先生には敵いませんよお〜。」
「南野さんって勉強は出来るし可愛いし素直だし、良い子良い子なのねえ…。」
「南野さんなんて呼んじゃあやだあ…。ケイちゃんって呼んで下さいっ！」
「はいはい・・ケイちゃん、良い子良い子〜。」（なでなで）
「えへへー、先生の手って柔らかくてあったか〜い。」
「お…おケイのやつ…悔し〜い…キーッ！」
「ハンカチを噛むなよレイ…。気持ち悪いぞ。」
「えへへ…むにゃむにゃ…しぇんしぇえ…。」
朝、南野ケイコは火野先生の夢を見ていた。
随分都合の良過ぎる夢のようだが。
おケイは気持ちよさそうに、よだれまで垂らして先生の夢を見ながら眠っていた。
「しぇんしぇえ…だいしゅき！」
おケイが寝ぼけて何かを抱きかかえたと思うと、そこにはおケイのお母さんがいた。
「あッー、先生がおばさんになっちゃった。」
「誰がおばさんなの？おケイ、早く起きないと遅刻するよ。」
「げっ、ママだったのお…。今何時？」
「もう７時過ぎてるよ。早く起きなさい。」
「はーい…。」（あーあ、いいトコだったのにい…。）
ちゅんちゅんとスズメが鳴いている。
今日も気持ちのいい朝だ。
「行ってきまーす！」
おケイは着替えてご飯を食べると、いつものように家を出て学校へと向かって行く。
「あんないい夢を見られたんだもの…。今日は良い事がありそうなのだわ！」
「じゃあ…この問題が分かる人！」
「はい！」
次の日の数学の授業がやってきた。
やはりおケイは手を挙げてきた。
だが、レイも負けじと手を挙げたぞ。
昨日はちゃんと予習してきたのだろうか？
レイが当てられたので、黒板に向かい解答する。
「先生？これで合ってますか？」
「うーん…ちょっと違うかなあ…。これはこうなってこうなの・・。分かりますか？」
「ああ…なるほど。こういうやり方もあったんですか。」
レイは、黒板に正解を書く事は出来なかったが、先生の指摘を真面目に聞いていた。
予習は一応はやってきてはいたようだ。
だがレイ、間違えても別に構わないんだ。
次から出来るようになればそれでいい。誰でも最初から出来るわけではないんだ。
レイは、正解出来ると思うから手を挙げたんじゃあない。
（あ〜ん、先生のご指摘が長過ぎるよ〜！もう時間来ちゃうじゃあないの〜！）
先生のレイへの指摘は５分ほどもあった。
だが、おかげでレイもキチンと理解したようだ。
昨日、ボクはレイに先生に褒められるためにやっても意味がないと言った。
褒められるのは、キチンと理解している事を先生自身に理解させる事なんだ。
まずは自分が数学を理解出来なければ、そしてそれが先生に伝わらなくては意味がない。
先生は、ただ答えが正解・不正解で生徒を評価する人ではない。
ただ問題を答えられる事ではなく、理解しているがどうかが重要なんだ。
ボクは席についたレイに話しかけてみた。
「どうレイ？キチンと分かったかい？」
「ああ…あんなところで公式が役立つとは思わなかったぜ。アレはためになった。」
「だろう？別に手を挙げて発表して間違えたって、恥ずかしがる事なんてない。でも手を挙げてみて良かっただろ？」
「ああ…オレも少しそう思うよ。」
「でも、それがマドカ先生以外の授業でも出来ればもっといいんだがなあ。」
「おいおい…オレはマドカ先生一筋だぜ。」
そんな事言わずに数学以外も頑張ったらいいのに。
（ったく…何がマドカ先生一筋よ…。もう時間なくなるじゃあない！）
そして、レイが席に戻ってすぐに授業の時間は終わった。
（よーし、こうなったら最終プランの次のプランで行くのだわ。）
この日は数学が最後の授業であった。
授業が終わると、いつものように「せんせー！」と言ってレイは先生の方にダッシュしていった。
「しぇんしぇー、今日はとってもよく分かりましたあ〜。」
いつものように抱きついている。そして彼の情けないとろけた表情ときたら…。
「あらあら、でも先生もレイ君がキチンと分かってくれて嬉しいですよ。」
そこにおケイもやってくる。
「せんせー。」
「あら、南野さん。どうかしたの？」
「先生、ヒドいですぅ。今日はあたしも頑張って手を挙げたのにちっとも当ててくれないし。」
おケイは顔をぷーっと膨らせて言った。
「ごめんなさいね…でも南野さんだったら簡単に解いちゃうかなあと思って。それで、今日はレイ君がちゃんと解けるかなあと思って…。」
先生は、先生なりに生徒１人１人の事を考えて行動出来る人だ。
おケイは、先生の言っている事は理解出来るのだろうか。
「ちょっとお！いつまで先生にひっついてるの？どいてよ！」
おケイがドンとレイを突き飛ばす。
レイの体重が軽いので、レイはそのまま「おとと…」とフラフラしてついにこけてしまった。
「痛いなあ…何するんだよ！」
「そんなに先生に図々しくしないでよ。先生は君のためだけにいるんじゃあないのよ。ねー先生♪」
おケイはひしっと先生につっつく。
「ねえ先生、先生ってケーキがお好きなんでしょう？今日これからあたしとケーキ買いに行きましょうよお…。おごりますぅ。」
先生は甘いものが大好きで、レイも家の冷蔵庫の中にいつもケーキが入っている事はよく知っていた。
「でも…。」
「おい、おケイ…オレがお前に何かしたのかよ。」
「ええ、あたしじゃあなくて先生に…。あんた、男の子なのにみんなの前でこんな事してて恥ずかしくないのかしら？」
「先生だって、本当はきっとご迷惑なさっているのだわ…。先生はお優しいから、あ・え・て、あんたの前では笑っているけどお…。」
今日のおケイは、何かいつにも増して傲慢だなあ…。
おケイは気が強いけど、こんな事まで言う子ではなかったのに。
レイも、少しおケイの言う通りだと思ってしまっていたのか、軽くうつむいてしまっている。
「ねえ先生。こんな痴漢スレスレの男の娘なんかより、今日はあたしと帰りましょ？ね？」
「う〜ん、そうねえ…じゃあ今日は１日南野さんにお付き合いしましょうか。」
何と、先生はおケイのお誘いを了承したぞ。
「せ…先生…。」
「ごめんね秋山君。今日は南野さんと一緒に帰る事にするわね。じゃあまた明日ね。」
「じゃーねー！」
おケイは先生と手を繋いで教室を出て行った。
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Ep.16 見えない愛情
おケイはマドカ先生とケーキ屋にやってきていた。
「じゃあ先生、好きなケーキを選んで下さい。どれでもいいですよ。」
「でも…南野さんにおごってもらうわけにはいかないわ…。先生が払ってあげるね。」
「いいんですよ遠慮しなくてもお〜。さあ選んで下さいっ。」
美味しそうなケーキが沢山並んでいる。
マドカ先生の一番の好物は普通のショートケーキ。
白いクリームに苺が乗っているのがたまらないのだそうだ。
「じゃあ…ショートケーキ１つ下さい。」
「えー？１個でいいのお？」
「ええ…最近ちょっとダイエット中だから。」
と言っても、先生の体重は身長から考えても十分細身である。
本人によれば、体重５０ｋｇを超えたら甘いものは極力控えているとの事である。
やはり先生とて１人の女性だから、美容には気を遣っているようだ。
お金は、結局おケイが２００円払って買う事になった。
その後、お店を出る２人。
「ありがとね南野さん。」
先生はそう言っておケイの手をぎゅっと握った。
「いええ〜、そんなあ…。いつもお世話になっていますから！それと、あたしの事は『ケイちゃん』と呼んで下さい！」
「はいはい…。じゃあケイちゃん、ありがとう。」
そして先生はおケイから手を放すと、その日はそこで別れて２人とも帰って行った。
「ふふふのふ〜。先生にケーキ買ってあげられて幸せなのら〜。」
おケイは先生に触れられた手をずっとそのまま握ったままだった。
「あ〜、これで先生は…ん？」
おケイは手の平を開いてみると、何か手に持っている事に気が付く。
手の中には、１００円玉が２枚あった。
「こ…これは…。」
実は先程、マドカ先生はお礼を言って手を握った時にこっそりおケイ手の中に入れておいたのだ。
マドカ先生にとって、生徒からケーキを買ってもらう事など、絶対出来ない事だったのだ。
おケイもすぐに先生が２００円を手の中に入れた事を悟っていた。
（先生…どうしてお金を返したの…。）
おケイはその時考えていた。
秋山レイと自分は何が違うのだろう？
秋山レイは、いつも先生に甘えたり抱きついていたりしているのだが、
何故彼は先生に好かれて愛されているのだろう…と。
おケイは、自分が本当に先生に愛されている事は、まだ気が付いていなかった。
レイと同じくらいに思い入れのある生徒であるおケイに、ケーキを買ってもらう事など出来ない事に、おケイはまだ気が付かなかったのだ。
「あたし…先生に嫌われていたのかな…。」
翌日。
おケイは早めに学校に向かい、職員室へとやってきていた。
ボクらの学校では、毎日先生が交代で朝７時に学校の校門の鍵と校内のロックを解除する事になっている。
２２世紀の学校は、どこもセキュリティ１つで戸やドアが動くようになっている。
おケイは今日マドカ先生が当番という事は熟知していたので、２人きりで先生と朝一で話すためにやってきていたのだ。
７時１５分―。
校門の鍵だけ開けて、後は職員室のセキュリティを解除するだけの簡単な作業で、すでにマドカ先生も職員室で授業の準備を始めていた。
そこに、おケイがやってきた。
「先生…！」
「あら…ケイちゃん…どうしたの？まだ始業の８時半までは時間があるのに…。」
おケイは、先生の元に黙って歩いてきて手の平を見せた。
手には、先生から渡された２００円があった。
「これ…先生でしょ？昨日あの時にあたしに…。」
「…。」
先生は、何故おケイにこっそりとお金を返したのだろう？
先生は、おケイにケーキを買ってもらうわけにはいかないと思っていた事は確かだろう。
でも、きっと言いにくかったのだろう。
今、目の前にいる大切な生徒は、あくまで自分に対する好意で行動した事、それはマドカ先生も理解していたから。
「なんで…あたしにお金返したんですか？」
「ケイちゃん…先生はね…ケイちゃんの気持ちだけで十分なの…。だから、お金は返します…。」
マドカ先生は、その青春を辛く生きてきた事は前にも話した通りだ。
先生は高校生の時から、本当に辛く長い青春時代を生きてきた。
病気にかかり、そのためだけに男性からも一切相手にされなくなり、両親も失って人から優しくされる事などなかったという。
先生は、その後もたった１人で苦しんで、たった１人で頑張って教職に就いた。
当時頼れたのは、自分１人だけ。
ただ…たった１人の恩師の言葉だけが先生の支えであった。
だからなのか、このマドカ先生のあまりに大きく深い優しさと愛情は。
マドカ先生は、自分の生徒には自分と同じ苦しみを味わって欲しくないといつもおっしゃっていた。
この目の前にいるおケイにも、そしてレイにも、ボクにだって同様の感情を抱いていた。
あの悲壮な過去を知ってからというもの、ボクも先生に何か出来る事はないのかといつも考えるようになった。
レイも同じだった。まあ彼の場合…ちょっと行き過ぎな感もあるが、先生の事情を聞いてからは先生の支えになりたいといつも言っている。
おケイは、この先生の過去の事は１年生の時から知っていた。
おケイにも、ボクらと同じように先生の支えになりたいという気持ちは、もしかしたらボクら以上にあったのかもしれない。
先生のために頑張るのではない、自分が頑張っているところを先生に見せて、先生にも頑張って欲しい…おケイだってそう考えていたはずだ。
「先生はね、ケイちゃんとは１年ちょっとの付き合いだけど、でもあなたも私にとって大切な子。だからお金を出してもらうわけにはいきません。」
「何故いけないんですか？たった２００円のケーキ１個買ってあげる事が、どうしていけないの？」
おケイは涙ぐんで反論した。
「ケイちゃん、そのお金…どうやって手に入れたものなの？」
先生の質問に、おケイは答えられないでいた。
何故なら、『答えはたった１つのものでしかなかったから』だ。
「ね？そうでしょう？これは本当はあなたのお金ではないのでしょう？」
読者の方々にもお分かり頂ける事だろう。
このおケイが持っている２００円は、一体どこからやってきたものなのか。
「ケイちゃん、あなたは本当に賢くて真面目で…そして本当はとっても優しい子だわ…。でもなぜいつもレイ君には冷たいのかしら？」
「そ…それは…。」
「昨日は言わなかったけど、レイ君はとても傷ついたんじゃあないかしら…。」
「あ…あたしは…。」
「でも彼は言っていたわ…。『オレ、本当はダイと同じくらいおケイが好きなのに、なんでいつもああなんだろう…。』って…。」
「レ…レイ君が？」
マドカ先生の言っている事は本当だ。
レイとおケイが、マドカ先生を好きになったのは高校に入学してほぼ同時期だ。
２人とも同じくらい先生が好きで、授業が終わったら２人とも「せんせー、せんせー」と言っていつも構って貰おうとしていた。
先生の過去を最初に知ったのは、おケイの方…ボクらより１年以上も早く知ってしまった。
おケイはその頃から、先生をより溺愛するようになり、自分が１人で先生に尽くしたいと思うあまりに、
先生に近づく他の生徒を近づけまいとする事もあった。
特に、体の事を話しただけで先生を振った男性を特に敵視するようになり、「男は身勝手」と思い込むようにもなってしまった。
それ以来おケイが心を開いた男性は、幼馴染のボク…水咲ダイだけだった。
”「ねえ？ダイ君は先生の事をどう思ってるの？」”
”「どうって…？そりゃあ尊敬しているよ。ボクもあんな風に人望の厚い大人になりたいかなあ…。」”
”「やっぱり！ダイ君は先生の事、良く分かってるのね！」”
”「先生の事かァ？そりゃあ美し過ぎるからだよ。完璧なプロモーションだしなあ。オレ、高校卒業したら…先生と結婚するんだ。」”
”「おいおい、本気かい？レイ…。」”
”「おう、オレは本気だぜ。だから今のうちに目立っとかなきゃあな。」”
”「何よそれ…。あんた、マドカ先生がどういう人か全然知らないくせに…よくそんな事が言えるわね…。だから…だから男って…！」”
数か月、まだレイがエリさんの体になる前に、こんな会話をした事もあった。
彼女にとって、自分と同じくらいにマドカ先生が好きな秋山レイは、最も邪魔な存在として認識するようになってしまった。
『あの秋山レイだって先生の体の事情を知れば』、そう思うだけで嫌になっていた。
いつも最初にチョッカイを出していたのは、おケイの方だった。
レイは、おケイと喧嘩をする事はあっても、自分から嫌味を言ったりいじめたりする事はほとんどなかった。
おケイは本当は優しい…そしてとても純粋な子…先生はおケイの事をいつも見ていたから、それが良く分かっていた。
自分に対する好意でいつもしていた事、だからおケイを傷付けまいと、いつもおケイには黙っていたのだ。
「どう？これが先生の今の気持ちです。」
お金の事も、レイの事も…先生は今までためていた想いを今、全て話した。
おケイに、もうこれ以上レイやみんなと仲を悪くして欲しくない、そして自分のために何もどうこうする事もない…それが言いたかったのだ。
おケイが本当に優しい子だったから、こんな事になっていたのだろう…先生は全てお見通しだった。
もう、自分に対しても友達に対しても、どちらにも歪んだ愛し方をして欲しくない、ずっと前からそう思っていたのだ。
おケイの目から、一粒、二粒と涙がこぼれた。
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Ep.17 再生の時
「ごめんなさい…先生…。」
涙をこぼしながら先生に謝るおケイ。
だが、おケイとて自分の事を想えばこその事と、先生は思ってくれていたのだ。
先生は、おケイの気持ちをとても嬉しく思っていた。そう思わざるを得なかった。
おケイの行動や言動がどうあれ…少なくとも自分を守ろうとしてくれていた事だけは確かだった。
子宮を患い教師になるまで、ずっと１人ぼっちだった。
マドカ先生は教職についてから４年目だが、最初の２年くらいは非常に苦労されたという。
まだ教師として駆け出しであった先生は生徒からもバカにされ、男子生徒からは痴漢同然のイタズラをされ、
女子生徒からは嫌がらせを言われた事もあったとか。
何度も教師を辞めようと思った事もあったという。
でも今、目の前にいるおケイのような生徒が今はいてくれる。
おケイだけでなく、他にも今では沢山の生徒に先生は愛されている。
どれだけ先生にとってありがたい事であったろう。
おケイの存在が、先生にとってどれだけかけがえのないものであったか計り知れない。
おケイも同じだった。
これほどまで苦しんで生きている人間に出会った事はなかった。
おケイが生まれつき持っていた『優しさ』とか『純粋さ』は、マドカ先生を支えて余りあるものであった。
おケイと一緒にいる事で、それだけの事でマドカ先生はどれだけ救われていたのだろう。
そして、おケイ自身も…先生からどれほど大きな事を学ばせて貰っていたのだろう。
ボクとレイ、おケイはずっと同じ小学校・中学校・そして高校と、同じ学校で顔を合わせていた。
実はレイとおケイは、クラスはずっと違っていたが中学３年までは仲が良かったのだ。
とても気が合っていたし、よく３人で色んなところに遊びに行ったものだ。
だが、高校生になってマドカ先生に出会って、そしておケイが先生の事を知ってしまってからこうなっていた。
また昔のように、ボクら３人で仲良く出来る日が来るとボクもずっと祈っていた。
それにおケイだって、レイが死にかけた時には本気で心配していたのだ。
「分かってくれた…？」
「はい…。」
そして、８時１０分…始業２０分前。
「おはよう…、ダイ。」
朝、いつものようにレイが眠そうに教室に入ってきた。
「おはよう。昨日の事はまだ気にしてるのか？」
おケイがレイを突き飛ばした事だ。
「なあ、ダイ…。もうあいつとは仲良く出来ないのかな…。」
「うん…。」
ボクもレイの言葉に答える事は出来なかった。
ボクらが話していると、おケイが教室にやってきた。
すると、ボクらの方に真っ直ぐ歩いてくる。
「おはようおケイ。」「よう…。」
ボクらはおケイに軽く挨拶する。
「おはようダイ君。」
おケイはボクだけに挨拶をした。
が、おケイはレイの方に顔を向けるといきなり抱きついてくる。
「おはよ〜、レイ君。んにゃ、レイちゃんと呼んでいい？ねえいいでしょー？」
「な、なんだあ〜？おいダイ、おケイはどうかしたのか？」
「おケイなんて呼んじゃあやだあ〜。ケイちゃんて呼んで〜。」
どうなっているのだ？レイもボクにも理解出来なかった。
「レイちゃん、今日もとっても可愛いよ。」
「やめろ離れろ、おいダイ、君は幼馴染なんだろ？何とかしてくれよ…。」
「離れないも〜ん。レイちゃん大好き〜。」
後からおケイから聞いた事だが、おケイはレイを「男の子みたい頼もしい女友達」と今は見ているらしい。
「離れろっつうんだよ、蹴飛ばすぞコラ。」
「蹴飛ばしてもいいよー、またすぐに抱きつくから！」
（どうしたんだおケイのやつ…。）
そして、数学の時間。
「えーと、じゃあこの問題が分かる人はいますか？」
「はい！」
今日もおケイが手を挙げた。レイはまだ手を挙げていない。
また予習が出来なかったのだろうか？
「じゃあ、南野さんにお願いしようかしら。」
「先生！あたし、レイちゃんと一緒に解きます！」「はあ？」
ボクとレイは同時に声を上げてしまった。
すると、おケイはレイのところに来て手を取って、
「さ、一緒に解こうよ。で、一緒に先生になでなでしてもらおっ！」
「何だよおめーは。昨日何か変なものでも食ったんじゃあねえのかァ？」
「ほら、早く早くう！」
レイはおケイに手を繋がれて黒板までやってきた。
「えーっと…判らん…昨日は遅くまでゲームを…。」
「ほら、ここはこうやって解くの！」
おケイはレイの手を取って無理矢理チョークで書かせていく。
マドカ先生すら、その光景に唖然としていた。
「先生、合ってるでしょ？」
「え？ええ…よく出来たわね南野さん。」
「先生、レイちゃんも一緒に解きましたよう！レイちゃんも褒めたげてよお！」
「あ…はいはい。秋山君もよく出来ました…。」
流石の先生もおケイの変貌ぶりに、ただただあっけに取られておられるようだ…。
授業の後、マドカ先生から今朝の事は聞いた。
それからというもの、おケイとレイは昔と同じように元の仲良しになっていた。
「ねえ、レイ君…。今までごめんね…。」
「ああ、いいんだよ…。なあ、久々に３人でカラオケでも行こうぜ。実は今のオレ、結構良い声出るしさ…。」
「本当かいレイ…。じゃあボクも久しぶりに…いや初めてかな…。おニューのレイの歌声を聞くのは。」
これでもう大丈夫だ。先生が全て解決してくれた。この１年余り、止まっていた時間が今また少しずつ動き出していた。
レイとおケイ…そしてボクの３人は、中学以来久し振りに３人で放課後一緒に学校を出て帰る事が出来た。
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