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<始まり>
「うあぁああぁああ!」
無機質な治療室の一室で、一人の少女が泣き崩れていた。
目の前には、生命維持装置につながれたエモンガ。 ピーと鳴り響く心電図の停止音が、ひとつの小さな、そしてかけがえのない命の終わりを告げていた。
「リンカちゃん。悲しいね。辛いよね。 でもね、死は終わりじゃないの。 エモンは、新しい未来へ旅立っただけなのよ。」
研究者らしき若い女性が、少女に優しく諭す。
「…新しい、未来?」
「そう。ヒトもポケモンも、生死を繰り返しながら、 終わりのない旅をしているの。」
「それは、どういうこと?」
研究者は、身をかがめ、少女に優しく微笑んだ。 「姿かたちは変わるかもしれない。 でもね。エモンは、生まれ変わるの。新しい世界のどこかで。」
「リンカのこと、忘れてるかな?」 少女は、溢れる涙を拭おうともせず、恐々と尋ねる。
「忘れないよ。リンカちゃんのこと、忘れるわけないじゃない。 魂の記憶は、永遠なの」少女の頭をなで、優しく包み込む。
「また、めぐり合えるかもしれないね。リンカちゃんが、一生懸命生きていればね。」
あの日の情景。泡沫の追憶。
そう、私は、このとき誓ったんだ。 誰よりも一生懸命生きて見せる。 もう一度、エモンに会うために。
「のか」
偉大な研究者になって、医療をもっと発展させるんだ
「ているのか」
尊敬するエヴァ先生のそばで研究するんだ。 先生のお役に立ってみせる。
「聞いているのか!! リンカ・アシュテール!」
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突然の恫喝が、私を引き裂いた。 目の前の現実に、思考が追いつかない。 視界のぼやけた目をこすり、周りをゆっくりと見渡す。
狭い、牢獄。 否、小さな教室。 ここが、私の現実。
大勢の生徒達に、蔑視の視線を向けられている。 目の前には、憤怒の形相を浮かべた教官が仁王立ちしていた。
状況を確認すると、深呼吸して静かに取り繕う。 「ええ、もちろん、聞いてました。教官」
「嘘をつけ! 居眠りしてただろうが。 お前、オレを舐めてるのか?」
はい、舐めてます。とは言えるはずも無く、 けれども流せるほどには大人でもなく。
私は返答の代わりに、小さなため息一つ、 そして蔑視の視線を向けてみる。
「き、貴様。 その態度、必ず後悔させてやるぞ。」 男は顔を真っ赤に染め、肩をワナワナと震わせながら、ドシンドシン音を立てて教壇に戻っていった。
男の名はマーチェスという。 この研究者養成施設、サイエンティフィック・アカデミアの所長を務める『暴君』だ。 しかし、私には怖れる理由が最早ない。
「ぬ、7時か。今日の講義はこれにて終了。 速やかに寮に戻り、復習せよ。貴様らに憩いの時など許されぬ。いいな?まっすぐに、帰るんだぞ。決して風紀を乱す真似などしないようにな。」
マーチェスは真っ直ぐに私の目を見据えて言った。 これは、相当睨まれてるな。
マーチェスの言いなりになるのは癪に障るが、 急ぎ足で真っ直ぐに宿舎に戻る。
宿舎は、教室のあるキャンパスエリアからやや離れた場所にある。大昔に総合ポケモンセンターだったそれは近代的とは言いがたく、無骨なコンクリートは憩いの空間を全く演出してはくれない。
宿舎に着くとカレーの芳香な香りがロビーに充満していたが、食欲も無いので真っ直ぐに自室に戻る。といっても、騒がしいルームメイトが一人いるが。
「リンカちゃ〜ん。おっかえりー!ご飯にする?それともお風呂に、ウゴッ?!」 皆まで言い終わらぬうちに、正拳突きをお見舞いする。
「はあ。折角一人静かに物思いに耽られると思ったのによ。」
「えへ。一緒にご飯食べに行こ?」
少女の名はマツリ。このおどけた性格とは裏腹に、成績は良いのだから侮れない。遊んでばかりに思われるが、一体いつ勉強しているのだろうか。
「一人で行けよ。 今、気分じゃないんだ。」
「え〜!ずっと待ってたんだよ! リンカと一緒じゃなきゃ、嫌! 今日は、カレーなんだよっ」 心の底から嬉しそうにする。
「カレーでもカレイでも、何でも食べてきな。 あたしは少し遅れていくから。」 その言葉にようやく納得し、マツリはしぶしぶ部屋を出て行った。
マツリの今日の授業は、夕方で終わっているはずだ。 私が帰ってくるまで、一人ずっと待っていてくれたのだろう。 他の子たちの誘いを断り、こんな変わり者の私のために。
しかし、私には計画がある。みすみすこのチャンスを逃すわけにはいかないのだ。それに、マツリを巻き込みたくない。
恐らく、私はこの夜、退学になる。
だが、それでいい。 科学者にはなりたかった。だが、それ以上に今やるべきことがある。
8時。 時間だ。
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第三話<暗転>
ここはキャンパスエリアに隣接する、研究棟A塔。 生徒の立ち入り禁止区域。
「はぁ、はぁ」
全力疾走をしたのは、いつ以来だろう。 思えばずっと、自分を持て余していた気がする。
「待てぇ!」 「追え、逃がすな!」 「こちら研究棟A棟。侵入者を発見。繰り返す…」
怖れはない。 むしろ、不思議な充足感に満たされていた。抑圧を破り、公正を為す使命感と開放感。自分が、自分であるという感覚。 二人の警備員に追われながら、長い回廊を颯爽と駆け抜ける。
「止まれ、退学になりたいのか!」 「出て来い、スピアー! 」
階段まで数十メートル。
「スピアー、毒針攻撃!」
階段まで、五メートル。
「貴様、止まれ! その先は…!」
不意に、激痛に襲われる。 スピアーの毒針が、右肩を貫いた。 だが、立ち止まらない。
「お前も行け、ドクケイル! 侵入者を捕らえろ!」
階段を二段飛ばしで駆け上がる。
「愚かな! その先に逃げ場は無いぞ! ドクケイル、糸を吐く攻撃!」
上着のカーディガンに、粘着性の糸が張り付く。 だが、体に絡みつく前に、上着を脱ぎ捨てる。
あと少しで、屋上。
「愚かな! その先に逃げ場はないぞ!」
バンッ!
扉を開けると、曇天の夜空が視界に飛び込んだ。 晩秋の冷たき雨が、右肩の傷に酷く沁みる。
「はぁ、はぁ、」
寸分遅れて、4人の警備員とスピアーたちが雪崩れ込む。
「止まれ! 逃げられると思ったか?」 「何が目的か知らんが、アカデミーの生徒だな?どうやって宿舎を抜け出した」
私は追い詰められ、屋上の手すりまで後ずさりした。
「何はともあれ、貴様を連行する。女とはいえ、手加減されると思うなよ…」 スピアーとドクケイルは、技の構えに入る。
「アンタら、知ってるのかよ。この研究所が、裏でしていること…!」
途端に、警備員たちの顔色が悪くなる。 「こいつ。どこまで知ってる?」 「フン。ゆっくり聞き出してやるさ。地下の拷問部屋でな」
この日、この場所、このタイミング。
「やれ、ドクケイル! 毒毒!」 「スピアー、シザークロス!」
ピンポイント。逃げ場なし。
「マルマイン、雷ッ!」
一瞬、世界は真っ白に包まれ、 寸分遅れて轟音が鳴り響く。
ゴロゴロゴロッ! ドドォーンッ!
視界が戻ると、警備員たちは倒れていた。
「こっちは逃げる気なんて、初めからねーよ。」
私は、手持ちのマルマインの頭を撫でた。
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第四話<謎の男>
静寂な夜の研究棟の廊下。
激しい雨風が、バシんバシンと窓を打ち付けている。時折、遠くで雷鳴が轟いていた。
通路は全体的に薄暗く、 窓から差し込む淡い月明かりだけが頼りである。
予報では、今晩から明日に掛けて台風がこの地方に上陸することになっている。 もちろん、それは計画のうちだ。
この大雨に乗じて、 ミラーコートによりレーダーを回避しつつ、マルマインはアカデミアに接近することができたのだ。本来、生徒のポケモンの持ち込みは許されていない。
通路の突き当たりまで進むと、重々しいハイテクなドアが立ちはだかっていた。
「認証します。 セキュリティIDを入力して下さい」 セキュリティシステムが、機械的な女性の声で告げる。
「マルマイン。 お願い」
待ってましたとばかりに、マルマインは飛び上がると淡い光を発する。 それは指向性の高い電磁波であり、あらゆる磁気回路に干渉する。 電磁扉の、ロックの外れる音がした。
内部には、およそ建物の概観からは想像もつかない、清潔で近代的な研究ラボが広がっている。
その中のコンピューターの一つを起動し、私はUSBを差し込んだ。
「データ転送、完了。 後は脱出して、マスコミに持ち込めばいい」
「…それは、保証できんね。」 突然、 男の声が部屋中に響く。
咄嗟(とっさ)に辺りを見回したが、手持ちのマルマイン以外、誰もいない。
「この研究棟は、生徒は立ち入り禁止になっているはずだ。 まさか知らんわけじゃあるまい?」
音の出所が判明した。 天上の片隅に設置された、スピーカー。 音はそこから聴こえてくる。
「ああ、知らなかったね。 アカデミアの裏で、こんな違法な研究をしていたなんてね!」 私は冷笑し、手の中のUSBを監視カメラに掲げる。
「これをマスコミに流して、アンタたちを告発してやる」
「はて?何のことかな。そのUSBのなかのデータは、我が研究所の合法的な研究成果だ。 もっとも、どのみち盗まれるわけにはいかんがね。」
声の主からは、少しも動揺が感じられない。 その余裕のある態度が、余計に私をイラつかせる。
「ここで頑張れば、ポケモン研究者になれると思ってた。 でもさ、もうこれ以上、見てみぬフリをして、学生なんかやってられるかよ!」
それを知ったのは、本当に偶然だった。 知るつもりはなかった。 私はただ、自分の夢のために、このアカデミアでポケモンの勉強を続けていたかった。 でも、もう後戻りはできない。 知ってしまったから。
「ほう、アカデミアを退学するというのかね? それは当校としても、とても残念だね。」
この男、どこまで本気なのか。 自信を感じさせる口ぶりからは、恐らくこの複合施設の主任的立場であることが伺える。
「フン。私は今からこれをマスコミに流す。 あ、そうそう。最後に言い忘れた。『センセー、さようなら』」
バチバチ、バチバチッ!
私がマルマインに合図すると、十万ボルトがスピーカーを粉々に砕いた。
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第五話<謎の男その2>
これ以上、無駄話をしていても敵に時間をあたえるだけだ。 速やかに、データを持ってこの施設を脱出しなければならない。 世界中の、ポケモンたちのためにも。
急いでラボを出ると、薄暗い回廊を颯爽と駆け抜ける。 その後ろをマルマインが従う。
「名残惜しいな…」 色々なことがあった。
「勉強、楽しかったなあ…」 だけど、ここにはいられない。
「もう、マツリには会えないだろうなあ…」
頬を伝う涙を拭いもせず、私は寡黙に走り続ける。 手の中のUSBメモリを、熱く握り締めながら。
「そんなに未練があるなら、ここに残ってはどうかね?」
突然の声に、私は驚いて立ち止まった。
辺りに人の気配はなく、外の雨風が窓を叩く音がするのみである。 暗がりの中でよく目を凝らすと、ここにもスピーカーが天上に備え付けてあった。
「君がどうして、我々を邪険にするのかわからんな。 どうも我々は、大きな誤解をされているらしい。」
「誤解? アンタ達のしたことは、このUSBのなかに記録されている。 言い逃れは、法廷でごゆっくりどうぞ?」 出口に繋がるエントランスまで、あと100メートルといったところだ。 男を無視して駆け抜けることは、不可能ではない。
「繰り返しになるが、それは当機関の正当な研究成果だ。 利権上、施設外に漏らすわけにはいかん。 …悪いことは言わんよ。大人しくそれを返しなさい。 そうすれば、今日のことは不問にしてもいい。君は明日から、また学園生活に戻ることができる。 悪い話じゃ、ないと思うがね?」
「…ッ! ふざけるなッ! 私がそんな話に乗ると思ってんのかよッ?! 知ってるんだぞ、とぼけたって無駄だッ! お前達は、お前達は…!」
私はそこまで言いかけて、次の言葉を言うことを躊躇した。
「『お前達は』。 何だね? 」 男が先を促す。
「お前達は! 『レッドコード』を研究してるんだ!」 それは、古に失われたはずの、禁じられた研究…
窓の外で、雷鳴が轟いた。
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第六話 <科学者マーチェス>
「レッドコード」。その言葉に、男はしばし沈黙した。 「…知らんな。」
こちらには証拠のデータがあるというのに、どこまでとぼけるつもりだろう。 これ以上は、話していても時間の無駄だ。
私は男を無視して、急いで薄暗い通路を駆け抜け、出口のあるエントランスに出る。
そこには、予想外の光景が広がっていた。
「…マツ、リ?」
マツリは、大理石の床に伏して倒れている。 …口から血を流しながら!
そして側にいるのは…
「遅刻だぞ、リンカ・アシュテール」
ずんぐりとした巨体に、卑しく歪んだ口元。 この研究者養成施設、サイエンティフィック・アカデミアの所長を務める『暴君』。
「てめえ…マーチェスッ!」
「マーチェス、教官だ。 ばかもの」 しかし、マーチェスは気にする素振りも見せず、 ヘラヘラと愉快そうに笑った。
「てめー! マツリに、何しやがったッ?!」
「コイツはな、無断で研究棟に忍び込み、 あろうことか、俺様に歯向かってきやがった。 だから、何、ちょっと躾をしたまでだ。…コイツでなッ!」
「!?」
直後、頭上から凄まじい気配を感じ、私は咄嗟(とっさ)に後ろへ飛びのいた。
ガガシュガシュガシュッ!
「ッぅわッ?!!」 大きな衝撃に、私は更に後方に吹き飛ばされる。
「ち…外したか」
気づくと私は床に突っ伏しており、あまりの突然の出来事に、何が起こったのか理解が追いつかない。 壁にぶつけた頭をおさえながら、おそるおそる顔を上げると…
先ほどまで私が立っていた場所に、巨大な昆虫がその角を床につきたてている! 大理石の床はえぐれ、角から出る毒液によって「シュー」と音を立てて溶け始めていた。 ベントラー。 毒タイプの素早いポケモン…
ベントラーの角や棘に一撃でもかすれば、それがそのまま致命傷になる。
以前、調剤実習でベントラーの毒を誤って浴びた生徒が、急性中毒で病院に運ばれたを見たことがある。 クラス中で心配したが、その生徒は、ついに帰ってこなかった。
「キシャ〜ッ!」 ベントラーはマーチェスを守るようにして、目の前に立ちはだかる。
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第七話 <囚われしもの>
「やろォ…マルマイン、十万ボル…、何ッ?!」
途中まで言いかけて、私は言葉を止めた。
マーチェスは、ぐったりしたマツリを無理やり立ち上がらせ、自らの盾としている!
「おっとォ…、いいのか、小娘?お前の友人が、丸こげになっても?」
「ぅ…リン、…逃、げ…」 マツリはゼイゼイと肩を震わせながら、苦悶の表情を浮かべた。
「て、てめぇ…」
「なァ、オイ?このガキは、貴様を追って、研究棟に忍び込んだんだ。 わかるか? いつまでも寮に帰ってこない貴様を心配して、身の危険を冒してまで校則を破ったわけよ。」
…この男、何を言っているんだろう? まさか、そんな…?!
「う、嘘だ…」
「嘘じゃねぇ。てめえさえ、大人しくしていりゃあ、 このガキもしなずに済んだのよ。 この人殺しがッ!」
だって、先にご飯を食べてろって、あたし、 そんな、…
私のもだえる表情を見て、マーチェスは愉快そうに笑った。
「この餓鬼は、俺様のベントラーの技『毒々(どくどく)』に蝕まれている。 放っておいてもスグにしぬが…、 どうだ、大人しく盗んだUSBを返す気はないか?」
男は懐から、青色のカプセルを取り出し、これ見よがしに手に掲げた。
「見ろ…これは解毒剤だ。 モチロン俺様は教官だからぁ?かわいい生徒を見殺しにするわけがない。 俺にはこの愚かなガキを蘇生させる義務がある。だがしかぁ〜し!? もし、貴様が俺に逆らうなら、俺は精神的ショックで、 間違ってこの薬を握りつぶしちまうかもしれんなぁ〜、 …貴様のせいで。」
これ以上ない恍惚とした表情を浮かべ、 男はゲラゲラと笑った。
逆らえない… しかし、このUSBデータだけは、渡すわけには…
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第八話 「奈落」
「ンン? 何だおい、その上目づかいは? てめえ、何なら『ベノムショック』を全身に浴びてみるか? 『ベノムショック』は、既に毒を受けている者に、確実に致命傷をあたえる。 もしかしたら、手元が狂って、この死にかけたガキに、ふりかかってしまうかもしれんなぁ、 ヒッヒッヒッヒ!それも面白いッ!」
「ま、待てよ…、わかった、USBファイルは…」
「フン! お前のな?その目が気にいらねぇんだよ。お前、何だその目。 ガキが、何様だッ!?この俺はプロの科学者だぞッ! 跪(ひざまず)け、 泣いて詫びろッオラッ! 『いつも生意気でゴメンなさい』ってなあ! コラ、どうしたぁ?!」
く… 逆らえ、ない…
「わ、わかった、謝るから、謝るからッ!」
私は震える手を強く握り締め、ひざを廊下につけ土下座の姿勢をつくる。ポタポタと、床には涙がこぼれる。
「い、いつも…、生意気で…、ご、ごめ…んな、さい」
「ホラ、受け取れ…薬だ。」 私の目の前の床に、解毒剤が投げ出され、転がった。
私は震えながら、それを取ろうと手を伸ばす。
「ベントラー、ポイズンテール。」
直後、びゅっと空を切る音がしたかと思うと、 何かが腹部に深く食い込んだ。ボキリ、という音がした。
「ァぐッ?!」
ド カ ン ッ!
「ぅ、がああ?!」
私は部屋の向こう側まで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
あまりの痛みで、言葉にならない。 「ぅ ぅ、 ぅ ぅ〜」
「今日、貴様に言ったな?『必ず後悔させてやるぞ』と。 どうだ、しっかり後悔したか?」
この男…! 最初から、解毒剤を渡す気などなかったのだ。 叶うことのない希望を与え、 私が苦しむさまをみて、楽しみたかっただけなのだ。
「後悔できたら…トドメだッ ベントラー!」
あ、ああ、ああ…!
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第九話 「異界」
キュキュキュキュィ〜ンッ! ベントラーは体を丸め、勢いをつけて回転を始めた
「ベントラー、やれえェぇッ!」 …駄目だ、ここで死ぬ…!
グシャ ッ !
…。 …あれ?あたし、生きてる? 固く閉じていた瞼(まぶた)を、ゆっくりと開く。
異 様 。 目の前の光景を形容するには、まさにその言葉がふさわしい。
ベントラーは…空中で静止している! 長い躯(からだ)はあり得ない方向に捻ね曲がり、口から泡を吐いて悶絶している。
「は?え?」 マーチェスは訳がわからないという顔で、茫然自失としている。
ベントラーは空中で足掻こうとするが、見えない力…何か強い力によって、空中で宙釣りにされ、 雑巾の様にぎゅうぎゅうに捻られ続けている。
これは…エスパータイプの技なの?まさか、サイコキネシス? しかし、一体、誰が?いつ? 私は咄嗟(とっさ)に当たりを見回したが、この部屋の中にいるのは気絶したマツリと、私そしてマルマインだけ。
マーチェスの顔色からはさっと血の気が引いていた。 「なん、だよ…なんだよコレ、何が、どうなっ」
グ シャッ ! 「グぇッ?!」
皆まで言い終わらぬうちに、マーチェスは突如、地面に叩きつけられた。
…まただ。また、技が見えなかった。 ポケモンも、人もいないのに、一体だれが、どうやって攻撃したというのだろう。 何が起こっているのか、全く理解が追いつかない!
「に、逃げ…リンカ…」
マツリの声に、はっと我に帰る。 そうだ、早くこの場から避難しなければ。マーチェスは頭を打ったのか、完全に意識を失っている。
私は倒れているマツリの方へと駆け寄ると、肩を貸そうと手を伸ばす。
しかし、差し出した手は払いのけられた。 「何、してるのッ。はや…逃げ、てよ…」
「はあ?冗談、 アンタを置いて行くわけ、」
後の言葉は続かなかった。 なぜなら、マツリの体からは、あり得ないほどの血が流れていたから。…明らかに、致死量。 「え、え…?」
「楽、しかっ…リンカ、ありが、と」
言い終わると、ごぽりと口から血を吐き、糸が切れたように彼女は動かなくなった。 「ちょっ…マツ、リ?」 心臓の鼓動が、ドッドッと激しく胸打ち、全身に悪寒が走る。 この感じは覚えがある。私は一度、この光景を観ている。エモンを失った、あのときに。エモンは、二度と、帰っては来なかった…!
「マツリ、マツリ、起きろよッ! マツリいいぃい〜ッ!うわぁああぁあ〜ッ!」
何度も、何度も、彼女の体を揺すった。 しかし、マツリは目を開けたまま反応が無く、脈拍も止まっている。 そうこうしている間にも、マツリの体からは血がどくどく流れている…。
「止まれよ、とまれよ、…ひっぐ、何で止まらないっ!止まれ、とま、れ…うわああぁあ〜ッ」
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第十話「脱出」
台風はアカデミアを直撃し、いよいよ嵐は本格化していた。 エントランスの窓は暴雨に激しく打ち付けられ、間断なく雷鳴が轟いている。
どれだけ時間が経っただろう。
私は暫らくマツリにしがみ付いて泣いていたが、このまま朝を迎えるわけにも行かなかった。 この嵐に乗じなければ、永遠にアカデミアからの脱出の機会を失うだろう。
「…マツリの仇は、絶対に、絶対にとるからっ…」 私はマツリの死体を後にして、出口へと駆け出す。
バ ン ッ! エントランスホールの扉を開けると、激しい雨風に晒される。
そこには…。 「…え?」
惨 劇。 エントランス前の広場には、警備用ポケモンや警備員たちが、山を成して倒れている!
「これ…、誰、が…?」
屈強な警備員。そして五十を超えるドクケイルやジバコイルの軍団が、 呆気も無く、無造作にそこに『積まれて』いた。
背筋がゾッとする。 私は震える足で、『それ』に近づいた。 …まだ何人か息がある。
が、雨風に晒されたまま、そう長くは持たないだろう。 恐らく、事が起こったのは、ついさっき。ほんの5分前! すぐ近くにいて、その戦闘の音に気づかなかったというのか。 底の知れない、何か恐ろしいことが、今、この施設で起こっている…!
…だが、もしも。 もしも『これ』が起こらなかったら、私はエントランス前で、待ち伏せされた彼らに蜂の巣にされていただろう。 時間をかけすぎたのか、警備も強くなっている。
…この施設で、何が起こっているのかはわからない。 だが、このまま此処にいるのは。明らかに危険だ。 嵐も予想以上に強い。 学生寮にいる他の生徒達の安否は気がかりだが、今を逃せば脱出の機会を失う。
私はマルマインの体に枷を掛け、リュックサックの様に、背中にマルマインを背負う。
後は、技「高速移動」を命じれば、マルマインごと私は瞬間移動できる。 この方法ならば、陸の孤島にして堅牢な要塞である、サイエンティフィックアカデミアを脱出できる…!
高速移動をマルマインに命じようとした瞬間、 エントランスホールから、一人の男が駆け出してくる!
「小娘えェぇえ〜ッ、ぐひひぃっ、逃がさあアァぁあん〜ッ!」
「マ、マーチェスッ?!」
マーチェスは血まみれになりながら、突進してくる! 恐怖のあまり、マルマインも私も硬直して動けない!
「あ、あ…あ…!」 動け、動け体、動け、私の体…!
グ シ ャッ!
ピッ、と、頬にマーチェスの血が飛び跳ねた。 私のまさに目の前で、前触れも無くマーチェスは地面に倒れた。
瞬間、私の恐怖は限界に達した。 この施設は、やはり何がおかしい…! 次はきっと私の番だッ!
「マルマイン、こ、こ、高速、移動ッ!高速移動だッ」
ぐ んッ、 と内臓が引張られ、体が浮くのを感じた。 視界が暗転したかと思うと、私は雷鳴の中、空に浮かんでいた。 アカデミアは、足元の遥か下にあった。 私はマルマインに乗って、一瞬で上空数百メートル上昇したのだ!
突如、突風が吹き荒れ、意図しない方向に数十メートル飛ばされた。 サイコキネシスのように浮かんでいるわけではなく、あくまでも磁力を利用して移動しているだけなので、 台風のなかでの脱出はマルマインにとっても命取りだった。
「マルマイン、北へっ…!」 ゴロロ ォロゴロゴ ロォッ!
私の声は雷鳴にかき消され、それがマルマインの耳に届いたのかは分からなかった。 再び、突風により私たちは飛ばされた。 雨風にもみくちゃになり、もう方角もわからない。 闇夜の空の海原に抱かれて、暴風に流されるがまま私は意識を失った。
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第十一話 未来予知
静まり返ったエントランスホールで、コツコツと足跡が響く。
やがてその音の主は、倒れているマツリの前で立ち止まった。 長身の男。瞳はギラギラと黄金色に輝いており、ただの人間でないことは明らかだった。
「…してやられたな。なんてザマだ、マツリ」
当然、マツリは返答しない。…だって、死んでいるから。
「ぐうう、これは、き、貴様の仕業かあッ!」
男が声のする方を振り向くと、マーチェスがフラフラとした足取りでエントランスホールに入ってきた。
「ふ、ふふ、そうか読めたぞ。貴様、さてはグルだな? そうかそうか、その女が死んで悲しいかぁ!ひゃはっ! 何、悲しむことは無い! 貴様も後を追わせてやるぞォ 安心しろ、オマエラまとめて、ホルマリン漬けにして実験材料にしてやるぞっ」
「…だ、そうだが?」 「…それは、さすがに厭」 マツリは、平然と立ち上がって、首を左右にポキポキと鳴らした。
「…ッ! き、きさま、あれだけの毒を浴びて、まだ?!」 しかし、マツリはマーチェスを意に介せずに、男と向き合う。
「で? あんなヤツ相手に、なぜ負けた?」 「…小娘を逃がすのに、手間取っただけ。負けてないっ。」
「ふん。よく言う。私が欠片を持ってこなければ、本当に死んでいただろう」
あまりの出来事に、しばらく呆然としていたマーチェスだが、自分が無視されていることにようやく気づく。
「ば、化け物があぁッ!」 マーチェスは刃物を手に取り、飛び掛る。
マツリはそれを一瞥すると、背を向けて面倒くさそうに肩をすくめた。 「三、ニ、一。ほら、動けない」
瞬間、マーチェスの体は宙に浮き、空中で静止して四肢をバタバタさせるだけである。 「ああ、ぁあ?!、ぬわぁんだ、これはぁッ?!」
「ここまでが、あたしの『未来予知』。」
男は、信じられないという顔でマツリを見つめる。 「まさか、最初からあの娘を逃がすために、未来予知を使っていたとはな。 命の危険を顧みず? 理解できぬ。」 「君に理解してもらえるとは思ってない」 「…成程、負けるわけだ。」
マーチェスは苦しそうに声を絞り出す。 「み、未来予知だと…?まさかっ!表には、悪タイプも大勢…」
「センセイ、これなーんだ?」 マツリが振り向くと、その瞳は見開かれ、ギラギラと怪しく光り輝いていた。
「まさか…お前…う、嘘だ…!」
マツリは気だるげに片手をかざして言った。 「サイコキネシス」
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