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晩秋の華と涼 −鷹橋晋一の紅葉狩り− 【6】 |
「あなた、どこ行ってたのよ。折角コーヒーいれたのに、冷めちゃうじゃないの!」 バーナーで沸かしたお湯は、既にインスタントのコーヒーが溶かされ、深みのある黒に染まっておりました。そこへ、見なれた顔がジロリと目を細めながら映し出されております。 「いや…、すまん。ちょっと車をとめる場所に困っていてね…」 車をとめるのに困ったことは、あながち間違いではありませんよね。 しかし、その冷ややかな目は私に向けることはなく、時計に、向けられておりました。 「「!? もうこんな時間じゃない、早く飲んで夕飯食べにいくわよ… いい加減くたくた…足も痛いわね……ズズ…ズ…」 きっと、今私と女房とが飲んでいるコーヒーは、2度目か3度目に沸かしたものでしょう… いれたての香りがバーナーから漂ってきます…。見た目の飲みっぷりこそ荒荒しいものの、私には…きちんと沸かしたばかりのものをくださるなんて…。 「そうだな、腹も減ってきた。行こうか…」 いよいよ日も落ちてしまいます。一泊の旅行なんてあわただしいものです。 きっと翌朝10時には屋根の外ですから… 「『もっと早くに会いたかった』…か…」 ほどよい温かさになったコーヒーをズズズとすすると、ひらひらとカップに舞い落ちる紅葉の葉一枚…。 「何か…言いました? あなた…」 「いや…何も…」 ズズッ… 紅い葉の味が…ぴりりと舌にしみわたりました… 1泊の旅行なんてあわただしいもので、翌朝朝食をすませて軽く景色を眺めると、もう帰途につかねばなりません。ま、これが会社員の休日っていうものでしょう。明日からまた職場の…そして社会の歯車へと逆戻りです。年末の追い込みが始まりますから…ね。 そんな私と違い、時を永久に止めてしまった彼女… きっと今ごろは、この秋空のどこかで奥多摩の紅葉の美しさを眺めていることでしょう…。 『…ありがとう… もっと…早くにお会いしたかったです…』 と、ついつい彼女の姿を思い浮かべながらウトウトしてしまいそうです…。とはいったものの、この東京の空の下には彼女の「遺影」と二十数年間の足跡しか…残ってはいないのです。そう、半月も早く彼女に出会えていれば…。 「ちょっとあなた、することないなら浅川さんのところへ行ってきてよ! そもそも主婦っていうのはね…バリ…ボリッ」 と、気だるそうな女房のひと言とあのサウンドで、ハッと我に返る私。そうですね、過ぎたことをあれこれと考えるのはよしましょう…。私は今、仁郷…いや鷹橋梓の夫であり、楓と梢の父なのですから…。 「あ、あぁ…。梢がお世話になっていたんだっけな…」 楓の帰ってくるのは明日ですが、梢のほうはいい加減そろそろ迎えに行かないといけません。きっと向こうで夕飯までご馳走になっていることでしょう。もう時間が時間ですし。 『…8時になりました、ニュースをお伝えします。 …新潟県新潟市で製塩所を経営していた上杉謙人さん(51歳)が昨夜9時ごろ…』 と、ニュースに見とれている場合ではありませんでしたね。 では梢を迎えに行きますので、この辺で。 そうそう、千造さんには菓子のひとつも持っていかないといけませんね。それとあんまり甘いものはよしておきましょう。梢の目の前でそんなものをお渡しした日には、あとで同じ物を買わされそうですからね、ハハ…ハハ…。 「じゃあ、行ってくるからね…」 ガチャ… 「ちょ、ちょっとあなた、テレビ見ないなら消し…」 …バタンッ… 「…って、まったくいつも…」 『…奥多摩湖湖畔にて今朝10時ごろ、女性の遺体が発見されました。この女性は先月20日から行方がわからなくなっていた杉並区在住の…』 −完− |
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