< 前のページ > 次のページ ▲ 帝国文書館 凸 王城

晩秋の華と涼 −鷹橋晋一の紅葉狩り−
【4】


「あ、あなたは…一体?」
 年のころは20代半ば、といったところでしょうか。短く切りそろえた爽やかな髪が学生時代の女房を思い起こさせました。きっと…生前は…良いところに勤めていらっしゃったのでしょう。
「あなたのような生活が…恨めしい…」
「え…? わ、私が、ですか?」
「こんな…こんなはずでは…無かったのに…」
 私に向ける恨めしげな視線が強くなるたび、私の肌と肝は芯から冷やされて行きます…。
「な、何のことだか、さっぱり、わかりませんよ」
 こんなところを女房にでも見られた日には皿の2〜3枚も飛んできそうではありますが、さすがに『湖畔の情事 −自縛霊は中年男の夢を見るか−』なんて三流小説のタイトルのような展開なんぞはありえませんからね。もっとも、実際には幽霊が見える、なんてこともありえないのですけど…。
 しかし、このお嬢さん…だった方、どうやらただでは帰してくださらない様です。
 覚悟は…決めましょう…。
「…しょ、少々…お話をお伺い、しましょうか?」
「…、…、…では…」
 彼女の目もとが、心なしか優しくなりました…。

「後ろの木まで…あと3センチ…でしたか…」
 彼女のおかげで、危うくトランクやバンパーがダメになってしまうところでした。ただでさえ車庫入れは好きではないのに、そこへとんだお客様が来たものです…。まぁ、そんなこんなで車を停め、彼女を「降ろして」女房の待つ方向とは逆の道を「歩く」ことにいたしました。
 道々に「お役ご免」となったモミジの葉が散っております。確かに山すそを眺める方々にとってみれば、もう山も林も彩ることはできなくなった「落ち葉」に過ぎませんが、枯れゆくまでは観光客の足元を彩ってくださいます。あなたも、山すその木々を眺めるときには、ちょっと足元に目を向けてやってくださいね…。
 そろそろ、彼女に視線を戻しましょうか。

「しばらく、私のあとをつけておりましたね…?」
「ええ。あなたと奥さんと一緒に紅葉を見ていました。もちろん鍾乳洞にも…あ、あそこは『私のような方』がたくさんいて少々疲れてしまいましたけど。 でもその後の、お昼を仲良く食べる姿、とっても…うらやましかったです。」
 いやはやお恥ずかしい、特に女房のあの食べっぷりをじっと眺めていらっしゃったとは…。
「道理で運転が落ち着かなかったわけです。ずっとあなたとご一緒していたとは、ね…
 あ、私は鷹橋晋一、冴えない商社の…冴えない一社員です…」
 何の気なしに「正直に」自己紹介までしてしまいました。とはいえ、相手はこの世の方でありません。あれこれ虚飾したところできっと心のうちは見透かされていることでしょう。
「し…シンイチさん…? ううっ…うっ…」
 突然血相を変えて泣き崩れる彼女…。支えてやろうにも触れることすらできないのでは…
「ど…どう、なさいました? す、スイマセンッ」
「…ごめんなさい、あなたの前で…。
 実は、別れた…いえ別れさせられたひとの名が『真一』というものなので…」
 偶然とはいえ、何だか悪いことをしてしまったようです。私も若いときにはそうでした。嫌いになってしまった人と同じ名前を持つ人がいまいち好きになれなかったり…と。
「そうですね、あなたにはお話ししておきましょう…そのひとのこと、そして私のことを…
 私は大学を出てから先月まで、杉並区の銀行で勤めていました。
 真一さんとは学生時代からの付き合いで、鷹橋さんのものとよく似たカローラでよくここ奥多摩へ…。特に毎年この季節には欠かさず来ていたのですが…」
 なるほど。私の車に「乗って」来たことも納得がいきます。アカの他人とはいえ、同じような車に仲むつまじい夫婦が乗っていれば、うらやましくもなるでしょう…。
「けれど…真一さん、今年はカローラに乗ってやって来ることはありませんでした。 代わりにどこで手に入れたか新車も同然なメルセデス…ベ……に乗って…
 つい先月、私の前に現れたのです。…そして助手席には……」
 …なるほど、車ごと相手の心も変わってしまったと…いうわけですね…

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