パドマサンバヴァの
聖地を訪ねて

初めてラサのジョカン寺へ行ったときのことは今でもはっきりと思い出される。
たくさんの巡礼者が参拝のために行列を作り順番を待つ中、私はジョカン寺のお坊さんに連れられて、ヤクのバターランプとサン(香草)の臭いが立ちこめる堂内へ入っていった。薄暗い本堂には何メートルもの大きな弥勒菩薩とパドマサンバヴァの(チベットではグル・リンポチェと呼ばれる)の仏像があり、そこに一筋の陽光が投げかけられていた。その光景は幻想的で美しく、見る者の心に平安を与えた。
すぐ横で真言を唱える一人の老婆が片手にマニ車を持ち、目には涙をいっぱいためてグル・リンポチェの仏像を見つめていた。激動の時代を生き抜いてきたこの老婆は、抱えているものの重さに耐えきれずにここへ来て、生きる力を仏達に乞うていたのではないか。やさしい弥勒菩薩の様相とは違うグル・リンポチェの目は、カッと大きく見開き、悪行を積み重ねた弱い心を持つ者を威嚇しているようで私のは大変恐ろしいものでした。
チベット人にとって密教行者グル・リンポチェは、特別な意味を持っている。
グルリンポチェは一切衆生を救済するためにインド・ウディヤーナのペマ湖より生じ、8世紀チベットの王ティソンデツェン王の招きを受け、雪山を越えやってきた。
その頃のチベットには、夥しい諸魔が住んでいて、人間に悪さを働くなど様々な嫌がらせをしていた。しかしグルリンポチェは彼等を上回る力を持って諸魔を制し、仏法を守護する神に転じて、チベットに仏教を根付かせてたのだ。
こうしたグルリンポチェの素晴らしい業績によって、彼等の精神は一転し、菩提心を持つに至ったのである。長い年月を経た今もグル・リンポチェはチベットに限らず近隣諸国でも親しまれている。
それは宗派を越えどの寺院にも必ず彼の仏像や仏画はあることや、チベットの大地に、特に険しい山間には必ずと言っていいほど、グルリンポチェの聖地は点在し、行者達の間では神秘の現象が起こる瞑想場として、とても人気が高いのである。

遠く東チベットのナンチェン(青海省)は、深い谷と山々に囲まれたとても豊かな土地で、沢山の遊牧民が住んでいる。現在も途中までは車で行くことが出来るが、そこからは馬でしか行くことが出来ない、秘境というイメージにぴったりと合う所である。そこはグル・リンポチェが活躍した聖地で、古くから密教行者の修行の場として有名であり、またその住民は信心深い民としてチベットで知られている。

私はナンチェンから馬でいくつも川を渡り、さらに奥に入って人気の少ないチュレングンの村に行った。
そこの親切な村人からお茶を頂きながらこんな話を聞いた。
その昔、標高4000メートルを超えるこの地にティランダ・ティモピンガという9人の鬼女姉妹が住んでいた。この鬼女達はことあるごとに、人々に病気を流行らせ死に至らしめたり、穀物の収穫を邪魔するなど、恐ろしい力をふるって人間を苦しめていた。
これを知ったグル・リンポチェが太陽の光線に駕して現れると、空は一瞬にして黒雲に覆われ、もの凄い威力の雷や雹嵐が起こり、たくさんの剣や三叉戟(現地の人々はこれらをトッと呼び、お守りとして身につけている)が降った。その威力に屈した鬼女達は、追いつめられて、大河の中央にある岩と化した。
私は、このネッシーのような形をした岩が浮かんで見えるゾンゴ(山の名称)の麓を訪れ、グル・リンポチェが建立したというストゥーパを見ることが出来た。赤い砂で出来たこのストゥーパは長寿の薬としても有名で、一緒に来た巡礼者は皆三回右回りをし、その砂をひとつまみして食べていた。私にはそれが不思議と塩辛かった。

チュウレングンの切り立った山々がそそり立つこの地の洞窟に長く逗留したグル・リンポチェは、ナンチェンの人々に強い信仰心を起こさせ、密教の教えを確実に広めて、多くの修行者を育てたと言われている。
この周辺に数多く点在するグル・リンポチェの修行場は、人を寄せ付けない、恐ろしく危険なところにある。
神通力によるか、あるいはよほどグル・リンポチェと深い因縁で結ばれていなければ、とうていそこにはたどり着くことは出来ないように思われた。
僧侶の話によると、そこではシンボルとして忽然と浮かび上がったグル・リンポチェの像や足跡、法具などが今も多く見ることが出来るという。一筋の陽光も入らぬ暗黒での修行は、時間や空間を越えて、神秘的な体験が本当に出来るのであろうか?しかし少なくともそこではリアルにグル・リンポチェの存在を感じ取ることができるのであろう。
紺碧の空に原色の色を付けた高山植物が咲き乱れる季節になると、ナンチェンでは、ニンマ派とカギュ派の多いこの地域の各寺院で、グル・リンポチェへの盛大な感謝と奉納の供養が行われ、馬に乗った巡礼者たちが多数やってくるという。

冬のある満月の日、ラサ郊外にあるシュクセプ尼僧院でロチェン・リンポチェ(前代僧院長)の供養が行われていた。この日、私は不思議な密教行者に出会った。彼は長い髪をカタ(白い布)を使って頭頂で束ね、ぼろぼろの布を纏い、右手にはとても古いダマル(小型のドラ)を打ち鳴らし、左手には人間の大腿骨で作ったカンリン(ラッパ)を吹いてこれに参加していた。最初は低いリズムで詠唱が始まり、次第に鐘やダマルの音が激しさを増し、ギャリンが(ラッパ)とカンリンがこれに加わると力強く鳴り響き、深い意識の層にまで食い込むようであった。
チベット人隠者の生活を聞きたく彼に声をかけると、満面の笑顔を浮かべいろいろと話してくれた。
彼は現在26歳、自称グル・リンポチェの愛弟子であり、サムイエ寺近くにあるイシェーツォギャルの湖の洞窟で静かに瞑想を続けているという。彼の周りにいた僧侶達が、彼は様々な行を若くして収得したとても得の高い人物で、本当にグル・リンポチェの愛弟子である、と讃えていた。
すると調子にのった彼はいきなりグル・リンポチェの舞を私たちに披露して、嬉しそうに写真を撮ってくれて頼んできた。何ともチベット人らしかった。そんな楽しいやりとりの後、彼は再び厳しい面持ちで堂内に入り、経をあげはじめた。

チベットを旅していると、グル・リンポチェの伝説はケサル王の物語同様さまざまな形で語り継がれ、釈尊を上回る絶大な人気をもち現在も存在していることが確認できる。
密教の開祖グル・リンポチェの伝記の単純な文章の裏に隠されれている複雑な密教的意味合いを理解するチベット人は、こうして本質を見抜く力を得て、いっそう強い信仰心を育むのであろう。
ある意味で厳しい現状に立たされている彼らがたくましく生きていられるのは、もしかするとグル・リンポチェの恩恵によるものかもしれない。
今も蓮の花に似た清く美しいチベットの大地に、偉大なる成就者グル・リンポチェの賛嘆の言葉を唱える声は、大きく響き渡っている。

その昔、標高四千メーターを超えるこの地にティランダ・ティモピンガという9人の鬼女姉妹が住んでいた。この鬼女達はことあるごとに、人々に病気を流行らせ死に至らしめたり、穀物の収穫を邪魔するなど、恐ろしい力をふるって人間を苦しめていた。
これを知ったグルリンポチェが太陽の光線に駕して表れると間もなく、空は一瞬にして黒雲に覆われ、凄い威力で雷や雹嵐を起こして、沢山の剣や三叉戟(現地の人々はこれらをトッと呼び、お守りとして身に付けている)を降らせた。その威力に屈した鬼女達は、追いつめられて、大河の中央にある岩と化した。(写真)
一見ネッシーのような形をしたこの岩が浮かんで見えるゾンゴ(名称)の麓には、グルリンポチェが建立したストゥーパが現在も見ることが出来る。(写真)
赤い砂で出来たこのストゥーパは長寿の薬としても有名で、巡礼者は皆三回右回りをし、その砂を一摘みして食べていた。それは不思議と塩辛かった。

その後、切り立った山々がそそり立つこの地の洞窟に長く逗留したグルリンポチェは、密教の教えを確実に普及させ、多くの修行者を育てた。
数多く点在するグルリンポチェの修行場は決して人を寄せ付ない暗黒の洞窟であり、今も密教行者の瞑想場として人気が高い。しかし一筋の陽光も入らぬ暗闇での修行は、時間や空間を超え神の体験が本当に出来るのだろうか? だが少なくともそこではグルリンポチェの存在がリアルに感じることが出来るのであろう。

夥しいグルリンポチェの聖地にまつわる聖者伝は、伝説の単純な文章の裏に隠された、密教的複雑な意味が多く隠されている。その本質を見抜く力を持ち合わせているチベットの人々は、現況にも屈せずたくましく生きている。そんな彼等から私達は多くを学ぶことができるのではないか。

ナンチェンに原色の色を付けた高山植物が咲き乱れる季節になると、ニンマ派とカギュ派の多いこの地域の各寺では、グルリンポチェへの盛大な感謝と奉納の供養が行われる。
偉大なるグルリンポチェの賛嘆の言葉を唱える声は、今もチベットの大地に大きく響き渡っている。


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