活仏として生きる

西暦二千年の年が明けて間もなく、厳冬のヒマラヤを命懸けで亡命したカルマパ十七世のニュースは世界中に伝わりました。その中で多くの人がチベットの活仏制度や輪廻転生説に疑問を抱いたと思います。そしてこの事件を通してチベットの活仏がチベット最高指導者ダライラマ以外にも存在することを知り、驚かれた方も多いようです。
私の友人ケルサン・リンポチェも、チベットに2千人程いるといわれているリンポチェ(活仏)の一人なのです。

ケルサン・リンポチェは東チベット・カム地方ナンチェンの出身で、現在は二十九歳。少年期には現在でも車の通れる道のないナンチェンの大自然の中で両親と共に遊牧の生活していたのですが、青年期には憧れの都ラサ(チベットの首都)でチベット薬学を学びました。しかしその当時のラサではチベットの民主化や独立を求める運動が盛んに行われていて人々の安全に懸念が 生じ始めたため、彼は多くの若者同様に祖国を捨ててヒマラヤを越えました。ネパールでは既に亡命していた兄と共に暮らし英語学校に通い、友人とバイクを乗り回したり恋愛をしたりするどこにでもいる普通の青年でした。そんな彼が突然転生活仏の認定を受け、二六歳にして初めて赤い僧衣を纏うことになったのです。

今から三年前 、一九九七年にバロンカギュ派の僧侶が ケルサン兄弟の家を訪れました。そしてその口から発せられた言葉は耳を疑うものでした。
「驚かれると思いますが、あなたはあなたの故郷にあるミンドゥリン寺の三代目の生まれ変わりです。これは既にサキャコンマ(サキャ派の高僧)からの認定も受けています。あなたは今から前行(十万回の行)を始めて下さい。これを全て終えたなら良い時期を選んでナンチェンへ戻り即位式を行います」
彼は事態をすぐに理解することは出来ませんでしたが、チベット社会に生きるチベット人として、このことが自分の生活にどのような変化をもたらすかを漠然と察し、動揺して答えました。
「なぜこの年になって? しかも仏教など勉強したこともないし、前世の記憶だって残ってない。何かの間違いじゃないんですか!? 僕にはそんなこと絶対にできない!」

しかし僧侶は彼の返事を予期していたらしく、落ち着いて答えました。
「ミンドゥリン寺の三代目座主はあなたしかこの世にいないのですよ。ナンチェンの人々はあなたを心から待ち望んでいます。彼らにとってあなたがどれほど尊い存在なのかは分かるでしょう。それなのにあなたは彼らの幸せを考えず、自分のことしか関心がないのですか? 私たちチベット人の文化や生活は危機的な状況にあります。今すぐに結論は出さなくてもよいから、もう一度よく考えてみて下さい」
この言葉に彼は六カ月間悩み続けました。
そして結局大好きだったバイクを手放し、お気に入りのお洒落な服も全て友人にプレゼントして、気持ちににけじめを付けました。自分が愛する人々に別れを告げ、さらに多くの自分を愛してくれる人々のために一生を捧げる決意をしたのです。

「一九五〇年代から中国軍の侵攻が始まり、平和だったチベット人の生活は激変したんだ。中国による厳しい弾圧や拷問、そして飢えのために、僕の二人の姉と一人の兄は亡くなったんだ。このとき嘆き悲しんだ両親は、次男を除く子供たちを皆を僧・尼僧にすると誓ったけれど、僕だけはこれに反発して僧侶にはならなかったんだよ。今思うとそんな両親の信念と僕の運命は繋がっているような気がする。それに今も続くチベットの苦難を考えれば、僕は残された時間を愛する祖国と一切衆生のために祈ることが有益だと思ったんだ。でもこれから仏教を一から勉強するのはとても大変だけどね」
笑みを浮かべながら淡々と語った彼は、この件に関してはこれ以上あまり話すことがありません。しかしこのように気持ちを整理するには長く深く辛い葛藤があったことを、親しくつき合うようになった私には痛いほどに伝わって来ました。

その後、剃髪して厳しい前行を終えた彼の顔には、僧侶としての自信がみなぎっていました。

一九九八年夏、私はケルサン・リンポチェの即位式に参列するためにナンチェンへ同行しました。青海省にある玉樹から車でナンチェンまで行き、即位式が執り行われる寺までは馬に乗り換えなければなりませんでした。小さな原色の花がたくさん咲く大草原の中を、私たちのミニキャラバンは進んで行きます。寺院が近くなると草原を囲む山々の頂からサン(薫香)の煙が濃紺の空に漂い、ポツンと存在していた寺院の屋上からはチベットホルンの低く重々しい音が天まで響き渡り始めました。そして馬に乗った大勢の村人たちがリンポチェ一行を迎えに来たのです。彼らは一列になってケルサン・リンポチェのまわりを一周し、目的地まで導いてくれました。即位式の当日、皆が早朝から慌ただしく準備のために動き出すと、ケルサン・リンポチェの緊張と不安は頂点に達し、“もう後戻りはできない。これで自分の一生は決まってしまう・・・”というような迷いと焦りの表情を見せていました。式典は二時間ほどで終わり、そのあとに村人や牧民たちがリンポチェの加護を受けるためにカタ(祝福の布)を手に、恭しく一列に並んで順番を待ちました。そして擦り切れた紙幣を大事そうにお布施するとき、誰もが嬉しそうに満面の笑みを浮かべていました。彼らは本当に敬虔な仏教徒です。暮らしは貧しくとも仏を信じ、慎ましやかに生きているのです。
しだいに落ち着きを取り戻したケルサン・リンポチェは、地元の僧侶たちとも親しげに話していましたが、私にこのように語ってくれました。
「美しい僕らの土地と信心深く思いやりのある彼らのためにも、慈悲の行を実践できるように頑張るよ」

数日後、私たちはミンドゥリン寺跡を見に行きました。それはことごとく破壊され、土壁だけが山の斜面にひっそりと残っていました。
「当時、先代や僧侶たちはここで皆殺されたんだ。今では生まれ変わった僕しかいない。だから早くミンドゥリン寺の僧を育てなくては・・・」
このように決意を新たにしたケルサン・リンポチェは、現在ネパールの仏教寺院で修行に励んでいます。

カルマパ一七世と友人のケルサン・リンポチェ。転生活仏とはいっても、この二人の歩む道はあまりにも対照的です。手段もさまざまで、カルマパのように亡命する人もいれば、ケルサン・リンポチェのようにチベットに戻り、チベット人の心の拠りどころになるべく、今までの生活を捨て厳しい修行に耐えて、村人たちのために生きようとしている人もいます。人は誰しも業に翻弄されますが、彼の場合は数奇な運命に立ち向かい、想像を超えた苦労と努力をしていますが、その様なチベット人は少なからずチベット本土にも存在しているのです。そんな彼らの姿を見ていると、チベット人が確固たるアイデンティティーと自信をもって暮らせる世界になることを祈らずにはいられないのです。


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